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第16話:もう二度と、離さない
夜明け。
東の空が薄く白み始めた頃、宮殿の門前には、すでに数十人の近衛騎士が集まっていた。
その先頭に立つのは、第一皇子リンデン・ト・アルゲン。
黒い外套をまとった彼の表情は、いつもと変わらず冷静だった。
けれど、その瞳の奥には、隠しきれない焦りが宿っていた。
「屋敷の見取り図は確認したな?」
「はい。正面玄関のほか、裏手に使用人用の出入口がございます。また、建物の北側には地下へ続く階段があるとのことです」
「周囲を包囲し、逃げ道を塞げ。ただし、こちらから無闇に攻め込むな。中にいる者の数も、ルカの居場所も、まだ確実ではない」
「承知いたしました」
リンデンは馬に乗り、手綱を握り直した。
昨夜は、ほとんど眠れなかった。
目を閉じれば、ルカが最後に見せた笑顔が浮かぶ。
『明日も、僕から殿下に会いに来てもいいですか?』
あのとき、リンデンは迷わず答えた。
『私は、いつだってお前に会いたい』
その言葉を交わした翌日に、ルカがいなくなるなど、誰が想像できただろう。
もっと早く異変に気づいていれば。
一人で帰らせなければよかった。
そんな後悔が、何度も胸をよぎる。
しかし、今は過去を悔やんでいる場合ではない。
必ず見つける。
必ず、無事に連れ戻す。
「……行くぞ」
リンデンの声を合図に、騎士たちは一斉に馬を走らせた。
***
森へ続く旧道の先。
古びた屋敷は、朝霧の中にひっそりと佇んでいた。
長い間使われていなかったという話とは裏腹に、玄関付近には新しい足跡がいくつも残っている。
リンデンは馬を降り、屋敷を見上げた。
「……ここか」
胸の奥で、何かが強く告げていた。
この場所に、ルカがいる。
そうであってほしいという願いだけではない。
集めた証言も、馬車の特徴も、すべてがこの屋敷へとつながっていた。
「殿下。裏手にも人影を確認しました」
「予定どおり、周囲を固めろ。中にいる者へ告げる。皇太子の名において、扉を開けるようにと」
騎士が前へ進み、扉を強く叩いた。
「皇宮近衛騎士団である! 屋敷の者は、ただちに扉を開けよ!」
しばらくして、内側から慌ただしい物音が聞こえた。
やがて扉が開き、男が一人、顔を出す。
「な、何の用だ……!」
「この屋敷に、ルカ・エースという少年がいるはずだ」
リンデンが一歩前へ出た。
「どこにいる」
「し、知りません! そのような者は――」
「嘘をつくな」
低く、鋭い声だった。
男が言葉を詰まらせる。
「ここへ出入りしている者がいたことは確認済みだ。黒い馬車の目撃情報もある。今さら知らぬ存ぜぬで通ると思うな」
リンデンの視線は、男から一瞬たりとも逸れなかった。
「もう一度だけ聞く。ルカはどこだ」
男は青ざめ、背後へ目を泳がせた。
その反応だけで、十分だった。
「屋敷内を確認しろ。抵抗する者がいれば、身柄を確保しろ。ただし、ルカの安全を最優先にするんだ!」
「はっ!」
騎士たちが屋敷へ入っていく。
リンデンも続こうとした、そのとき。
「ま、待て! 勝手に入るな!」
男が立ちはだかった。
リンデンは足を止め、冷たい眼差しを向けた。
#日常組
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「……退け」
「しかし、ここは――」
「私の側近が、この屋敷に連れ去られた疑いがある。お前が何を隠していようと、調査を妨げることは許さない」
その言葉に、男はついに道を空けた。
リンデンは迷うことなく、屋敷の奥へと進んだ。
***
同じ頃。
ルカは、部屋の隅で膝を抱えていた。
窓の外が明るくなっている。
けれど、いつになっても扉は開かない。
昨日から何度も助けを求めたが、返事はなかった。
食事も、ほとんど喉を通らなかった。
ここへ連れてこられた理由も、誰の命令なのかも分からない。
ただ、ひとつだけ分かっていることがあった。
自分は、リンデンのもとへ帰りたい。
それだけは、何があっても変わらなかった。
ルカは左手を胸元へ引き寄せた。
指にはめられた銀の指輪。
淡い青色の宝石は、薄暗い部屋の中でもかすかに光を返していた。
『お前は、私の大切な側近だ』
リンデンの声が、耳の奥によみがえる。
あの人は、自分を大切だと言ってくれた。
魔法が使えなくても。
貴族として認められなくても。
何も持っていない自分を、必要としてくれた。
「……殿下」
声が震えた。
「会いたいです……」
もう一度、あの声を聞きたい。
名前を呼んでほしい。
いつものように、少しだけ困った顔をしながら、自分を気遣ってほしい。
そんな何気ない日常が、今はどうしようもなく恋しかった。
そのとき。
――ドンッ!
