(あ、やばい。この子、めちゃ好みのタイプだ)
荒木羽理と初めましてをした時に似た感覚に包まれて、岳斗は引き寄せられるように彼女の傍らにひざを付いていた。
「大丈夫? 怪我したの?」
すぐそばに寄ったから気付いたけれど、彼女はひざから血を流していた。
「立てる?」
「あ、あの……」
しかも泣いていたのか、愛らしいアーモンドアイを縁取るまつ毛が涙に濡れているから。岳斗は思い切り庇護欲を掻き立てられた。
「ああ、ごめんね。いきなり知らない男に声掛けられたりしたら怖いよね。――えっと……僕はこういう者だよ」
とりあえずそれがどのくらい役に立つかは分からないけれど、身元を明かす意味も込めていつも持ち歩いている名刺を差し出したら、目の前の女の子は条件反射で受け取ってしまったそれに視線を落とすなり、
「あ、あのっ、……ごめんなさい! 私、今、お名刺を持っていないんです……」
と申し訳なさそうに眉根を寄せる。
「ああ、そんなこと」
別に仕事として名刺を差し出したわけじゃない。
泣き濡れた目をしているというのに、どこかクソ真面目でズレた言動をした目の前の女の子への好感度が、さらにグンと上昇したのを感じた岳斗だ。
「仕事じゃないから問題ないよ?」
クスッと笑いながら言って、再度「立てる?」と手を差し伸べたら
「あの、倍相さん、私、手が汚れてるので」
その子は戸惑った顔をしてそんなことを言ってくる。
「気にしないで?」
言いながら「ごめんね」と一応謝って、戸惑いに揺れる女の子の手を取ってから、岳斗は「名前、聞かせてもらっても良い?」と小首を傾げてみせた。
「あ、あのっ、杏子。美住杏子です」
岳斗の顔に興味を持つわけでもなく、ただただ他者に泣き顔を見られるのがしんどいみたいに彼女――杏子が視線を逸らすのが、岳斗にはますます好ましく思えたのだ。
「美住杏子さん。とりあえずこんな寂しいところに一人でいちゃダメだ。家の近くまで送るよ」
神社の敷地内に植えられた木々がこんもりとした杜の様相を呈していて、ちょっと離れたところにあるコンビニの明かりや街灯の光源を遮っている。
それもあって他所より薄暗く見えて、岳斗は杏子を気遣いながら、彼女を怖がらせないであろうギリギリのラインを提示した。
***
いきなり目の前へ現れた男性に、無様にひざまずいたままでいた所を優しく抱き起こされた杏子は、呆然としたままその人――倍相岳斗というらしい――の指示に従いながら、ふと自分が泣きべそをかいていたことを思い出した。
暗くてよく見えないけれど、恐らく彼は自分と同年代くらいだろう。
家までではなく、家の近くまで送ると言われたところに、倍相の誠実さを垣間見た気がして、そんな人にこんなみっともない顔をさらしているのは同情を引く行為のようで恥ずかしいと思ってしまった。
「あ、あの……、うち、すぐそこのアパートなので一人で大丈夫です」
倍相に顔を見られないよううつむきがちになったまま十階建ての女性向けアパートを指さしたら「わ、奇遇だね。僕もそこに用があったんだ」と言われて驚かされる。
自分が住んでいることでも分かるように、あのアパートには単身女性しか住んでいない。そこに用があるということは、きっと恋人に会いに行くんだろう。
もしかしたらお母様か、ご姉妹が一人で住んでいらっしゃるのかも知れないけれど、何となく直感的にその可能性は低いだろうなと思った。
さっき、|大葉《たいよう》に横恋慕しそうになって、コテンパンに打ちのめされたばかりだ。愚痴をこぼした途端、三毛猫にも呆れられてしまったし、他人様の恋路を邪魔するなんてことはしてはいけない。
「あのっ、だとしたら尚のこと送っていただくわけにはいきません。私、一人で大丈夫ですので」
ソワソワしながら、やんわりと倍相の手を振り解こうと取られた腕を引いたら、クスッと笑われてしまった。
「もしかして、僕が恋人に会いに行こうとしてると思って遠慮してる?」
図星だったので、杏子がうつむいたまま無言でいたら、「そういう相手じゃないから気にしないで?」と言われてしまう。
「あ、あの。じゃあ……ご家族ですか?」
恋人じゃないなら家族――母親や姉妹かな? と思って何の気なくそう口走ってから、杏子はぼんやりしていたとはいえ初対面の相手に何て不躾に突っ込んだ質問をしてしまったんだろうと反省した。
「ごめんなさいっ。私……」
慌てて謝ったら「別に構わないよ?」と何となく寂しそうな声音を落とされて、( もしかして、ご家族のことはタブーだったのかも?)と杏子は一人オロオロしてしまう。
話しながら歩いているうち、いつの間にかコンビニ前まで来ていて、倍相が名案を思い付いたように「そうだ」とつぶやいた。
その口調から、先程までの仄暗い雰囲気が払拭されていることにホッとしながらすぐ横に立つ倍相の顔を見上げたら、今までは暗くてよく分からなかったけれど、彼は結構な美形だった。
(わぁー。たいくんとは違う系統のイケメンさんだ)
きっと、さぞやモテるんだろうな? と思ってから、杏子はまたしても自分が下世話なことを思っていることを即座に反省した。
邪念を振り払うようにふるふると首を振ったら、クスッと笑われる。
「ここのベンチにちょっと座って待っていてくれる? すぐ戻ってくるから」
言って、杏子をコンビニ外へ置かれたベンチに座らせると、倍相はこちらの返事も待たずに小走りでコンビニの中へ入って行ってしまう。
「あ、あのっ」
呼び掛けたけれど間に合わなくて、杏子は仕方なくその場で待機する。
手持無沙汰にあかせて、先ほど倍相に貰った名刺――さっきは名前のところしか見ていなかった――に改めて視線を落とした杏子は息を呑んだ。
「土恵商事って……」
確か土井恵介が経営している会社の名前だ。お見合いする気で父親から聞かされた話だと、|大葉《たいよう》は伯父さんの会社で何やら部長さまをやっているという話だった。
(倍相さんは財務経理課長のようだけれど、もしかしたらたいくんと知り合い?)
そんなことを思いながら名刺を握りしめていたら、店内から出てきた倍相が、目の前に立っていた。
「僕の勤め先、知ってるの?」
思わずつぶやいた言葉を聞かれてしまっていたらしい。
「あ、あの……」
ソワソワと視線を揺らせる杏子の前にしゃがみ込んだ倍相が、「ちょっとごめんね」と断りを入れてから買ってきたばかりのコットンに消毒液を染み込ませてから杏子のひざにポンポンと押し当ててきた。
「ホントは流水で洗い流すのが一番なんだけどとりあえず応急処置ね」
言いながら杏子の傷口を丁寧に清めてから、やはり一緒に買って来てあったんだろう。ビニール袋の中から絆創膏を取り出すと傷口に貼ってくれる。
「勝手にごめんね。血が流れたままなのが気になっちゃって。そんなに深い傷じゃないから、痣にはならないと思うけど……化膿したりしたら大変だから」
杏子が、「よし出来た」と立ち上がった倍相を驚き顔で見詰めていたら、「で、えっと……杏子ちゃん? は僕の勤め先を知ってるの?」と先程聞かれた質問を再度投げ掛けられた。








