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「は、はい」
『美月、もう家か?』
低いけど、どこか甘い雪斗の声。
「……うん、今、荷物の整理してたんだ」
『ふーん、で、思い出いの品を見てしんみりしちゃってたとか?』
「えっ?! な、何で……」
いくら何でも、鋭すぎる。まさか、どこかで見張ってるとか?
慌てる私に、雪斗は不機嫌そうに言った。
『適当に言ったけど当たりみたいだな』
「て、適当……」
『まあ美月は未練の女だから、多少は予想はしてたけどな』
「……」
何だか気まずい。一応雪斗と付き合ってる訳なのに、こんな未練がましくて、更にそれを見透かされちゃって……気分を損ねちゃったかな?
『やっぱり明日は泊まりな』
「え?」
『その部屋に帰したらいつまでも前の男の事ばっか考えるだろ?これ決定だから逆らっても無駄だからな』
な、何て強引な……でも雪斗らしい気もするけど。
『聞いてるか?』
「うん、聞いてる」
強引過ぎるけど、雪斗と話していると気持ちが浮上する。
電話をかけて来てくれて良かった。
あのまま一人で悶々としてたら、いろいろマイナスな事ばかり考えちゃったかもしれない。
「電話くれて良かった。まだ仕事中なのにありがとうね」
「……」
「雪斗?」
なぜ、ここで沈黙?
と、思った直後、含み笑いの雪斗の声が聞こえ来た。
「美月、明日は寝れないんだから、今日は早く寝ておけよ」
また変な想像してる気が……仕事中だってあんなメール送る位だし。
そう言えば、メールの件の文句を言っておかないと!
「ねえ、会社のメールってシステム担当が監視してるんだよ」
「それがどうしたんだ?」
「どうしたって……だから変なメール送らないでよ、あんなメール見られたら……」
恥ずかしいだけでなく、厳重注意されるだろう。それなのに雪斗は全く気にしない様子で言う。
「全員のメールを一字一句見てる訳ないだろ? 問題や禁止ワードが有った場合チェックされるだけだろ」
「でも…」
雪斗は目立つし、チェックされちゃうかもしれない。
そんな事になったら……。
「だいたい俺は変なメールなんて送ってないし」
「は?だって、腰って…使いすぎたって……」
「棚卸しで腰を痛めた後輩を気遣っただけだろ?」
た、棚卸しなんて一言も書いて無かったじゃない!
「あの、明日は泊まりってのは?」
「泊まり覚悟で残業なって意味だけど」
「……!」
「変に受けとったのは美月だろ? 何、想像したんだ?」
雪斗はそれは楽しそうに言う。
「美月って結構ヤラシイのな」
こ、この男、口から産まれて来たのかも。
もうしんみりした気持ちなんて、一ミリも残ってない!
宣言通り、金曜日の夜はろくに眠らせて貰えなかった。
雪斗は激しくて執拗で。
翌朝目が覚めた時は、身体中が怠くて……。
それなのに雪斗は、爽やかすぎる笑顔でおはようのキスをして来た。
疲れなんて少しも見えない、クマ一つ無いつやつやした顔。
三日前は一緒に泊まり、一昨日は接待。
そして昨夜も夜更かしして、私と同じだけ疲れたはずなのに……どんな体力してるんだろう。
「なんかだるそうだな。今日、引っ越しなのに大丈夫か?」
分かってたなら少しは手加減して欲しい。
内心そう思いながらも、上機嫌の雪斗を見てると文句を言う気は消えて行く。
「荷物は減らしたから少ないの。引っ越し先の部屋は家具付きだし大丈夫」
「今の部屋の家具とかはどうするんだ?」
「それは来月部屋の契約が切れる時、何とかする。まだ湊が住んでるし、今すぐは運べないから」
冷蔵庫や洗濯機は私が買った物だけど、無いと困るだろうし。
「ふーん。で、あいつは美月が部屋を出ることについて何て言ってるんだ」
「……まだ言ってない」
「は? 何でだよ」
「言う機会が無くて……」
結局、湊は帰って来なかったから。
喧嘩したまま、私達は顔を合わせていない。
湊も私を避けてるのかな?
