テラーノベル
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朝の光が、カーテンのすきまからそっと差し込む。
まどろみの中、円(まどか)はぱちぱちと瞬きをして、ふわぁっとあくびをした。
「……ん〜……朝?」
昨日の夜は、確かココロちゃんが隣で寝ていたはず。
でも、布団のぬくもりはすでになくて——
「……あれ? ココロちゃん……?」
ふと横を見ると、誰もいなかった。
(もう起きたのかな……?)
円はぱたぱたとスリッパを履いて、自分の部屋をそっと出た。
静かな廊下。まだ寝ている気配のある部屋もあるけど、なんとなく、下の方から——
トントントン……カチャッ……ジューッ……
「……音? 台所、かな?」
階段をそろそろと降りていくと、ふわっと香ばしい香りが鼻をくすぐった。
その先にあったのは——
「おはようございます、円ちゃん!」
ぱっと明るい声が飛んできた。
そこには、エプロン姿のココロ。
そしてその横には、フライパンを握るリツ、味噌汁の鍋をかき混ぜるカンジ、野菜を切るヒカル、なぜか食器を宙に投げてキャッチするレキの姿があった。
さらに、その中心には円のおばあちゃんが、優しい笑顔で立っていた。
「おはよう、円。ちょっと寝坊さんだったねぇ。みんなが手伝ってくれて助かってるよ」
「……う、うそ……みんな朝からキッチンに……!?」
円は一瞬、自分がまだ夢の中なんじゃないかと疑った。
「ココロちゃん、どうしたの?早起きだったんだね……!」
「うん。おばあさまと一緒にお手伝いしたくて、朝、ちょっとだけ早く起きたの」
ココロは、お味噌汁の具をふわっと湯気の中で混ぜながら、やさしく笑った。
「“家族と朝ごはんを作る時間”って、道徳の教科書にも出てくるような、すごく素敵なことだなって思って」
「……すごい……」
円の胸の中が、じんわりあたたかくなる。
(わたし、こういう朝、初めてかもしれない……)
「ちょっと! まどち、見とれてないで手ぇ洗ってこーい! もうすぐパンが焼けるぞぉっ!」
リツがトースターの前で腕を組みながら、得意げにウインクを飛ばす。
「はいはい、リツくん、焦がさないようにね。あ、ヒカル、出汁の味見お願い」
カンジはおたまにすくった味噌汁を、器にそっとよそってヒカルに差し出した。
「うん、まかせて!」
ヒカルはくいっと飲んでみたあと、吹き出した。
「……ん!?」
円が心配そうにのぞきこむ。
「ヒカルくん、どう? カンジくんの味噌汁……」
「……えっと……」
ヒカルはココロをチラッと見て、小さな声でささやいた。
「……これ、コンソメ入ってるかも……」
「えっ!? 味噌汁に!?」
円の声が裏返る。
すると、カンジは穏やかな表情のまま、首をかしげた。
「……だめでしたか? 昨日テレビで“うま味の相乗効果”って聞いたので……」
「そりゃそうか〜!カンジは超絶味オンチなの忘れてた〜!」
レキが爆笑しながらパンをひっくり返し、リツがツッコミを入れる。
「カンジ、それはダメだ。オレ様でもドン引きだぞっ!?」
「わ、わたしは……ちょっとくらいなら……飲めるかも……?」
円がフォローを入れようとするが、ココロがやさしく止めた。
「円ちゃん、無理は禁物だよ。……カンジくん」
ココロは一歩、彼の前に出て、やさしく微笑む。
「“味の探求は、時に他人の味覚を尊重すること”も大切だと思うの」
「……たしかに」
カンジは少しだけ頬を赤らめながら、頭をかいた。
「すみません、みなさん……。今後はもう少し勉強してから挑戦します」
「それがいいと思う〜!」
ヒカルがふわっと笑って、代わりに自分で味を整えはじめる。
