「何だよ、その顔。嫌なのか?」
「だ、だって……まずいでしょ? 部署も一緒だし仕事やり辛くなりそうだし」
「仕事は仕事だろ? 俺は公私混同しないし問題無い」
雪斗はあっさり言うけれど、私にとっては大問題だ。
もし、雪斗と付き合ってるなんてみんなに知られたら何を言われるか。彼を気に入ってる女性社員は多いし、絶対に噂される。どう考えても無理だ。
「当分は内緒でお願いします」
雪斗の不満顔が怖いが、これに関しては譲れない。
「どうして?」
「わざわざこっちから言わなくてもいいでしょ? あれこれ聞かれるのは大変だろうし」
雪斗ははあとため息を吐いた。
「美月がそこまで言うなら公表はしないけど、でも俺はわざわざ隠したりはしないからな」
完全に不本意な様子。
「……前に会社でプライベートなことは話さない主義だって言ってなかった?」
「お前との関係は別だろ?はっきりさせとけば、変な男が近寄って来る心配も無いし」
「はっきりさせなくても、そんな心配ゼロだから。とにかく異動した途端に変な噂になるのは嫌だから。当分黙っててね!」
「仕方ないな……けどお前の仕事が落ち着くまでだからな」
雪斗はそう言いながら、私の手を離さないで歩く。
これで本当に隠し通せるのだろうか……先の事を考えると不安になった。
――視線が痛い。
想像通り、私と雪斗は注目の的だった。
「美月、ちょっと待ってろ、買って来るから」
「はい、藤原さん」
「……? すぐ戻る」
雪斗は怪訝な顔をして、コーヒーショップに入って行ったけど……残された私は居たたまれない。
手こそ繋いで無かったけど、二人一緒に会社のビルに入って来て……おまけに美月、なんて呼び捨てたら怪しく思われても仕方ない。
別々に入ろうって言ったのに雪斗は聞き入れてくれなかったのだ。本当に積極的に隠す気は無いらしい。
「待たせたな」
周囲の目も気にせず、雪斗は上機嫌で戻りカフェラテを手渡してくれた。
「……ありがとう」
「行くぞ」
雪斗に促され、エレベーターに向かう。見事なほどに堂々とした態度。
雪斗は別れた後の事とか考えてないのかな?
私達の関係じゃ、いつ終わりが来るか分からないのに。
お互い本当に好きな人が出来たら付き合ってる意味が無い。
それなのに、会社で堂々とするなんて。
雪斗は私とずっと一緒にいる気なのかな?
まさか……そんな訳ないか。
そんな彼は仕事が始まると、見事に切り替えて私に見向きもしなくなった。
数人に囲まれて何か打ち合わせをし、時折真剣な表情で指示を出している。
……ああしてれば本当に完璧な男なんだよね。
私も仕事中は集中しないと。
パソコンに向き直り、今日の仕事にとりかかった。
午前中は順調。だけど午後になると疲れが出て来た。睡眠不足のせいだろう。眠いし身体が怠い。
同じような睡眠時間だった雪斗は大丈夫なのかな? 午後はずっと会議のはずだけど。
会議で睡魔に襲われたら、耐えるの大変そうだ。
そんな事を考えてると、いつの間にか真壁さんが私のデスクの隣に立っていた。
「秋野さん、ずいぶん疲れてるみたいね」
「え……」
「ぼんやりして。昨日と同じ服だけど、仕事に影響の出るような遊びは控えたら?」
最悪……服が変わってないことをチェックされていた。
私も気にはしてたんだけど、まさか面と向かって指摘されるなんて。
「す、すみません。気を付けます」
「頼みたい仕事が有ったんだけど、いいわ。他の人に頼むから」
「あ、あの、私がやりますから」
「……大丈夫なの?」
「はい」
「それならこれ。明日までに登録しておいて」
「これは……」
真壁さんが私の机に置いた資料は、一人でこなせる仕事量ではないと思った。
「どうかした?」
彼女だった当然分かっているはずなのに、知らないふりをして聞いて来る。
「真壁さん、この仕事量だと期限が……」
「どうかしたのか?」
私が最後まで言い終えるより早く、いつの間にか会議から戻っていた雪斗が割り込んで来た。
「藤原君……秋野さんに仕事を頼んだんだけど、なんだか不満そうで。さっきから眠そうにしてるし、業務が滞って困るわ」
「……眠そう?」
雪斗は私にチラッと目を向けると、ほんの一瞬ニヤリと笑った。
あの笑い方……絶対、変な事考えていそうだ。
そのくせ何事も無かったかのように直ぐにいつもの顔に戻って、私の机に置かれた資料を取り上げた。
「入力作業だろ? 俺が半分やっておく」
「えっ? 藤原君?」
「真壁もチームリーダーなら、仕事の振り方考えろよ」
雪斗は少し冷たく言うと、自分の席に向かって行った。
「藤原君!」
真壁さんが後を追って行く。
私は半分になった入力資料と共に取り残された。
私の事かばってくれたのかな?
