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第5節 桐生百合香『その花を受け取ったら』―2―
彼女は、雄相会会長の妻だからこそここには来られないのだと気が付いて、切ない気持ちになった。
百合香は、そのどちらでもない。
だからこそ、ここに立てる。
――半端者だから、選ばれた。
その事実が、胸の奥に重く沈んだ。
***
会場へ向かう道中――。
佐山が運転する車のリアシートで、百合香は窓の外をぼんやりと眺めていた。
街は穏やかで、どこか祝福に満ちているように見える。
運転席に座る佐山は、無言のまま車を走らせている。
芽生に〝ぶんぶん〟なんて呼ばれて懐かれていた頃の面影が、ふと頭をよぎった。
真面目で、誠実で。
けれど――。
百合香は、この男が少し苦手だった。
理由は分かっている。
きっと佐山は、百合香のことをよく思っていない。
車内には、静かなエンジン音だけが流れていた。
会場へ向かう道は混み始めているらしく、車は何度かゆっくりと減速を繰り返す。
助手席に置かれたスマートフォンへ一瞬だけ視線を落としてから、佐山は前を向いたまま口を開いた。
「……百合香さん」
「なに?」
百合香はルームミラー越しに佐山を見つめた。
けれど、先に呼び掛けたくせに佐山はすぐには続けない。
何かを迷うみたいに、ハンドルを握る指先へわずかに力が入った。それが後部シートからも見て取れて、百合香はなんとなく察してしまう。
(……ああ。これは、あまり聞きたくない話ね)
そんな予感がした。
「……俺、ずっと思ってたんです」
低い声が、静かな車内に落ちる。
「百合香さんは、もっと普通に幸せになれる人だって」
「……普通って人並みに、ってこと?」
百合香は小さく笑った。
自分にはそんなの、もう縁のない言葉みたいに聞こえる。
雄二が自分以外の女性と所帯を持った時点で、とっくに諦めている。
でも、本当にそう言い切れるだろうか。
その迷いが、揺れる瞳に出てしまったのかもしれない。
そんな百合香の表情を、佐山はルームミラー越しに見ている。
「俺は、三井のアニキから色々話を聞かされてきました」
ぽつり、と独白みたいに続ける。
「だから多分、考え方もそっち寄りなんだと思います」
三井は昔から、雪絵のことを誰よりも気に掛けていた。
雄二の話によれば、幼い頃から雪絵の傍に仕え、守り続けてきた男なのだという。
雄二が雪絵の付き人を命じられて以降表立って彼女の前へ姿を現すことはなくなったらしいが、それでもなお、陰ながら雪絵を見守り続けていることは、百合香も感じ取っていた。
そしてその献身こそが、雄二が百合香のもとを訪れる際の大きな障壁となっていることを、百合香自身、身を以て痛感させられている。
まぁそれは当たり前だ。
雄二の妻として、夫が囲う百合香の存在に耐え続けてきた雪絵を守りたい三井にしてみれば、百合香は邪魔者以外のなにものでもないのだから。
なにより目の前の佐山もまた、たったいま百合香に、三井の考えを引き継いでいると言った。
けれど。
百合香は、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。
三井から向けられる剝き出しの敵意が、佐山からは感じられないのだ。
責められているというより、敵であるはずの百合香のことですら、どこか案じてくれている気配がする。
「……俺、今のままじゃ、誰も幸せになれないんじゃないかって、ずっと思ってました」
淡々とした声。
責めるでもなく、感情をぶつけるでもなく……、ただ、自分の気持ちを並べているだけの声音。
ミラー越しに見える佐山の表情はどこか切なげで、反論はおろか、言い訳する気すら起きなかった。
だからこそ、佐山の言葉は、容赦なく胸へ突き刺さってくる。
「俺は百合香さんはさっさと千崎さん……あー、えっと……カシラとは決別して、全く別の場所で、新しい恋に生きるべきだと思っています」
一瞬だけ呼び方を迷って、言い直した佐山に、百合香は小さく目を伏せた。
千崎さん。
カシラ。
その呼び直しだけで、佐山の中にある線引きが分かる。
佐山にとっても雄二は、もう単なる一人の男じゃない。
雄相会を率いる人間なのだ。
コメント
2件
佐山さんは三井さんの手下だもんね。ゆきえさん派だよね
お疲れ様です、今回の百合香さんのパート、めちゃくちゃグッときました。「半端者だから選ばれた」って自己認識が切なすぎる……。佐山との車中、互いにわかり合えないもどかしさがひしひしと伝わってきて、読んでて胸が苦しかったです。それでも佐山が「ちゃんと幸せになってほしい」と思ってるのがにじみ出てるのがまた泣ける。三人四様の事情が重なってて、この先どう転ぶのか本当に気になります。続き、待ってます。