「でも、ありがとうカンジくん。挑戦してくれたの、すごく嬉しかった」
円の言葉に、カンジはほんの少しだけ口元をゆるめた。
「……そう言っていただけるなら、報われます」
(あくまで真剣。そこがカンジくんらしいなぁ……)
その日の朝食には、ちょっぴり不思議な味噌汁と、たくさんの笑い声が添えられていた。
朝のリビング。
ぼんやりとした目をこすりながら、ケイが無言で起きてきた。
「……おはよう、ケイ」
円が声をかけるも、彼は小さくうなずくだけで、表情はどこか不機嫌そう。
「……まだ寝足りないのかな?」
ココロがそっと声をかけると、ケイは少しだけ眉をひそめ、でも何も答えずに席についた。
朝ごはんの時間は、いつもより静かで少しだけ緊張感が漂った。
それでもみんなは食事を進め、いつの間にか空気も和らいでいく。
食べ終わると、いっせいに準備開始。
「時間ないよ!急ごう!」リツが叫びながら、イヤホンを首から外しつつ鞄をかつぐ。
「忘れ物ない?」「あれ、あのプリントは?」「お弁当は?」
慌ただしく声が飛び交い、円もココロも手早く身支度を整える。
ケイはまだ少し無愛想なままだったけれど、リビングを出るころには、何とか落ち着きを取り戻していた。
「……行くぞ」
一番遅く起きてきたケイも私を見て呆れていた。
みんなで玄関に向かい、バタバタと出発の準備を済ませた。
「今日も一日、がんばろう!」
円が元気よく言うと、みんなが笑顔でうなずいた。
そんな朝の慌ただしいひとときだった。
教室の前に立ったのは、桜色の髪にクリーム色の瞳をした、落ち着いた雰囲気の女の子。もちろんココロだ。
「初めまして。道徳 ココロです。よろしくお願いします」
静かにお辞儀する姿に、教室はざわざわ……と小さくざわついた。
(……きれい……)
(美人すぎ!)
(所作が綺麗…♡)
(華奢だな〜!)
その中で、一人だけ明るい声を上げたのは、もちろんレキ。
「やっと来たな! ココロ!」
教室の後ろの席から手を振る。
「今日からオレと同じクラスだなんて、運命じゃん?」
チャラっとウインクなんか添えてみせるレキに——
ココロはぴたりと視線を合わせた。
間を少しおいて、ニコッ……とは笑わず、ほんのり柔らかく口元だけ動かす。
「どうも😊(※塩対応)」
一瞬空気が止まったように静かになるが、レキは気にせず「あれ、塩ぉ〜!? ちょっと傷つく〜!」と騒いでいる。
「……席はレキくんの前ね」
先生が言うと、レキはどこか得意げに椅子をぽんぽんと叩いた。
「ここここ、ここ座って! オレの前、居心地いいって評判なんだぜ?」
「……そうなんだ。ありがと」
ココロはあくまで静かに、でも最低限の礼儀はきちんとこなして、ストンと椅子に腰を下ろした。
その様子を斜め後ろの席で見ていたハヤテは、目を伏せながら小さくつぶやく。
「……うるさい人と、静かな人。最悪な組み合わせかもですね。」
でもその口元には、少しだけ笑みがにじんでいた。
チャイムが鳴り、ざわつく教室の中で。
ココロは静かに立ち上がると、廊下に出ようと教室の出口へと歩き出す。
(円ちゃんの教室、たしか……こっちだったよね)
けれど、その途中。
「ココロちゃんだよね!?」
「わあ〜話しかけようと思ってたの!」
「てか、顔ちっちゃ……モデル!?」
「どこから来たの? 地元どこ?」
ぱたぱた、と何人かが立ち上がり、あっという間に彼女の周りに人の輪ができていた。
それでも——
ココロは微笑んだまま、まったく動揺していなかった。
「こんにちは。そんなに集まらなくても、ひとりずつだったら、ちゃんとお話できますよ😊」
「えっ……あ、うん、そ、そうだよね!」
(めっちゃ落ち着いてる……!)
