プロローグ
ザァァァァ…
─雨が降っている。空は薄暗く、当分止みそうにない。
人々は皆傘を差して歩いているが、1人、たった1人だけ、傘を差さずに裸足で赤ん坊を抱きかかえて走る少年がいた。
「なんで…どうしてこんなことに…」
1.どうして
昔はあんなんじゃなかったのに。
(俺は、虐待児だった)
父親が単身赴任で渡米して、それからはずっと母親と二人暮しだった。
『あんたなんか産まれてこなければ…!!』
母親は事ある毎に少年に暴力を加えていた。少年は毎日殴られ、蹴られ、痣だらけでボロボロだった。ベランダに寒い中放り出されていた時期もあった。
だが、少年はそれが当たり前だと思っていた。自分が悪いのだと思っていたし、周りに助けてくれる人間もいなかったから、こういう人生なんだと思って過ごしていた。
妹が産まれるまでは。
少年が7歳のとき、妹・杏咲が産まれた。妹はとにかく可愛くて、母親も妹をしっかり育てていた。
一方で、少年への暴力は止まらなかった。時々、魂が抜けたかのように無気力になっていることもあったが、妹に危害を加えることはなかった。
杏咲が生まれる直前に父が死に、母を少し心配していたが、少年は妹が何事もなく無事で心底安心した。
だが1年後、恐れていたことが起こってしまった。
母親が家事をしないため、少年が洗濯物を干しに行っていた時だった。
リビングに戻り、少年は息を飲んだ。
母親が…妹に包丁を突き立てていた。
「杏咲!!!」
少年は叫び、咄嗟に母親と妹の間に滑り込んだ。
その瞬間、少年の視界が赤黒くなった。
我に返って下を見ると、まだ小さかった自身の両手が返り血で真っ赤に染まっていた。
少年はその日、実の母親を殺してしまった─。
1.恐怖
「ハァッ…ハァ…」
少年はその直後、怖くなって妹を抱きかかえて家を飛び出した。手の返り血は落としたが、顔についた血は落ちなかった。
雨が降る東京を子供、しかも小学生が返り血を受けながら走り去ったら誰だって不審がるはずだ。人目を避けるため、少年は裏路地に逃げ込んだ。
その時。
目の前に誰かがいる気配がした。
「…誰…?」
影を纏い、現れたのは全身真っ黒な背の高い、長髪の男だった。
男は不敵な笑みを浮かべながら言った。
“組織”へ入れ、と。
2.組織の名
「組織…?」
「行くあてがねぇんだろ?見れば分かる」「い、嫌だ…」
少年は妹を守るように後退りした。だが、男は尚も言い募る。
「お前に残る選択肢は2つ。組織に入って生き延びるか、ここで妹を殺されて野垂れ死ぬか」
「ッ…!」
男の目は狂気に満ちた目だった。
今ここで男の望む応えを出さなければ死ぬ。そう思った少年は覚悟を決めた。
「組織に…入る」
男は嗤った。
そして、何年経っただろう。
「バレンシア。次の仕事だ」
少年は”バレンシア”というコードネームを授けられた。
人を殺し、物を盗み、また人を殺し…。
拳銃を持つと、罪悪感と恐怖に駆られて、動悸と震えが止まらなくて。それでも尚、人を殺して。毎日その繰り返しだった。
一度、組織内で仲良くなった歳上の男がいた。
「俺はもう殺しなんてしたくねぇ。少年見てろよ。今夜にでもここから逃げてやるんだ」
男はそう言って拳を握った。
だが、次にバレンシアが見た男の姿は、死人となって冷たくなった姿だった。
組織を抜けようとしたものは容赦なく殺される。バレンシアはその時思い知った。だから苦しくても逃げられなかった。
それでも、
「兄さん。そろそろ帰ろう」
たった1人の妹の存在が、少年の心を救った。この時13歳だった妹は、既に”ソライア”とコードネームを授けられていた。
3.ソライア
ソライアは物心ついた時から組織にいた。
「組織に反抗する者は容赦なく殺せ」。
そう教わってきたから。殺さないと自分が殺されるのだと分かっていたから。毎日、毎日、罪を犯し続けた。
あれはソライアが19歳、バレンシアが26歳の頃だった。
ある日、ソライアがバレンシアの元へ行くと、バレンシアは敵であるはずのNOCを逃がしていた。
「何してるの…兄さん…そんなことしたらジンに…」
殺される、と言いかけたその時。
「アイツらはみんな、自国のために尽くしているだけなんだ。いつ死ぬかも分からない、そんな環境で、誰かを守るために戦うアイツらを殺すなんて…」
俺にはできないよ、と、兄は静かに笑った。
目の前にいる兄は、優しすぎる人間だった。
4.突然
「ちょっと俺出かけてくる」
「え?」
その日の夕方、バレンシアはそう言った。
「何で?任務?」
「いや、ジンに呼ばれてるんだ。話があるって…」
今まで1対1の話し合いなんてあっただろうか。ソライアは少し心配になった。
「まっ…待って。行かないで…」
「? 大丈夫だって!大した話じゃない感じだったし、どーせ次の任務のこととかだろ?あーそれ、戻ったら食べるから残しといてくれよな」
バレンシアが冗談めかした声で机の上にあるチーズケーキを指さした。このチーズケーキは、料理が苦手なソライアが兄のために頑張って作ったものだった。
「…分かった。気をつけてね」
ソライアは玄関先で兄を見送った。
そしてそのまま、兄が帰って来ることはなかった。
「バレンシアを殺した」
余りにも突然過ぎた、別れの瞬間だった。今でも覚えている。あの時のジンの声、顔。憎くて憎くて堪らなかった。
周りは皆嘲笑って去っていく。同情なんてしてくれない。
そして私は決めた。これから先の生涯を、全て組織壊滅のために捧げると─。
続
コメント
2件
おぉうおぅ親友やないかい アールグレイ…だから ちゃちゃ でいいか(適当) ありがと〜> ·̫ <
第1話楽しみにしておりました✨ ソライアちゃんが料理が苦手なのにバレンシア君にチーズケーキを作っていたところがソライアちゃんなりのバレンシア君に対する愛情表現なのかなと思いました。だけど折角唯一の家族である兄に作ったチーズケーキを食べてもらえることができなかったところが切ないです😭💔 たけのこさんの文の構成や雰囲気が大好きになりました💓 第2話も楽しみにしております😌🍀