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#日常組
tagu2026226
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第15話:信じて、待っていて
夜明け前の宮殿は、いつもとは違う緊張に包まれていた。
近衛騎士たちが各所を行き交い、集められた報告書が次々と執務室へ運び込まれてくる。
その中心にいるのは、帝国の第一皇子、リンデン・ト・アルゲンだった。
「西側の街道沿いにある屋敷の一覧です。現在、所有者と使用状況を確認しております」
「人の出入りが増えた場所を優先しろ。長く使われていない別邸も含めて調べるんだ」
「承知いたしました」
リンデンは報告書に目を通しながら、地図へ視線を落とした。
黒塗りの馬車。
左側の扉についた傷。
エース家からの使者を名乗った男。
手がかりは少しずつ集まっている。しかし、肝心のルカがどこにいるのかは、まだ分からなかった。
「……殿下」
傍らに控えていた近衛騎士が、慎重に声をかける。
「少しお休みになられてはいかがでしょうか。捜索は我々が続けます」
「必要ない」
即座に返したリンデンは、次の報告書を手に取った。
「ルカが戻っていないのに、私だけ休むわけにはいかないだろう」
騎士は口を閉ざした。
普段のリンデンなら、必要な休息も仕事の一部だと理解している。
だが今は、机の上に積まれた書類の一枚一枚が、ルカを見つけるための手がかりに思えた。
一つでも見落とせば、彼を見つける機会を失うかもしれない。
それだけは、耐えられなかった。
「……殿下」
別の騎士が、新しい報告書を差し出した。
「エース家から返答がございました」
リンデンの手が止まった。
「読め」
「はい。エース家の当主は、ルカ様を呼び戻すよう指示した事実はない、と回答しております。また、使者を宮殿へ派遣した記録もないとのことです」
「……そうか」
リンデンの瞳が、静かに細められた。
エース家は関与を否定した。
しかし、ルカがエース家からの使いを名乗る男と馬車に乗ったことは、門番の証言によって確認されている。
ならば、考えられる可能性は二つ。
エース家が嘘をついているか。
あるいは、誰かがエース家の名を利用したか。
「エース家の回答だけで調査を終えるな。使者を名乗った男の身元を特定しろ。過去にエース家と関わりのあった者も調べるんだ」
「承知いたしました」
リンデンは報告書を机に置いた。
「……誰が関わっていようと、必ず突き止める」
その声は静かだった。
だからこそ、騎士たちは理解していた。
この件に関して、リンデンが決して妥協するつもりはないのだと。
***
同じ頃。
ルカは、見知らぬ部屋の椅子に座っていた。
窓の外からは、鳥の声が聞こえる。
夜が明けたのだろう。
けれど、部屋の扉は閉ざされたままだった。
「……あの、誰かいませんか?」
もう一度呼びかけても、返事はない。
ルカは膝の上で両手を握りしめた。
昨日から、ほとんど何も口にしていない。
不安で食欲もなく、何より、ここがどこなのか分からないことが怖かった。
どうして自分は連れてこられたのだろう。
家族は、本当に自分を呼び戻そうとしていたのだろうか。
それとも、最初から別の目的があったのだろうか。
考えれば考えるほど、分からなくなる。
「……殿下」
ルカは、左手の指輪にそっと触れた。
淡い青色の宝石が、窓から差し込む光を受けて輝いている。
リンデンは今頃、どうしているだろう。
自分が帰らないことを知って、きっと心配している。
あの人は、仕事が忙しくても、自分のことを気にかけてくれる。
朝食をきちんと食べたか。
疲れていないか。
無理をしていないか。
そんな些細なことまで、いつも気にしてくれた。
『私は、お前だからそばにいてほしいのだ』
その言葉を思い出す。
ルカは目を伏せた。
自分は、リンデンにとって本当に大切な存在なのだろうか。
何度も優しい言葉をもらった。
自分から口づけたときも、リンデンは嬉しそうに笑ってくれた。
それでも、長い間否定され続けてきた心は、簡単には変わらない。
もしかしたら、いつか見放されてしまうのではないか。
そんな不安が、ふと胸をよぎることもあった。
けれど、今は違う。
リンデンは、言葉だけではなく、何度も行動で示してくれた。
指輪を贈ってくれたこと。
自分の気持ちを聞いてくれたこと。
傷ついたとき、決して見捨てなかったこと。
だからこそ、信じたい。