(返しが大人すぎる……)
どこか“年上のような安心感”を感じさせる態度に、周りの空気がふっと落ち着いた。
「道徳って珍しい名前だよね! あだ名とかある?」
「ココロって呼んでいただけたら、それで充分です」
「彼氏いるのー?」
「そういう質問は、親しくなってからじゃないと少し失礼かもしれませんね☺️」
「ひぇっ……ごめん……!」
ひとつひとつ、丁寧に、でも距離感を守りながら返すココロ。
無理に笑わないし、拒絶もしない。
だからこそ、不思議と空気が“礼儀正しい聞き方”に変わっていった。
(……ココロちゃんって、ふんわりしてるのに、空気を掌握するの上手いな……)
教室の隅で見ていたハヤテが、小さく息を吐いた。
そのとなりではレキが苦笑い。
「……あれはもう、強キャラってやつだな……」
ココロは人だかりの向こうで、そっと時計を見た。
(……そろそろ、円ちゃんの教室行かないと)
「じゃあ、また昼休みにお話しましょうね。ごめんなさい、少しだけ……人に会いに行ってきます」
軽く会釈して、その場を離れる。
誰もそれ以上、引き止めなかった。
——ココロは、「人を避けないけど、自分を見失わない」。
その姿が、どこか大人びて見えた。
生徒たちの輪の中、ココロは相変わらず穏やかな笑みを浮かべながら質問に応じていた。
そんな中、ひとりの男子生徒が、ふと素朴な疑問を口にした。
「ねえ、ココロちゃんってさ……どこから転校してきたの?」
その瞬間、空気がピタッと静かになる。
(……あっ)
(……そういえば……)
誰もが“それ”を聞いてなかったと気づいた顔をする。
けれど、ココロはほんの少しだけ瞬きをして、間を置いたあと——
ふわっと微笑んだ。
「……京都かな」
「京都!?」
ざわっ、と教室がわく。
「まじ!?超オシャ!」
「わたし旅行で行ったー!」
「神社とかたくさんあるとこでしょ?」
そんな周囲の反応をよそに、ココロはそのまま、ゆるやかに続けた。
「お茶とかが、とても美味しいの。落ち着く味っていうのかな……」
その言い方が、まるで本当に記憶の中にあるような、静かな口調だったから、
誰もその言葉を疑うことができなかった。
——もちろん、“教科書の中”から来たココロには、出身地なんて存在しない。
けれど、だからといって「わからない」と答えることも、嘘をつくことも、彼女の美学には合わなかった。
だからこその「京都」。
どこか人の心にすっと入る、ふんわりしたやさしい“物語みたいなウソ”。
それが、逆に周囲を納得させてしまう不思議さがあった。
「……なんか、ココロちゃんが京都って、めっちゃわかる気する」
「うん、なんかわかる〜。古風っていうか、品があるよね……!」
そんな声が次々と上がる中——
レキはちょっとだけ目を細めて、斜めからココロを見ていた。
(……さすが、うまいな。言葉の選び方が、“道徳”って感じ)
その頃、斜め後ろのハヤテも、小さく息を吐いていた。
「……言葉で受け流すの、うまい」
そしてココロは、またにこっとやわらかく微笑む。
「みなさん、ありがとうございます。そうやって、興味を持ってくれるのって……うれしいです」
彼女の言葉は、どこまでも澄んでいて、
でも確かに「距離感」を大事にしていた。
教室の中心に、自然とできた人だかり。
転校生・ココロが「京都かな?」なんて話したその直後から、クラスはすっかり“妄想フィーバー”に突入していた。
「いや〜ココロちゃん、絶対レキと合うって!」
「でもさ、ハヤテと並んだ時の落ち着き感、えぐかったよね……?」
「わかる……あの2人並んで黙って立ってるだけで、空気キラキラしてた……」
(なんでこんな流れに……)
囲まれながらも、ココロは相変わらず落ち着いた表情で、微笑みをたたえていた。
そこへ、ひょいっと後ろから現れたのはレキ。
「なーなーなー、なんか話してんな〜って思ったら、またオレの話?」
ニッと笑って、机にヒジついてクイッと体を傾ける。
「まー、そりゃそーだよな? ココロ、オレと並んだら映えるもんな〜〜?」
と、軽めに指で前髪をかき上げてみせる。
「キャーーーー!!!!!💥💥💥」
「レキくん前髪いじった!今!今いじった!!」
「その角度ズルい!!!」
大騒ぎする女子たちの悲鳴が一斉に響いた。
レキは口角をさらに上げてウィンク……しようとしたところで——
「……騒ぎすぎ」
スッと静かに、ココロの真横にハヤテが立った。
いつのまにか、そこにいた。
「ジブンは静かな方が好きだ。ココロも、うるさいの苦手だろ」
「……まぁ。少しだけね」
ココロはうっすらと笑ってうなずく。
レキが振り返ってハヤテを見た。
