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ムツキがゆっくりと口を開こうとする。その一瞬にして、場が重く凍り付く。息が詰まりそうなほどの威圧が部屋を包み込み、ケットの毛が思わず逆立つ。
「……ムツキがとても怒っている、とな。それでダメなら言ってくれ。俺が直接行く。ただし、その時は……」
ムツキは怒りを抑えている。彼自身、抑えるのに必死だが、漏れ出た威圧はそれだけで周りに恐怖を与える。もちろん、彼は意図的にそうさせているわけではない。
「ぐっ……旦那様?」
「え、ムッちゃん? ちょっと」
「うっ……なんだ、この……」
「だ、ダーリンが怖い……」
「ひっ……」
「サラフェ、大丈夫です。私たちにではありません」
ナジュミネとリゥパは身体が強張り、コイハとメイリはお互いに抱きしめ合う。サラフェがへたり込んだので、キルバギリーはサラフェをそっと包み込むように抱きしめる。
「わ、分かったニャ! 絶対に今すぐ起こしてくるニャ!」
今この瞬間に、ケットはユウの寝起きよりも怖いものがあると知った。普段、ムツキは大概何があっても怒りはしない。不平不満を言うことがあっても、感情をここまで発することはない。つまり、これはよほどのことだった。ケットは急いで2階へと駆け上がる。
「あと、みんな、すまない。ちょっと、席を外してくれるか? ちょっと、ユウを叱らないといけない。ナジュ、みんなで別の部屋に移ってもらえるか? サラフェとキルバギリーも一緒にな」
ナジュミネは首を縦に振った後に口をゆっくりと開いた。
「承知した。旦那様……」
「……どうした?」
ムツキは全く意図していないものの、その低い声色や威圧がナジュミネでさえも震わせている。彼女は意を決して伝える。
「あ、あまりユウを叱らないでやってくれ。いろいろやり過ぎたんだろうが、多分、旦那様のためだ」
「……わかった。気に掛けてくれて、ありがとう」
ムツキは危うく、八つ当たりになりそうなところをグッと飲み込んだ。ナジュミネは心の底から彼とユウのことを心配してくれているのだ。それに対して、あまり叱らないでくれと言われたのだから、気持ちを落ち着けないといけないと頭の中で反芻する。
ナジュミネとリゥパが別の部屋へとコイハ、メイリ、サラフェ、キルバギリーを連れて行く。それを見送った後、ムツキは少ししてから口を開く。
「さて、と。いつまでそこで俺のことを眺めているつもりだ?」
ムツキは階段の方に向かって、そう話しかける。それ以上の言葉を口にしようとしたが、あまり言葉数が多いとそれだけで威圧感が増してしまうと考えて、ただただその一文だけを落ち着いた声色で出した。
「あっ……えっと……怒って……るの?」
ユウは幼女姿で顔だけを見えるところに出して、ゆっくりとそう言葉を出している。彼女はケットに起こされるよりも前に起きていた。ムツキとサラフェが戦った時に放っていた彼の怒りの気配を敏感に感じ取ったためだ。
その後に世界の記録を眺めた時、彼女は青ざめた。さらに、この原因が自分にもあると理解したとき、ムツキの怒りが自分に向かうことは想像に難くなかった。
「あぁ……怒っている。何で怒っていると思う?」
ムツキはユウからの質問に短く答え、次に、彼女へと質問した。威圧感が出ないように怒りと優しさを何とか中和させている。しかし、そのいつもと異なる無機質な物言いが、彼女をさらに恐怖に陥れる。いつもの優しい彼ではない。それだけで彼女にとっては十分すぎるほどの罰だった。
「……うわああああんっ!」
ユウは涙を浮かべ、階段を自分の足で駆け下り、ムツキへとダイブした。彼も思わず受け止め、彼女の言い分を聞くために無言で待っていた。
「ご、ごめんなさいー! こんなはずじゃなかったの! 誰かが傷付くと思っていなかったの! 傷付ける気はなかったのー! 本当なの! 信じてほしいの! 私、本当にこんなことになると思わなくて、なんでこうなっちゃったかも全然分からなくて! 本当に分からないの!」
ユウはムツキのシャツを両手で小さく掴み、泣きじゃくりながら言い訳を始める。彼は辛抱強く、怒鳴らないように努めた。
「当たり前だ。ユウがそんなことを考えてするとは思っていない。だけど、無理に運命を変えたな?」
ムツキは静かに話しかける。ユウはその言葉に首を縦に振って頷いた。
「うん。ほんの少し……」
「本当に、ほんの少しかな?」
ユウの言葉に、ムツキは聞き返す。彼女は言葉に詰まる。
「……えっと、サラべえはかなり……」
「いや、無理に愛称つけるなよ……なんだよ、サラべえって……ってそういうことじゃなくて、かなり変えたのか?」
ムツキは一瞬、呆れたような表情になるが、すぐに表情を消した。
「だって、普通に生きてたら、サラべえ、人族領から出てこないんだもん……」
サラフェは彼女が言っていた通り、怠惰ゆえか、まったく外のことに興味がなかったようだ。魔人族にも獣人族にも半獣人族にも、もちろん、妖精族にも興味がない。ただ、自分が生きるために、仕事はしなければならず、選んでいた仕事はもっぱら人族の手助けだった。
「それを無理やり引っ張って来たのか?」
「だって、サラべえがよかったから」
「そんな無理をしなくても、ほかにも人族の女の子なんてたくさんいるだろう……」
「だって、人族で一番見た目が良かったから」
「そもそも、人族は絶対に必要なわけじゃないだろ……」
「だって」
「だって、だって、じゃない!」
ムツキはついに怒鳴ってしまった。その瞬間、部屋の窓ガラスは全て粉々に砕け散る。奥の方で妖精たちが恐怖のあまり悲鳴の大合唱をしていた。