突然、廊下の向こうから大きな音が響いた。
ルカはびくりと肩を震わせた。
続いて、複数の足音が聞こえる。
「皇宮近衛騎士団だ! 各部屋を確認しろ!」
聞き覚えのある言葉に、ルカは息を呑んだ。
皇宮。
近衛騎士団。
まさか。
そんなはずはないと思いながらも、胸の奥に希望が生まれる。
「……殿下?」
小さく呟いた、その直後だった。
廊下を走る足音が、こちらへ近づいてくる。
そして。
「ルカ!」
聞き間違えるはずのない声が、扉の向こうから響いた。
ルカは顔を上げた。
「……殿下?」
「ルカ! そこにいるのか!」
その声を聞いた瞬間、ルカの目に涙が浮かんだ。
「は、はい! 僕、ここに……!」
扉の向こうで、何かが動く音がした。
鍵が開けられ、勢いよく扉が開く。
そこに立っていたのは、黒い外套をまとったリンデンだった。
乱れた銀髪。
険しい表情。
そして、ルカの姿を見つけた途端、驚いたように見開かれた青い瞳。
「……ルカ」
リンデンは、しばらく言葉を失った。
目の前にいる。
確かに、そこにいる。
何度も想像した姿だった。
けれど、実際に目にするまで、どこかで最悪の事態を恐れていたのだ。
「殿下……!」
ルカは立ち上がり、リンデンのもとへ駆け寄ろうとした。
しかし、長い間の緊張と疲労で足元がふらつく。
「っ……!」
倒れかけた身体を、リンデンがすぐに抱きとめた。
「ルカ!」
強く抱きしめる腕。
背中に回された手。
自分を確かめるように、何度も名前を呼ぶ声。
「……よかった。本当に……無事で、よかった……」
それは、ルカが今まで聞いたことのない声だった。
いつも冷静で、誰の前でも揺るがないリンデンが、かすかに震えている。
ルカはその胸元に顔を埋めた。
「殿下……っ」
堪えていた涙が、頬を伝った。
「僕……帰りたかったんです……ずっと、殿下のところに……」
「ああ……分かっている」
リンデンは、ルカの頭をそっと撫でた。
「よく頑張ったな。怖かっただろう。もう大丈夫だ。私が来た」
その言葉を聞いて、ルカは何度も頷いた。
「……信じて、待っていました」
「ああ」
「殿下は、きっと僕を見つけてくださるって……」
リンデンの腕に、わずかに力がこもった。
「当然だ」
彼は、ルカの髪に頬を寄せるようにして、静かに告げた。
「お前がどこにいようと、必ず見つける。誰が連れ去ろうと、何を隠そうと……私は、お前を諦めたりしない」
ルカは顔を上げた。
涙で潤んだ淡いピンクの瞳が、リンデンを見つめる。
「……本当に?」
「本当だ」
リンデンは、ルカの頬にそっと手を添えた。
「私は、お前を失うことが、どれほど怖いのかを知った」
普段なら決して口にしない弱さ。
けれど、今だけは隠したくなかった。
「お前がいない宮殿は、ひどく静かだった。いつもの場所にお前がいない。それだけで、何も手につかなかった」
「殿下……」
「もっと早く見つけられず、すまなかった」
リンデンがそう言って頭を下げようとすると、ルカは慌てて首を横に振った。
「違います! 殿下は、何も悪くありません……!」
「だが――」
「来てくださったじゃないですか」
ルカは、リンデンの外套をぎゅっと握った。
「僕を、見つけてくださった……それだけで、十分です」
リンデンは、その小さな手を見つめた。
指輪が、そこにある。
自分が贈った指輪を、ルカはずっと大切にしてくれていた。
「……その指輪を、ずっと身につけていてくれたのだな」
ルカは少しだけ頬を赤くした。
「はい。これを見ると、殿下がそばにいてくださる気がして……」
その言葉に、リンデンは一瞬、目を伏せた。
そして、ルカの左手を両手で包み込む。
「これからは、そんな思いをさせない」
「……殿下?」
「もう二度と、お前を一人で不安にさせない。私にできることなら、何でもする。だから……」
リンデンは、まっすぐにルカを見つめた。
「もう二度と、離さない」
ルカの頬が、みるみる赤くなった。