「なんだよ〜〜、急にかっこつけんなって。オレとココロのツーショがキてたとこだろ〜?」
「お前が騒がしいから余計集まるんだ」
「それ褒めてる〜? けなしてる〜? ってか、オレの前の席なんだからちょっとくらい……なぁ?」
「わからない😊(塩対応)」
レキの“詰め寄りチャラアピ”に、ココロはふわっとした笑みを浮かべながら、一言でかわした。
「うわ、マジで塩〜〜!?ココロ〜!? 朝の笑顔はどこ行った!?」
「朝はおばあちゃんがいたから……」
(いや、それ言うんだ……)
教室のあちこちで、「ココロちゃん超おもろいんだけど……」「この塩返しクセになる……」と、逆に沼る人が増えていく。
「……でもほんとにさ、“レキ×ココロ”か“ハヤテ×ココロ”かで意見分かれてんのウケるよね!」
「“レココ”か“ハヤココ”か……え、なにこれ、もう略されてるの!?」
そんな話が勝手に進む中、ココロは心の中でそっと思った。
(なにこの状況……思ってた“学校生活”と、ちょっと違う……)
でも、不思議と嫌じゃなかった。
人の話に振り回されながらも、自分のペースを崩さずにいる——
それも、“道徳”という教科書から来たココロなりの、新しい日常の始まりだった。
休み時間が終わり、チャイムが鳴ると、教室の空気がふわっと動いた。
「次は図書だって〜!」
「移動だ移動〜!」
ガヤガヤと教室の机と椅子を片付けながら、みんなは図書室へと向かっていく。
**
静かな図書室には、紙の匂いと冷たい空気がほんのり漂っていた。
みんな思い思いに本棚の前に立ち、気になる本を手に取っている。
「お、これ昔読んだやつだ〜!」
レキもどこかご機嫌に、本棚の前で一冊を手にとってぱらぱらとページをめくっていた。
そのときだった。
「……レキくん」
肩にふわっと乗るような軽い声。
振り向く間もなく、ココロがするりと手を引いて、静かに人気のない資料棚の裏へと誘った。
「うお、ちょ、急になんだ……って、ここ……」
声が漏れないほどの近さに驚きつつも、レキが言葉をのみこんだのは、ココロの表情が、いつものふわっとした笑顔ではなかったからだ。
いたずらっぽく目を細めて、まるで探るように覗き込んできたその顔は、どこか“大人びた余裕”をまとっていた。
「ねぇ、レキくん」
ココロがふっと声を落とす。
「もし、あなたが誰かを“ちゃんと”好きになったとき——」
「……今みたいなこと、クラスの子たちにも、わたしにも、同じようにしてたら……」
一瞬、言葉を切って、
「逃げられちゃいますよ?」
小悪魔みたいに笑った。
レキは、言葉を失ったまま、思わず目を丸くした。
(……っ、なにこの顔……!!)
いつも上品で落ち着いてて、人を包み込むみたいな“道徳ココロ”とは、まるで違う——
まるで、心を読んでくるような“ずるい顔”。
でもレキは、ほんの一拍置いて、口角をニヤリと上げた。
「それ……煽ってんの?」
低い声で返しながら、いたずらを仕返されたと気づいて、思わずおもしろくなってきた。
するとココロは、軽くうなずいた。
「はい。さっきのお返しです」
そう言って、くるっとレキの横をすり抜け、わざと人目のある本棚の前へと移動する。
「動かないでくださいね」
ひょい、と手を伸ばす。
その手に持っていたのは、キラリと光る狐の形の髪留めピン。
「はい、完成」
ココロはふわっとした微笑みを浮かべながら、レキの横髪に、それをそっと留めた。
……それを見た周囲の女子たちが、反応しないわけがない。
「えっ……ココロちゃん今……!?」
「レキの髪にピンつけた!?」
「えっ、えっ……なに!?そういう関係なの!?」
「うっわ、狐の髪飾りって……それ、狙ってんじゃん!?ズル〜!!」
キャーキャーとざわつく中、レキはそのまま固まったまま、一瞬視線を伏せてから、ふっと笑った。
「……やっべぇ、オレ……今、たぶんちょっとドキッとしたかも」
ぽつりとつぶやいた声は、ココロにはしっかり聞こえていたけど——
彼女はもう、ひとつ本を手に取りながら、振り返ることなく言った。
「それなら、煽ったかいがありました」
そうして、何事もなかったように、本棚の向こうへと消えていった。
レキはその場に立ち尽くしたまま、まだ髪についた狐ピンにそっと手を当てながら、
「……ココロ、やっぱただもんじゃねぇな……」
と、ちょっと真面目なトーンでつぶやいた。
そして図書室には、いつもと少し違う空気が流れていた。
——静かで、でも確かに胸をざわつかせる“何か”が。
つづく
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