あの夜、私を見下ろした目は本当に憎しみに溢れてた。
思い返してみれば、私も勢いでキツい言葉を言った。
彼女を悪くも言ったし。
湊が彼女を大切に想ってるのなら、怒るのは当然だけど……でも手を出されるとは思いもしなかった。
昔の湊からは考えられない。女に手荒な事なんて絶対にする人じゃ無かったのに……そこまで、私を嫌いだって事なのかな。
「おい、いい加減現実に戻れよ」
突然聞こえて来た雪斗の声。
「え……何?」
「何? じゃないだろ? また前の男のことを、ウダウダ考えてただろ?」
ウダウダって……当たってるけど。
「俺の存在、すっかり忘れてただろ」
「ま、まさか……」
一瞬、忘れてましたとは絶対言えない。
雪斗はしんみりした様子で呟いた。
「俺はこんなに近くに居るのにな」
「あ、あの、ごめんね……」
慌てる私に、雪斗は突然ニヤリと笑ってみせた。
「まあ、今回は俺から話題振ったから仕方ないか。けど、次現実逃避したら許さないからな」
「ゆ、許さないって?」
「ちゃんと償って貰うからな」
「え……」
「それはそれで楽しそうだな」
いったい何をされてしまうの?
予想もつかないけど、雪斗の含み笑いを見ると嫌な予感しかない。
「雪斗、償いって何?」
「……」
反応無し。
人の事文句言いながら、自分が妄想世界に現実逃避してるんじゃ……この顔、絶対何か企んでる。
雪斗はそれからしばらく妄想世界を楽しみ、私の存在を忘れている様だった。
仕方ないので放置してシャワーを浴びに行く。
熱いお湯をたっぷり使い疲れを取ってから戻ると、雪斗も現実世界に戻って来ていた。
「今日はどうする?」
「どうするって?」
「この後の事だよ」
「……私、これから荷物運ばないと。それに新しい部屋でもいろいろやることが有るし」
「手伝おうか?」
「え、雪斗が?」
なんだか戸惑ってしまう。
雪斗が当たり前の様に、今日どうする?って聞いて来るから。
引っ越しも手伝おうか?って言って来るし。
彼は多忙な人ってイメージが有った。交友関係も広くて、休日の予定はいつも埋まっている様な……私の勝手な想像だけど。
でも実際の雪斗は躊躇いなく休みを私と過ごすために使おうとする。
こんなにずっと私と居て大丈夫なのかな?
考えてみれば私は雪斗の私生活は殆ど知らない。
好きな食べ物は何か、休みの日は何をして過ごしてるのか。
雪斗がどこに住んでるのかさえ知らない。
こっそり結婚して、速攻で離婚していて……凄い秘密だけは知ってるんだけど。
突然始まった私達はお互いのことをあまりに知らない。
雪斗だって私の恥ずかしいところは散々見てるけど、でも私を分かってくれてる訳じゃない。
それは不確かで酷く脆い関係に思える。
元々、湊を忘れて前向きになる為付き合ったんだけど、それでいいのかな?
「美月?」
雪斗はどう思ってるんだろう。
あまり深く考えていない?
それとも、割り切って付き合ってるから、問題無いと思ってる?
やっぱり私に雪斗の心は分からない。
「おい、返事しろよ」
でもこの関係を心地良く感じる。
たった数日しか経ってないけれど、今は雪斗とこうなって良かったと思う。
「新しい部屋に入ったら電話するね」
先は分からないけど、今の私は雪斗との時間に救われている。
「ああ、俺が行くまで誰も入れるなよ」
強引な言葉だけど、優しい雪斗の笑顔。
今はまだこの関係を続けたい。