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補給基地の医療棟。窓の外には漆黒の夜が広がり、わずかな月明かりが白いカーテン越しに差し込んでいた。廊下はひどく静かで、遠くで機材の電子音だけが小さく響いている。
その静けさの中、ラビはそっとドアを押し開けた。
ベッドの上では、レナが薄い病衣のまま眠っていた。包帯の巻かれた左腕が胸の上に置かれ、安らかな寝息がかすかに聞こえる。
病室で見るその横顔は、戦場で見せる鋭さとは違い、どこか儚く、守りたくなるようなものだった。
ラビは一歩踏み出しかけ、思わず立ち止まり、踵を返そうとした。
――その気配に気づいたのか、レナがゆっくりと瞼を開いた。
「……ラビ」
呼びかけられ、ラビは照れ隠しのように頭を掻いた。
「や。ごめん、起こしちゃった? 調子はどうだい」
レナはかすかに微笑み、ゆるく首を振る。
「いいよ。……来てくれてありがとう」
ラビはベッドの脇に腰を下ろし、視線を窓の外に逸らした。普段の彼女なら、すぐに冗談で場を和ませるところだ。けれど目の前のレナは、白い病衣に包まれた細い肩を小さく震わせ、あまりに弱々しく見えた。
戦場で共に荒野を駆け抜けるあの姿とはかけ離れていて――胸の奥がひどくざわついた。
「……なあ、レナ。あんたはもう十分戦ったよ。次は、少しぐらい戦場から距離を置いたっていいんじゃない? 何も前線で命を張らなくたって、軍には仕事は山ほどある。……できれば、戦場じゃない場所で、レナには普通に笑っててほしいんだ」
レナはわずかに目を見開いたが、すぐに視線を落とした。
「……そう言ってもらえるのは、嬉しいよ」
「でもね、ラビ――負けられないんだ。私は」
静かに吐き出したその言葉には、揺るぎない決意が宿っていた。
ラビは一瞬言葉を失い、窓際から差す光に照らされたレナを見つめた。
月明かりが彼女の頬を白く染め、儚さの奥に確かな強さを秘めているように見える。
「……でも今日は、あなたがいてくれなかったら、私は――生きてここにいなかった」
「……ほんとに、ありがとう」
その静かな言葉に、ラビはしばし返す声を見失った。
けれどすぐに肩をすくめ、いつもの笑顔を浮かべてみせる。
「……へへっ……でもな、二回目からは有料だぜ?」
医療棟のベッドに腰をかけたボリスは、頭に巻かれた包帯を弄びながら深いため息をついた。
「……はぁ、やっぱり腕が鈍ってるな。一発も当てられなかったのが何よりの証拠だ」
傍らに立つカイは、黙って彼を見下ろしていたが、やがて苦笑した。
「……俺も同じだ。操作も判断もワンテンポ遅れてた。あれじゃ完全に“狩られる側”だったな」
「楽な仕事ばっかり引き受けてたせいで、腕がなまってたんだろうな。自分で気付かないくらいの下り坂を、ずっと下っていたんだ」
ボリスは鼻を鳴らし、腹を軽く叩いた。
「……こいつのせいもあるかもな。思った以上に重いんだ、俺自身がよ……昔みたいに動けちゃいねぇ。ちょっと真面目に絞らねえとな。少しは痩せりゃ、俺の勘も戻るだろうよ」
カイが小さく頷く。
「……そうだな。あの二人を相手にするなら、中途半端じゃ勝てない」
そして、彼の視線は窓の外に停められた無残なヴァルチャーに向かう。
ひしゃげた装甲、歪んだフレーム。かつて頼みの綱だった機体は、今やただの鉄くずに見えた。
「……車も考え直す必要がある。補修じゃ済まない。もっと硬く、もっと強く……連中に“勝つための機体”を組まなきゃダメだ」
「つまり新しい“獣”が要るってわけか」
ボリスがニヤリと口角を上げる。
「そうだ」
「俺たちの腕を取り戻すのと同時に……連中を上回る機体を作る。そうしなきゃ、次は生き残れない」
二人の声は低かったが、その重さは医療棟の白い壁に深く響いた。
負けを取り返すための決意が、静かに形を成し始めていた。
補給基地から少し離れた町の外れに、その工場はあった。
錆びたトタン屋根と崩れかけた看板――「MOTOR GARAGE」と掠れた文字が、砂風に揺れている。かつてボリスの祖父が車屋を営んでいた場所で、今では使われなくなった古い油の匂いだけが残っていた。
「……ガキの頃は、ここで弟と一緒にエンジンをばらしては、いつもじいちゃんに怒鳴られてたもんだ」