「……殿下は、きっと僕を探してくださっている」
ルカは小さく呟いた。
「だから……僕も、信じて待っていよう」
自分の声を確かめるように、もう一度繰り返す。
「……殿下を、信じています」
そのとき、廊下から足音が聞こえた。
ルカは顔を上げた。
扉の鍵が開き、昨日、自分を連れてきた男が入ってくる。
男は手に持っていた食事を机へ置くと、ルカを見下ろした。
「食べろ」
「……あの、ここはどこなのですか?」
男は答えなかった。
「僕を、いつまでここに置いておくつもりですか?」
「お前が余計なことをしなければ、すぐに分かる」
「余計なこと……?」
ルカが聞き返すと、男は不機嫌そうに眉を寄せた。
「皇太子殿下のことは忘れろ。お前があの方のそばにいる限り、面倒なことになる」
その言葉に、ルカの胸が強く締めつけられた。
「……殿下は関係ありません」
思わず口にしていた。
男が目を細める。
「何?」
「殿下は、僕に何も強制していません。僕が、自分の意思でおそばにいたいと思ったんです」
声は震えていた。
それでも、ルカは目を逸らさなかった。
「だから……殿下を悪く言わないでください」
男はしばらく黙っていた。
やがて、呆れたように息を吐く。
「本当に、何も分かっていないんだな」
男は扉へ向かった。
「お前がいなくなれば、すべて元に戻る。それだけの話だ」
「……誰が、そんなことを?」
男の足が止まった。
ルカは立ち上がり、震える声で尋ねた。
「誰が、僕をここへ連れてくるように命じたんですか?」
一瞬、男の表情が変わった。
ほんのわずかだったが、ルカは見逃さなかった。
「……答えてください」
男は冷たい視線を向けたあと、何も言わずに部屋を出ていった。
扉が閉まる。
再び一人になったルカは、しばらくその場から動けなかった。
『お前がいなくなれば、すべて元に戻る』
その言葉が、頭の中で繰り返される。
自分がいなくなれば。
いったい、誰にとって都合がいいのだろう。
ルカは左手の指輪を握りしめた。
まだ、何も分からない。
けれど、この出来事が偶然ではないことだけは、少しずつ分かり始めていた。
***
昼過ぎ。
リンデンのもとへ、一人の近衛騎士が戻ってきた。
「殿下。馬車の目撃情報について、追加の報告がございます」
「聞かせろ」
「西側の街道沿いにある村で、特徴の一致する馬車が目撃されております。御者は村の入口で道を尋ねたあと、森へ続く旧道に入っていったそうです」
リンデンは地図を引き寄せた。
「旧道の先には何がある」
「いくつかの農地と、現在は使用されていない古い屋敷がございます。かつて貴族が所有していた建物ですが、ここ数年は人の出入りがほとんどないとのことです」
「所有者は?」
「現在、確認を進めております」
リンデンは地図上の旧道を見つめた。
人目につきにくい道。
使われていない屋敷。
そこへ向かった、特徴の一致する馬車。
偶然だと片づけるには、不自然な点が多すぎた。
「……その屋敷について、詳しく調べろ」
「すぐに調査隊を派遣いたします」
「いや」
リンデンは一度、言葉を切った。
「まずは所有者と管理者を確認しろ。屋敷に誰が出入りしているのか、周辺の住民からも聞き取りを行うんだ。確かな情報を得るまでは、相手を刺激するな」
「承知いたしました」
騎士は敬礼し、部屋を出ていった。
リンデンは地図から目を離さなかった。
ようやく、ルカの行方につながるかもしれない情報が見つかった。
しかし、確信はない。
もし違っていたら。
もし、その間にルカが別の場所へ移されていたら。
焦りが、胸の奥から湧き上がってくる。
それでも、今は慎重に進むしかなかった。
ルカを見つけること。
そして、無事に連れ戻すこと。
その二つを、決して取り違えてはならない。
「……もう少しだ」
リンデンは、誰にともなく呟いた。
「待っていてくれ、ルカ」
***
その日の夕刻。
セレスティアは、自邸の応接室で紅茶を口にしていた。
目の前には、一通の報告書が置かれている。
エース家から届いたものだった。
『対象は確保いたしました。現在、指定の場所に留め置いております』
短い報告だった。
セレスティアは、それを読み終えると、ゆっくりと微笑んだ。
「……ようやく、ね」
ルカがいなくなれば、リンデンも少しは目を覚ますだろう。
皇太子が一人の側近に心を奪われるなど、あってはならないことだ。
ましてや、その側近はかつて家から追い出された、魔法の才もない少年なのだから。
「殿下には、もっと相応しい方がいらっしゃるというのに」
セレスティアはカップを置いた。
