テラーノベル
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空が遠くなる十月の空。暖かな風が吹き、赤とんぼが飛ぶ秋口。今日の療育が終わりスリッパから靴を履き替えようと、玄関のスノコに立った瞬間、その異変は訪れた。
……眩しさが、ない。
日が差し込んでいるはずの玄関が、妙にぼんやりとしていた。瞬きをしても、視界の白さは消えず、続いて世界がぐらりと傾いた。
重力の向きが分からなくなるような、浮遊感。現実と身体の感覚が、少しだけずれたような気がした。
『あ、すみません』
数十秒ほどで戻った感覚に安堵する。肩に掛けていたリュックを背負い直し、シューズに履き替える。
早くしないと、先生に迷惑をかけてしまう。
そんな思いで。
『佐伯先生。今日もありがとうございました』
目尻を下げ、口角を上げると笑った表情が作れる。
私は笑っていないといけない。母親なんだから。
頑張らないといけないのだから。
住宅街を歩き、徒歩十分。ようやく見えてきたマンションの外観。一瞬心が安らぐけど、気を抜いてはいけない。凛は多動傾向ではないが、突然予想のつかない動きをする。
だから外では、手を離さないように、強く握り締めていないといけない。
『次は玲ちゃんが鬼だー!』
マンション前の児童公園。
そこには制服姿で走り回っている幼児達と、輪になって談笑している母親達。
その中には、かつて母親学級で同じだった人が居て、初めての出産だと話して励まし合っていた。
生まれたら遊ばせたいと話していたな。……凛が、泣いてばかりで無理だったけど。
あの子とは、何もかもが似ていた。年齢も、結婚年数も、マンションの住居歴も、出産時期も、性別が同じ女の子だということも。
まるで運命のようで、話が合って楽しくて、僅か二日違いの出産にまた驚き、互いの出産を喜び合った。
それなのに、どうしてここまで運命は分かれてしまったのだろう。
結婚当初、子育てに理想的だと選んだこのマンション。子供も想定していて、この公園で遊ばせたいねと話していた。
だけど私達は今、公園に背を向け玄関に入っていく。
私達は別の世界で生きている存在なのだから。
幼稚園なんて考えない。もう異質な目で見られたくない。健常の子供と一緒に居させたいなんて考えない。
分かっている。それは親の都合。私の身勝手。だけど、それだけは譲れない。
あの保育園での空気感。私達に向ける鋭い目。保育士さん達の疲労した表情。
誰にも迷惑かけられない。先生にも、夫にも、年々老いていく母にも。
頑張らないといけない。今までだって、そうだった。
子供の頃から、ずっとそうだった。誰にも甘えず、何でも一人でこなして、弱音を吐かず、迷惑をかけず、真面目に、真っ直ぐに。そうすれば、認められる。頑張ったら、状況は変わる。未来を切り開ける。私が頑張ったら。
そんな時、私はこの提案を受けた。
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