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二人の騎士が初めて尖塔を訪れた日。 居間には、針の落ちる音さえ響きそうな、妙な緊張感が漂っていた。古びた丸い卓を三人が囲っている。
ソラス。
騎士ユスティナ。
そして、所長フラスニイル。
事情聴取は、つい先ほど終わったばかりだった。ソラスは視線を泳がせ、借りてきた猫のように小さくなり、膝の上で指をこねくり回している。
「……では、本日の聞き取りは終了とする」
フラスニイルが、ぱらぱら、と紙束をまとめながら言った。その動作ひとつでソラスの肩が小さく跳ねる。
「……はい。……お疲れ様、でした……」
消え入りそうな声で、ソラスは息をついた。
「長かった……とても……寿命が、三年くらい縮んだ気がします」
「君が脱線するからだ」
ユスティナが呆れたように腕を組む。
「”魔術の起源”について質問したのに、なぜ編み物の話になる」
「だ、だって……」
ソラスは上目遣いで言い訳をする。
「騎士さんの質問の空気が、あまりに寒くて」
「寒くて?」
「だから、マフラーの話をした方が温まるかなっていう……配慮です」
「いらん配慮だ」
フラスニイルはこめかみを揉んだ。卓の下で黒猫が、やれやれ、と欠伸をしたような気がした。
「……ともかく、聞きたいことは概ね確認できた。危険性は、今のところ低いと判断する」
「ひ、低いって何ですか……?」
ソラスが不安げに身を乗り出す。
「成績表で言うと、赤点ですか?」
「いや、高くないという意味だ。安全寄りということだ」
「……曖昧、ですね。もっとはっきり”優”とかくれませんか」
「事実はだいたい曖昧なものだ」
ユスティナは深いため息をついた。この少女、怯えているのか図太いのか、判断に苦しむ。
「それより、さっきから気になっているんだが」
「は、はい! 何でしょう! 自白ですか!?」
「違う。……なぜ、聴取の最中に、ずっと何かを煮ている」
こと、こと、こと。卓の端に置かれた火鉢の上で、小さな銅鍋がリズミカルな音を立てていた。白い湯気は、緊張感のない香りを漂わせる。
「あ、お茶です」
「聴取の最中に?」
「お二人が、たくさん喋って喉が渇きそうだったので……」
「尋問中にティータイムの準備をする容疑者がどこにいる」
ユスティナは絶句した。少しだけ目を丸くして、フラスニイルは鍋を覗き込む。
「これは……薬草か? 少し癖のある匂いだが」
「はい。喉と、あとイライラに効く薬草です」
「誰がイライラしていると?」
「えっと、主に……赤い髪の……」
ソラスがちらりとユスティナを見る。ユスティナのこめかみに青筋が浮かんだ。
「……飲みます?」
てきぱきとした仕草で、ソラスは木の杯にお茶を注いだ。琥珀色の液体が揺れる。ユスティナは、まるで爆発物を見るような目でそれを見た。
「毒は入っていないだろうな」
「入ってたら、先にユイスが飲んで倒れてます」
「毒見役か? あの少年は」
「……味見係、です」
フラスニイルは観念したように杯を受け取り、香りを嗅いでから一口飲んだ。一瞬、眉が上がる。
「……ほう」
「痺れますか?」
「いや……うまいな」
「でしょ?」
ソラスの顔が、ぱあっと明るくなった。ユスティナも、所長が飲んだならと、渋々口をつける。
「……ん」
「どうですか?」
「悔しいが、悪くない。身体が温まる」
「よかった! 煮出してる最中に”呪いの儀式か”って聞かれた時は泣きそうでしたけど」
しばらく、妙に平和な沈黙が流れる。湯気の向こうで、張り詰めていた空気が少しずつ溶けていく。ユスティナが杯を両手で包みながら、ぽつりと呟く。
「塔に棲む魔女と聞いて、もっとこう、禍々しいのを想像していた。お前は魔女の通例と違う」
「禍々しいのって?」
「……薄暗い地下で、大鍋で怪しい紫色の液体をかき混ぜるとか」
「それ、今やってましたけど」
「規模と色が違う!」
階段の上で、耐えかねたユイスの吹き出す音がした。初老の男は杯を持ったまま、ハシバミ色の目でソラスをじっと観察している。