ボリスは頭を掻きながら、どこか照れくさそうに懐かしげな声を漏らす。その背を追い、ラビとカイも工場の奥へ足を踏み入れた。
軋む鉄扉を押し開けると、そこは時代の針が止まったままの倉庫だった。
壁際には旧世代の車両フレームがずらりと並び、長い眠りについたまま静かに沈黙している。どの車も塗装はところどころ剥げ落ち、窓ガラスは曇り、タイヤはひび割れている。それでも、錆が浮いた鋼鉄の骨組みは、かつての実用性を物語っており、まだ失われていない強さと重量感が宿っていた。
長い年月を経てもなお整然と並ぶそれらは、まるで廃棄された機械ではなく、再び呼び起こされる時を待つ「眠れる巨人」の群れのように見えた。
カイがぽつりと呟く。
「……今のヴァルチャーも、ここで拾ったんだ」
その言葉に耳を傾ける間もなく、ラビは目を輝かせて派手に目に留まったフレームへ駆け寄った。
「なあ見ろよカイ! このフレーム、めちゃくちゃ軽そうだろ? 砂漠じゃ絶対速ぇぞ。ほら、こっちなんてさらにスリムだぜ! 砂煙巻き上げながら疾走したら……もう映える映える!」
彼女は両手を広げてジェスチャーしながら、まるでそれに乗って走る自分の姿を想像しているようだった。
その横でボリスも腕を組み、真剣な目で別の車体を覗き込む。
「確かに……加速なら間違いないな。軽い分だけ立ち上がりは鋭いし、旋回も効く。撃ち合いになっても、機動力で一手先を取れるだろう」
彼は無骨な指で車体の骨組みをなぞり、整備士のように唸り声を漏らす。
「ただし……やっぱり板金は薄いな。乗せれる装甲は少ねえだろうし、正面からのあいつの弾幕を耐えられるかどうか……」
そう言いつつも、彼の表情はどこか少年のように輝いていた。久々に“選ぶ楽しみ”を味わっているのが隠せないのだ。
ラビとボリスは互いに「これだ」「いや、あっちのほうがいい」と言い合いながら、軽快で俊敏そうな車体ばかりを見比べていた。
一方で――カイの足取りは二人とは逆に、工場の奥へと自然に向かっていた。
そこに鎮座していたのは、巨大なシートに覆われた何か。
カイはゆっくりとそのカバーを剥ぎ取った。
現れたのは、旧世代の大型ピックアップトラックだった。
角ばったフレームはまるで削り出した岩塊のように重厚で、見る者に揺るぎない頑丈さを印象づける。後部には広々とした荷台が備わり、荒野を越え物資を運ぶために造られた存在であることを雄弁に物語っていた。
泥と錆に覆われ、時代の風雪をまといながらも――その威容は他の車両を圧倒するような存在感を放っていた。
「……これだ」
カイの声は低く、しかし確信を孕んでいた。
「これぇ? 冗談だろ、カイ」
ラビが苦笑いを浮かべ、ボリスも腕を組んで首を振った。
「そいつはじいちゃんが農園に行くときに使ってた農耕用だ。戦場を走り回る代物じゃ――」
だが、カイは揺るがなかった。
「頑丈で重いフレームだからこそ、生き残れる。ヴァルチャーの心臓を載せるのに相応しいのは……こいつだ」
ラビは興味津々で荷台の後ろへ回り込み、錆びた刻印を覗き込む。
「んん? なんだこれ、“…OYO……TA”? オヨタ? ヘンな名前だなあ」
ボリスは苦笑しつつも口を挟む。
「旧時代のメーカーだよ。じいちゃんは“頑丈さならこれに勝るもんはない”ってよく言ってた」
カイは無言でフレームを見上げ、拳を固く握った。
「この骨組みに、俺たちのヴァルチャーの心臓を移す。そうすれば――きっとまた荒野を駆けられる」
その言葉に、工場は静寂に包まれる。
やがてラビが「おおっ! なんか燃えてきた!」と声を弾ませ、場の空気を少しだけ和ませた。
夕方の巡回が終わる頃、補給基地の医療棟は一日の喧噪を失い、静けさに包まれていた。窓の外では、沈みゆく陽が赤銅色の光を放ち、白い廊下を長く染めている。
ラビ、カイ、ボリスの三人は廊下を並んで歩き、レナの病室の前に辿り着く。
ラビが勢いよく扉を開け放った。
「おいレナ! 新しいヴァルチャー決まったぞ! これがまた――」
言葉が止まった。
ベッドの上にあるはずのレナの姿はなく、シーツは整えられている。
「……いねぇぞ?」
ボリスが眉をひそめる。
ただ、枕元には一枚の手紙だけが置かれていた。
カイは無言で手紙を手に取り、静かに開いた。