「……はい」
小さな返事だった。
けれど、リンデンには十分だった。
彼はルカの額に、そっと口づけた。
それは、無事に再会できたことへの安堵と、もう一度会えた喜びを込めた、優しい口づけだった。
ルカは目を閉じ、リンデンの胸元に身を寄せた。
もう、怖くない。
この腕の中にいる限り、きっと大丈夫だと思えた。
***
その後、屋敷の中にいた男たちは近衛騎士によって拘束された。
ルカを連れ去った男も、その場で身柄を確保された。
調査のため、詳しい事情はこれから明らかにされることになる。
けれど、今のリンデンにとって、何よりも大切なのは一つだった。
ルカを無事に連れ帰ること。
「殿下……あの、僕は自分で歩けます」
屋敷の外へ出る途中、ルカが遠慮がちに口を開いた。
リンデンは、彼を支える腕を緩めなかった。
「駄目だ」
「で、でも……」
「顔色が悪い。宮殿へ戻ったら医師に診てもらう。それまでは私に寄りかかっていろ」
「……はい」
ルカは小さく頷いた。
リンデンは、彼の肩に外套をかけ直した。
朝の空気はまだ冷たかった。
それでも、ルカの身体を包む外套には、確かな温もりがあった。
馬車へ向かう途中、ルカはそっとリンデンの手を握った。
「……殿下」
「どうした?」
「僕……また、殿下のそばにいてもいいですか?」
リンデンは足を止めた。
その問いに、驚きと、わずかな痛みが胸をよぎる。
ルカは、まだ不安なのだ。
自分がここにいていいのか。
また、いつか見放されるのではないか。
そんな思いが、心の奥に残っている。
リンデンは握られた手を握り返した。
「何を言っている」
そして、ルカの目をまっすぐに見つめた。
「お前の居場所は、私の隣だ」
ルカの目に、再び涙が浮かぶ。
今度の涙は、悲しみからではなかった。
「……ありがとうございます、殿下」
「礼などいらない」
リンデンは、わずかに表情を和らげた。
「ただ、これからは一人で抱え込むな。怖いときも、苦しいときも、私に話してくれ」
「……はい」
「約束だ」
「約束します」
二人は、しっかりと手を握り合った。
その手は、もう離れなかった。
***
宮殿へ戻る馬車の中。
ルカは、リンデンの肩にもたれていた。
張りつめていた気持ちが緩んだせいか、まぶたが重くなっていく。
「……殿下」
「何だ?」
「僕……帰ってこられて、よかったです」
リンデンは、ルカの頭をそっと撫でた。
「ああ。私もだ」
「……また、明日も会えますか?」
その言葉に、リンデンは小さく息を吐いた。
そして、ルカの手を包み込むように握った。
「明日だけではない」
ルカが顔を上げる。
「これから先も、ずっとだ」
「……ずっと?」
「ああ。お前が望む限り、私はお前のそばにいる」
ルカは、嬉しそうに微笑んだ。
「……僕も、殿下のそばにいたいです」
その笑顔を見て、リンデンの表情がようやく和らいだ。
馬車の窓から、朝日が差し込む。
長い夜が、ようやく終わろうとしていた。
けれど、今回の出来事は、まだ終わってはいない。
ルカを連れ去った者たちの背後には、誰かがいる。
そして、その人物が誰なのか。
リンデンは、すでに心のどこかで予感していた。
――ルカを傷つけた者を、決して許しはしない。
彼は眠り始めたルカの手を、もう一度そっと握りしめた。
「……今度こそ、守ってみせる」
その声は、朝の光の中へ静かに溶けていった。
コメント
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みぅです🥀 16話、救出シーンで涙腺決壊しました…リンデンの「もう二度と離さない」、あの言葉に全部詰まってる。冷静なはずの彼の声が震えてる描写とか、ルカの指輪握りしめてる姿とか、一つ一つの感情が丁寧で本当に刺さりました。良かった…戻れて本当に良かった。背景にまだ誰かいる気配も気になるけど、今はただ二人が無事でいてくれたことに安心してます🤍