テラーノベル
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いつだって、悪いのは私。
あんなモノが”視える“から──。
「沙希に謝りなさいよ! あんたのせいでケガしたんだから!」
放課後の校舎裏。使われなくなった焼却炉の陰。
高校三年生の高階瑞姫は、クラスメイトの女子たちに囲まれ、陰鬱な顔で俯いていた。
発端は、化学の授業の時間にあった実験。瑞姫と組んだクラスメイトの沙希が、実験に使う薬品で、手に火傷を負ったのだった。
「見てたのよ。あんたが沙希を突き飛ばすところ!」
「ひどいよ。沙希ちゃん、手に痕が残るかもって」
(違う)
瑞姫が沙希を突き飛ばさなければ、薬品は彼女の顔を焼いていた。
手にかかったのは、不幸中の幸いだったのだ。
(でも……ただの言い訳にしか聞こえない)
「いつも、そうやって無視して! なんとか言いなさいよ!」
瑞姫の沈黙を誤解した一人が、彼女の肩を勢いよく小突く。
抵抗する気力もなく、瑞姫はそのまま地面に座り込んだ。
だが、そのとき。
瑞姫の目に映ったのは、自分を糾弾する女子にまとわりつく、黒いモヤだった。
「危ない!」
瑞姫は咄嗟に立ち上がり、目の前の女子を突き飛ばす。
「ちょっ、なに……」
相手もろとも地面に倒れ込んだ、次の瞬間。
ズン……と重い音を立て、焼却炉の煙突が倒れてきた。
──先ほどまで、女子が立っていた場所へ、と。
(よかった、助けられた)
瑞姫は、ほっと胸をなで下ろす。
だが、助けられた女子は、すっかり怯え切った顔で瑞姫を睨みつけた。
「あ、あんたのせいよ、『災いを呼ぶ』疫病神!」
(……ああ、まただ)
ぶつけられた悪意に、瑞姫が凍りついた、そのとき。
「先輩たちっ、どうしたんですか!?」
「日奈ちゃん!」
軽やかに走ってきた、小柄な女子生徒の姿に、瑞姫のクラスメイトたちは安堵の表情を見せる。
瑞姫の従妹、高校一年生の中原日奈だった。
「こいつよ! 沙希に火傷させたうえに、次はあたしを……!」
「そんな。瑞姫ちゃんが、ごめんなさい」
日奈は今にも泣きそうな顔で、倒れていた女子を助け起こした。
「先輩、肘、すりむいてます。私、手当てしますから、保健室に行きましょう」
「ありがとう、日奈ちゃん」
日奈の健気さに、瑞姫のクラスメイトたちが安堵を見せる。
その光景から目を逸らし、瑞姫は無言で立ち上がった。
(いくら相手を助けても、私じゃ、だめなんだ)
陰と陽。そんな例えがぴったりだった。
(……痛い)
見れば、膝から血が出ている。
さっき女子生徒を庇った際に、膝を擦りむいてしまったようだ。
「日奈ちゃんは本当にいい子ね。根暗なあいつとは大違い」
「瑞姫ちゃんが迷惑をかけてる分、わたし、役に立ちたくて」
女子たちに褒められ、日奈は明るく笑っていた。
だが、ふとした瞬間にちらりと後ろを――残された瑞姫を見やって、小さく呟いた。
「……いい気味」
瑞姫にだけ見せる、醜悪な笑みで。
* * *
瑞姫の目に黒いモヤが“視える”ようになったのは、いつのことだっただろう。
誰にも見えないそれは、気付けばいつも、そばにいた。
まるで、引き寄せられているかのように。
「おかあさん、またアレがいる。こわいよう」
幼い瑞姫は、頻繁に泣いて訴えた。
黒いモヤは必ず、悪い出来事を運んでくる。
幼稚園で、そばにいた友達が遊具から落ちて怪我をしたり、周囲の大人が犯罪に巻き込まれたり……。
そういうときには決まって、黒いモヤが被害者にまとわりついていたのだ。
だが――。
「またそうやって、人の気を惹こうとして! そんなにママを困らせたいの!?」
どれだけ訴えても、母が信じてくれることはなかった。
だから、瑞姫は黙って耐えることを選んだ。
(きっと、“視える”から寄ってくるんだ。……私が、悪いんだ)
そして、十年前。
黒いモヤはとうとう、瑞姫のところへ災いを運んできた。
* * *
木製のドアが開くと、カランカラン、とドアベルが鳴る。
テーブルを拭いていた瑞姫は、振り向くと、にこりと笑みを作った。
「いらっしゃいませ。空いているお席へどうぞ」
放課後のアルバイトは、瑞姫にとって数少ない息抜きの時間だった。
バイト先は、個人経営の喫茶店。穏やかな音楽の作り出すゆったりとした雰囲気がよいのか、ここには黒いモヤがほとんど寄ってこないのだ。
(ここでなら、災いを呼ぶ疫病神じゃない、ただの瑞姫でいられる)
加えて、初老の店長はひどく不愛想で、いっさいの無駄口がない。余計なことを聞かれることもなく、瑞姫は安心して仕事に集中できた。
「やあ、瑞姫ちゃん。今日も頑張ってるね」
「あ……大牙さん、こんにちは」
窓際の席に座ったのは、ストライプのスーツを着た青年。
水を運ぶ瑞姫に、青年――虎堂大牙は優しく微笑みかける。
「今日は待ち合わせだから、ブレンドを二つ」
大牙はどこか上機嫌な様子で注文すると、静かに文庫本を読み始める。
(あ……私が勧めた本、読んでくれてる)
厨房へ戻りながら、瑞姫は胸を弾ませた。
常連客の大牙と話すようになったのは、彼が店に忘れた本がきっかけだった。
──この本、お好きなんですか?