しかし、そのとき、扉の向こうから侍女の声が聞こえた。
「セレスティア様。エース家より、急ぎの使者が参っております」
「……使者?」
彼女は眉をひそめた。
「お通しなさい」
ほどなくして、エース家の使者が部屋へ入ってきた。
その顔には、明らかな緊張が浮かんでいる。
「ご報告申し上げます。皇宮より、ルカ様の行方について問い合わせがございました」
セレスティアの指が止まった。
「……皇宮から?」
「はい。第一皇子殿下が、近衛騎士を動員して捜索を進めておられるとのことです」
一瞬、部屋の空気が冷えた。
リンデンが動くこと自体は予想していた。
しかし、これほど早く、しかも皇太子直属の捜索隊を動かすとは思っていなかった。
「……殿下は、どこまでご存じなのですか?」
「現時点では、馬車の目撃情報を集めている段階かと」
セレスティアは、カップの取っ手を指でなぞった。
まだ、計画が露見したわけではない。
けれど、時間をかけすぎれば、必ず痕跡をたどられる。
「……エース家には、余計なことを話さないよう伝えなさい」
「かしこまりました」
使者が退出すると、セレスティアは窓の外へ目を向けた。
胸の奥に、小さな不安が生まれていた。
リンデンは、普段から冷静で、感情に流されるような人ではない。
それなのに、ルカのこととなると、まるで別人のように動く。
もし、彼がすべてを知ったら。
自分が何を失うことになるのか。
そこまで考えたところで、セレスティアは首を横に振った。
「……いいえ」
小さく呟く。
「まだ、何も知られてはいないわ」
そう自分に言い聞かせながら、彼女は報告書を引き出しの奥へしまった。
けれど、その手は、先ほどよりもわずかに強く引き出しを押し閉めていた。
***
夜。
リンデンの執務室へ、最後の報告が届けられた。
「殿下。旧道の先にある屋敷について、所有者が判明いたしました」
リンデンは顔を上げた。
「誰だ」
騎士は、一瞬だけ言葉を選ぶように沈黙した。
「……エース家と関係のある貴族が、以前所有していた屋敷です。現在の管理者については、さらに確認が必要ですが、数日前から人の出入りがあったとの証言が得られております」
リンデンの瞳が鋭く光った。
エース家。
黒い馬車。
使われていない屋敷。
一つひとつの手がかりが、同じ方向を指し始めている。
「屋敷の周囲に、不審な人物はいたか」
「はい。夕刻、複数の男性が出入りしていたという証言がございます。ただし、まだ本人確認には至っておりません」
「……分かった」
リンデンは立ち上がった。
「引き続き調査を続けろ。屋敷の見取り図と周辺の地形も確認する。ルカがいる可能性がある以上、準備は万全に整えなければならない」
「殿下ご自身も向かわれるおつもりですか」
「ああ」
迷いのない返事だった。
「ただし、まだ突入はしない。ルカの居場所と安全を確認することが先だ」
リンデンは外套を手に取った。
「……彼を危険にさらすような真似は、決して許さない」
その声に、騎士は深く頭を下げた。
「必ず、ルカ様をお救いいたします」
リンデンは一度だけ頷き、窓の外を見つめた。
夜空には、淡い月が浮かんでいた。
ルカも、同じ月を見ているだろうか。
今、自分のことを思い出しているだろうか。
「……ルカ」
その名を口にすると、胸が痛んだ。
早く会いたい。
声を聞きたい。
もう一度、その手を握りたい。
けれど、今はまだ、その願いを叶えることはできない。
だからこそ、必ず迎えに行く。
どんな困難が待ち受けていようと、決して諦めない。
リンデンは外套を肩にかけ、扉へ向かった。
その足取りに、迷いはなかった。
一方、遠く離れた屋敷の一室で、ルカは静かに指輪を握りしめていた。
「……殿下」
小さな声が、暗い部屋に溶けていく。
「僕は、ここにいます……」
その願いが、まだ届くことはない。
けれど、二人の距離は、確実に縮まり始めていた。
――そして、夜明けとともに、運命が動き出す。
コメント
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うわ、この回すごかったですね……! リンデンがルカを必死に探してる姿に胸が締め付けられました。「ルカが戻っていないのに休めない」って、もう完全に彼にとってルカが特別な存在だって証明してるじゃないですか。でもルカの方も「殿下を信じています」ってちゃんと自分の言葉で言えたのが本当に成長してて泣けました。セレスティアの影がちらついてきて、これからどうなるのか気になりすぎます。次話、待ちきれないです!