「君は、不思議な子だな」
「……よく言われます。あと”ズレてる”とも」
「自覚はあるのか」
「あります。直そうとはしてるんですけど」
ソラスがしょんぼりと肩を落とす。その様子は、年相応の少女にしか見えない。卓に肘をつき、ユスティナは少しだけ表情を緩めた。
「……少なくとも、今すぐ手錠をかける必要はなさそうだ」
「て、手錠……!?」
「比喩だ。気にするな」
「気になります! 金属過敏かもしれないし!」
その時、黒猫が卓の上にぴょんと飛び乗った。ユスティナの目の前を横切り、あろうことか彼女の膝の上で丸くなろうとする。
「うわっ!?」
ユスティナが椅子ごと飛び退いた。
「な、なんだこの猫は! 使い魔か!?」
「住人です」
「住人?」
「私より先にここにいました。先輩です」
フラスニイルは猫を見つめ、何かを考えるような顔をしたが、すぐに首を振った。
「……いや、考えすぎか。ただの猫に見える」
「この子、事情聴取の間、ずっとユスティナさんの後ろにいましたよ」
「なぜ私の後ろに? 隙を狙っていたのか」
「たぶん、ユスティナさんの背中が一番あったかそうだったから」
「理由が平和すぎる」
ユスティナが脱力して椅子に座り直す。猫は不満そうに一つ鳴き、今度はフラスニイルの書類の上で寝転んだ。
「この塔、だいたいこんな感じなんです」
ソラスが困ったように、でも少し安心したように笑った。二人の騎士は顔を見合わせる。そして同時に、張り詰めていた肩の力を抜いた。本来なら警戒し、監視し、評価する対象のはずの危険因子。それが薬草茶を淹れ、猫の自慢をしている。
「……報告書、どう書くかな」
フラスニイルがぼそりと呟く。
「”対象、尋問中に薬草茶を振る舞う。味は良し”とか」
「ふざけているのか」
「え! 事実です!」
「上層部が発狂する」
フラスニイルが苦笑し、残りの茶を飲み干して立ち上がった。
「行くぞ、ユスティナ。長居すると、夕飯まで出されそうだ」
「そうですね」
帰り際、重厚な石の扉が、低い音を立てて開かれる。外の世界は、もう茜色に染まり始めていた。塔の中に籠った空気とは違う、森の湿り気と、夕暮れの乾いた風が入り混じって吹き込んでくる。
ソラスは、扉のところまでついてきた。まだ少しおっかなびっくりだが、その瞳には敵意はない。むしろ、名残惜しそうな色さえ揺れている。
「あ、あの……」
指先をすり合わせつつ、少女が声を絞り出した。
「なんでしょう」
「……また来てくださいね」
ふと、背を向けて歩き出そうとしていたユスティナの足が止まる。ソラスは慌てて付け足した。
「い、いえ、事情聴取とかじゃなくて! その……お茶、違う種類もあるので。酸っぱいのとか、苦いのとか」
「苦いのは勘弁願いたいが」
フラスニイルが肩をすくめて苦笑する。ユスティナは、振り返らないまま、少しだけ沈黙した。風が、彼女の赤い髪を揺らす。
「……来ない」
硬い声だった。
「我々は騎士だ。茶飲み友達ではない」
拒絶の言葉。ソラスがしょげたように”……そう、ですよね”と小さく肩を落とす気配が、背中越しに伝わったのだろう。ユスティナは、ほんのわずかに顔を巡らせ、夕陽の方角を見ながら言葉を濁した。
「……だが、巡回の経路だ」
「はい?」
「必要があれば、立ち寄ることもある」
それは、精一杯の、不器用すぎる妥協点。フラスニイルが、やれやれと音の出ない溜息をつく。
「茶の味も、忘れていなければな」
付け足された言葉に、ソラスの顔がぱあっと華やいだ。夕焼けよりも鮮やかな笑みが咲く。
「忘れないように、濃いめに淹れます!」
「濃くするな。……じゃあな」
ユスティナはバツが悪そうに、逃げるように早足で歩き出した。フラスニイルが、ひらりと片手を挙げてそれに続く。ぎぃ、と重い音を立てて扉が閉まると、塔の中に再び静寂が戻った。
卓の上には、まだ温かい空の杯が三つ。部屋の隅々には、独特な薬草の香りが、淡い余韻のように漂っている。やけに美味しかったお茶の記憶が――切なくなるほど温かいものとして、三人の胸に刻まれたのだった。