──もしかして君も? なんか、嬉しいなあ。
あのとき向けられた笑顔は、今でも瑞姫の心を支えてくれている。
コーヒーの抽出を待つ間に、瑞姫は急いでバックルームに向かい、きれいにラッピングされた包みを持ってきた。
(大牙さん、この前、お誕生日が近いって話してたから)
包みをエプロンの内側に隠すと、瑞姫は注文の品をトレイに乗せ、大牙の席へと向かう。
胸がドキドキする。けど、それがなんだか心地よくも感じた。
(きっと、驚かれちゃうよね。でも……喜んでくれると、いいな)
「お待たせしました……って、え……?」
瑞姫が驚いたのは、大牙の向かいに、見知った相手が座っていたためだ。
「日奈? どうして、ここに」
「どうしてって、彼氏と待ち合わせだけど?」
日奈はなんでもないことのように答え、可愛らしく小首を傾げた。
(彼氏って、まさか)
「瑞姫ちゃん、日奈と知り合いなのかい?」
大牙の口から出た日奈の名前、その親しげな響きに、瑞姫は愕然とした。
「あ、えっと」
「だーめ、秘密! そのうちわかるから、ね?」
「ええ? なら、仕方ないか」
にっこり笑った日奈に、大牙もとろけるような笑顔を向ける。
(そっか。日奈と待ち合わせしてたから、機嫌がよさそうだったんだ)
好かれるのは、いつも日奈のほう。
(可愛いし、私より愛嬌もあるし……余計なモノも視えないし)
ズキン、と胸が痛む。
今すぐに、ここから逃げ出したかった。
仕事中だという意識がなければ、きっと、立っていることもできなかった。
「ごゆっくり」
瑞姫は震える手で注文の品をテーブルに置くと、逃げるように厨房へと戻る。
エプロンの内側、渡せなかったプレゼントが、ひどく重く感じた。
* * *
「……ただいま」
夜。瑞姫が帰宅すると、廊下から通じるリビングで、はしゃぐ声が聞こえた。
「それでね、土曜日に、彼が挨拶に来てくれるから」
「まあ! 噂には聞いていたけど、四聖家の方は本当に婚約が早いのねえ」
「これで日奈も玉の輿だな! わっはっは!」
盛り上がっているリビングの横を、瑞姫はそっと通り過ぎようとした。
だが──。
「おい、待て。帰ってきたなら、まずは挨拶だろう」
先ほどの上機嫌が嘘のように不機嫌に吐き捨てたのは、瑞姫の叔父、つまり日奈の父親だった。
「声は、かけたんですけど」
「嘘をつくんじゃない! そんなに不満なら、いつでも出て行っておくれ!」
叔母が、ヒステリックに追従する。
「ああ、もちろん、借金はきっちり返してもらいますよ。姉さんの入院費のせいで、うちの家計は火の車なんだから!」
「……はい。ごめんなさい」
俯いた瑞姫は、スカートをぎゅっと握りしめる。
瑞姫は現在、叔父一家のもとで暮らしている。
十年前、瑞姫は自動車事故で父を失った。母はそのショックで心身の調子を崩し、ずっと入院している。
瑞姫を引き取った叔父夫婦は、長期にわたる母の入院費用を肩代わりしてくれていた。
ただし、その条件は『瑞姫が将来、全額返済すること』。
少しでも将来の負担を減らすべく、瑞姫は寝る間も惜しんでバイトをしているのだった。
瑞姫は無言のまま階段を上がり、二階の自室に入ろうとする。
だが。
「瑞姫ちゃん、さっきの話、聞こえてたでしょ?」
ドアを閉めようとした瞬間、追いかけてきた日奈が、室内へするりと入り込んだ。
「なんのこと?」
「とぼけても無駄よ。わたしと大牙くん、婚約するの!」
日奈は勝ち誇るような笑みを浮かべた。
「知ってる? 大牙くんは国内のトップエリート『四聖家』の人なの! 素敵な人に愛されて、わたし、とっても幸せ!」
「ええ、おめでとう」
日奈が明るく話すたび、瑞姫の表情は曇っていく。
「自慢話みたいでごめんなさい。でも、瑞姫ちゃんに、身の程を教えてあげないと」
「……どういう意味?」
「気付いてないと思ったの?」
日奈は瑞姫の鞄をさっと奪い取ると、渡せなかった包みを取り出した。
「あっ……」
「これ、大牙くんへの誕生日プレゼントでしょ」
「返して……!」
瑞姫は必死に手を伸ばす。が、日奈はそれを器用に避け、にやりと笑った。
「せっかくだし、渡しておいてあげる。もちろん、わたしから、って伝えるけど」
「やめて!」
瑞姫は無我夢中で日奈へとすがりついた。
(渡せなくてもいい。日奈のものになるくらいなら……!)