あからさまな言い方はしなかったけど、入力業務も半分の量になったし、真壁さんに釘を差してくれた。
この前の在庫調査の事も有るし、気にしてくれてたのかな。
二人は雪斗の席で、まだ何か話している。
雪斗は無表情だけど、真壁さんは感情的になっているみたいに見える。
心配だけど私が口を出したら余計にこじれそうだし、何も出来ない。気になりながらも、仕事に戻るしかなかった。
気を取り直して、問い合わせが入っていないかメールのチェックをしていると、雪斗からのメールが来た。
顔を上げて確認すると、雪斗の席ではまだ真壁さんが何かを訴えている。
あの状況でメールして来るなんて……何か急用とすぐに確認をした私はぎょっとした。
【今日は接待だから一緒に帰れない。美月は無理しないで早く帰ってゆっくり腰を休めろよ、昨日はちょっと使い過ぎたからな】
こ、こんなメールを会社のアカウントで、しかもあの真壁さんの目の前でするなんて……信じられない!
画面から雪斗にそうっと視線を移す。
彼は相変わらず真面目な顔で、真壁さんの話に相槌を打ちながら、ノートパソコンを見つめてる。
再び、新着メール。
【明日は金曜だし、泊まりな】
あの顔でこんなことを考えてるなんて!
【明日は引っ越し準備なんで、定時で帰ります。それから真面目に働いて!】
急いで返信して雪斗を見ると、難しい顔をして溜め息を吐いたところだった。
あれ……絶対周りは仕事のトラブルだと思っているだろうな。
もしかして、今までもそうだったのかな?
キリッとした顔して、実は変なサイト閲覧してたり……。
疑いの目で見ていると、雪斗のデスクの電話が鳴った。
雪斗は普通に出た。海外からなのか、ごく自然に英語で会話を始める。
……いろいろ出来る男では有るんだけど。
流暢に会話しながら、同時に何か入力までしていて。
次の瞬間、私の画面には、まさかの新着メールの表示。
【そんなに見つめてると、ばれるぞ】
「えっ?!」
私……そんなにあからさまだった?
慌てて周りを見回すと、最後に笑いを堪えたような顔の雪斗が目に入った。
か、完全にからかわれてる。手のひらで転がされているような屈辱感。
もう雪斗を気にするのは止めよう。
浮ついてないで働かないと、半分量になった入力すら終わらなくなりそうだ。
雪斗のおかげで無事仕事が終わり、私は定時で会社を出た。
週末には部屋を移るというのに、まだ準備が終わっていないから早く帰らなくちゃ。
マンションに湊は居なくてほっとしながら、リビングを通り自分の部屋に入る。
楽な部屋着に素早く着替え、夕食も食べずに引っ越し作業を始めた。
貴重品関係やすぐに着る服。化粧品とノートパソコン。お気に入りの本。新しいアパートの部屋は今より狭い。収納スペースが限られているというのに、持って行きたい荷物は沢山有った。
本当は何ひとつ残していきたくない。また水原さんが湊に頼まれて出入りするかもしれないし。
クローゼットの中身を確認しながら出して行くと、昔の写真を見つけた。
湊との懐かしい思い出の記録だ。夕暮れの海で撮った写真に映る私達は幸せそうな笑顔で……今の二人からは考えられない。
この頃は幸せだった。
湊が大好きで……一緒に居ると穏やかで優しい気持ちになれて、いつまでも湊と一緒に居るんだって、何の疑いも無く信じていた。
こんな日々はもう戻って来ない。これからは別の道に進んで行く。
もうあの頃の私達は居ないんだから……。
そう分かっているけど、今より少し幼い幸せそうな笑顔の自分を見ると、胸が痛くなる。
失ったものを実感して……取り戻せない全てが悲しくて。
過去の想いに捕らわれて身動き出来ない私を現実に戻したのは、静かな部屋に響く着信音だった。
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