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新しく借りたワンルームには、家具と一緒にサボテンがひとつ置いてあった。
たぶん前の住人が置いていったもの。
無骨な鉢に入った、小さな球体。トゲは鋭いけど、どこか愛嬌がある。
「お前、名前あるのか?」
そう聞いても当然返事はない。
でも、ふと頭に浮かんだのは“まる”という音。
勝手にそう呼ぶことにした。
はじめの一ヶ月は、誰ともしゃべらなかった。
リモートワーク。近所付き合いなし。
スーパーのレジすらセルフ精算。
気楽だった。けど、いつの間にか、静かすぎる部屋に息が詰まっていた。
話し相手がほしくなって、気づいたら“まる”に話しかけるようになった。
「今日も天気、晴れだったぞ」
「ネット会議で声、裏返ったわ」
「ていうか、なんでおれはここに来たんだっけな」
サボテンは沈黙の達人だった。
でも、誰かに“話しかけられたまま”の時間って、案外悪くない。
押しつけない、求めない。
この距離感が、ちょうどよかった。
ある日、うっかり水をあげすぎた。
3日後、“まる”の緑が少し黒くなった。
慌てて調べたら「過保護は根腐れのもと」と書いてあった。
申し訳ない気持ちで、「ごめんな」とつぶやいた。
その時だった。
**「君も一人で大丈夫って顔して、実はしんどいんでしょ」**
――そんな声が、部屋の中に浮かんだ気がした。
いや、声じゃない。
頭に直接、届いた感情のかたまりのようなもの。
それから少しだけ、人と話すようになった。
コンビニで「ありがとう」を言う。
廊下ですれ違った隣人に会釈をする。
一歩外に出てみると、案外、世界はトゲトゲしていなかった。
春になって、“まる”が小さなつぼみをつけた。
あんな無口なやつでも、咲くときは咲くんだな、と思った。
部屋には今、小さな棚が増えて、観葉植物がひとつ増えた。
でも“まる”の隣だけは、あけてある。
それが、このサボテンとの正しい間合いだと思うから。