「きゃっ」
もみ合いになった際に、日奈が姿勢を崩す。
その隙を逃さず、瑞姫は彼女の手からプレゼントを取り返した。
「おいっ、なんの騒ぎだ!」
だが、そのとき。
騒動を聞きつけた叔父が、無遠慮に瑞姫の部屋のドアを開ける。
「……っ!」
ここにいたら、今度こそプレゼントを取り上げられてしまう。
瑞姫は無我夢中で部屋を──家を、飛び出すのだった。
* * *
(これから、どうしよう)
人気のない、深夜の住宅街。
街灯の下で、瑞姫は、何度目かもわからないため息をついた。
どこにも行くあてはない。どんなに嫌でも、最後はあの家に戻らなければいけない。
(……死んじゃおうかな)
叔父の家に引き取られてから、何度も考えた。
そのたびに、瑞姫を庇うようにして亡くなった父の最期が、衝動を押しとどめる。
──ああ、瑞姫が生きていてくれて、よかった……。
(お父さんのためにも、私は、生きなきゃ。でも)
目の端に、じわりと涙が滲む。
(苦しいよ。私、いつまで生きていればいいの?)
こぼれた涙を瑞姫がぬぐった、そのとき。
視界の端に、黒いモヤが揺らめいた。
(また、アレが視える……)
瑞姫の目に映る黒いモヤは、まるで湧き上がる入道雲のようだった。
(こんなに大きいの、初めて見る)
いったいどれほどの規模の事故を呼ぶのか。考えただけで、全身に鳥肌が立つ。
だが、緊張する瑞姫から、モヤは遠ざかっていく。
モヤが向かう先には、夜の闇に紛れるように、黒いスーツの青年が立っていた。
(あの人が、危ない。伝えないと……! でも、どうやって?)
大きな事故が起こると言っても、きっと信じてもらえない。
(十年前も、私の気のせいだって言われて。だけど、そのせいでお父さんとお母さんが)
瑞姫はぐっと唇を噛み締め、走り出した。
「そこの人、逃げて!」
瑞姫が叫ぶのと、青年を黒いモヤが取り巻くのは同時だった。
間髪入れず、けたたましいクラクションの音が鳴り響く。
無灯火の大型車が、猛スピードで青年の元へ迫っていたのだ。
「危ないっ……!」
瑞姫は無我夢中で、青年を突き飛ばそうとした。
代わりに自分が車に轢かれるとしても、かまわなかった。
(誰かを助けるためなら、お父さんも許してくれるよね?)
だが、予想していた衝撃が訪れることはなく。
代わりに巻き起こったのは、激しい風。
「きゃあっ……!」
まるで竜巻の中にいるようだった。
なすすべなく吹き飛ばされそうになった瞬間、力強い腕が瑞姫を抱き留めた。
──必ず守る、と伝えるように。
やがて、風が収まったとき。
瑞姫は黒いスーツを着た青年に抱きしめられていた。
「怪我はないか、勇敢なお嬢さん」
呆然とする瑞姫へ、青年は端整な微笑みを向ける。
「あ……」
瑞姫は、胸の奥がざわめくのを感じていた。
──まるで、これが運命の始まりだと告げるかのように。
(1話・おわり)
コメント
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VIPは辛い……..