急いでお風呂に入って、軽く晩ごはんを食べて履歴書に記入する。結婚して扶養に入って、今のパートをするときに書いたっきり、もう何年も書いたことがない。
住所氏名年齢、生年月日、家族構成…
あとは仕事って結婚する前の仕事を一つと、今のパートくらいでいいか。
そんなに書いても、意味がない気がするし。
今のパートの前の仕事は、バイクの販売店での仕事だった。
…と言っても整備士の手伝いくらいだったけど。
いろんな知識はおぼえたけど、資格を取って整備士になる前に結婚…あ、再婚しちゃったからなぁ。
こんなことなら、もうちょっとちゃんとやっておけばよかった。
だいたい、再婚するときにはまたフルタイムで働くなんて考えてもなかったし。
今の旦那とも、そのバイク屋さんで知り合った。
バイクが趣味で、ツーリングの話を聞いてて気があって、それで色々話すようになって付き合って…。
付き合って…って不倫だったんだけど。
穏やかな人だなぁ、優しい人だなぁとそんな印象だったっけ。
私の言うことをなんでも聞いてくれて、欲しがるものも買ってくれたし。
でも裏を返せば、感情表現が少なくて優柔不断で自分では決められない人だった。
なんで、気づかなかったんだろ?
恋は盲目、なんて昔の人はよく言ったもんだ。
昔じゃないのかな?
まぁ、とにかく。
次にやることが見えてきたら、俄然やる気が出てきたから不思議。
書き上がった履歴書に写真を貼る。
ちょっと疲れた顔してる。
明日からはもっと元気な顔になれますように。
「そうだ!口角を上げる練習をしておこう」
いきなり声を出した私の足元に、タロウがすり寄ってきた。
今日はタロウにも、美味しいご飯をあげることにした。
次の日、パートへ行く前に履歴書を持って行く。
まだ採用だと決まったわけじゃないけど、もう私はここで働く気マンマン。
「おはようございます!」
「おはようございます、あ、昨日の…」
受付の女性も、さすがに昨日の今日でおぼえていてくれた。
「あの…また何か問題でも?」
おそるおそる聞いてくる女性。
「いいえ、そこのチラシのことでお伺いしたんですが」
と求人のチラシを指差す。
「あの、真島さんには昨日、話しておいたんですけど…」
整備士募集のチラシと聞いて、少し驚いた顔をしていたけど、真島さんを呼んでくれた。
奥から、話し声が聞こえてもう1人の男性とあらわれた。
「社長、この方がさっき話していた方です。資格はないそうですが、やる気はあるようですよ」
どうやら先に私の話をしてくれていたようで助かる。
「そうですか。やる気はあっても体力はどうですか?少々キツイ仕事ですよ」
「あの、体力だけは自信があるので、なんでもやらせてください。そして、必ず資格も取りますから」
少し前のめりで返事をしてしまった。
あー、印象が悪くならないかな?
「資格を取るまではお給料がそこに書いてある金額の8割くらいになりますよ、いいですか?」
ささっと頭で計算する。
8割になっても社会保険もつくし、頑張れば上がるなら…。
「大丈夫です。ぜひお願いします、なんでもやりますので」
「んー、ホントにやる気は溢れてますね。じゃあ、そちらの準備が出来次第、こちらに来てください」
「え?いいんですか?あの、念のため履歴書を持ってきましたので」
ファイルケースごと差し出す。
「ほぉ、準備がいいですね、では預かりますね。桜井くん、ちょっと!」
受付からあの女性を呼んだ。
桜井さんというのか。
ネームプレートを見ることも忘れてたと思い出した。
真島さんのは確認したのに。
「はい、社長、なんでしょうか?」
「この人…えっと…」
「小平未希と言います」
「そうそう、小平さんに作業着を手配してあげて。
工具は…そうだな、最初はこの真島のを借りてやって。ついでに指導してもらうといいよ」
ぽんぽんと真島さんの肩を叩く社長。
「俺でよければ、なんでも聞いて。でも、仕事での指導となると厳しくやるので」
「はい、よろしくお願いします。今の仕事を辞め次第こちらにお世話になりますので」
やった!採用された!
年齢制限を、やる気でカバーしたかも?
ウキウキしながら自動車整備工場をあとにして、パート先へ向かう。
新しいことの始まりだ。
退職の願い出は、とても簡単に受理された。
ま、私なんてそんくらいの人間ってことかと、わかっていたつもりでも、ガッカリした。
いやいや、私はこれから新しいことを始めるんだから!
頑張ろ。
「ねぇ、どうしたの、突然仕事辞めるって」
チーフ(洋子)が駆け寄ってきた。
そうか、この人には話しておこうかな。
「ちょっとね、人生立て直しってとこ」
「まさか、離婚するの?」
「いや、しない…つもり…だけど」
離婚、の言葉に周りにいた同僚が振り返る。
「この前の話って、自分のことだったの?」
「違う違う!あれはホントに娘の話でね。そっちはうまくまとまったの」
「そっちがまとまっても自分のことがまとまってないんじゃないの?」
たしかに、それは言える。
じゃなくて。
「私もね、やりたい仕事をやりたくなったんだ。チーフみたいにフルタイムで働けて、やりたい仕事が見つかったからね」
「えー、よくあったね!なかなか難しい年代なのに」
「そう、ある意味奇跡。でも、これも何かの縁的な考えで、やるなら早いうちがいいなって思って」
「フルタイムってさ、旦那さんは反対しなかったの?」
旦那?あ、忘れてた。
「もう子供もいないし、関係ないかな。それに、私のことには興味ないみたいだし」
「興味ないって…あー、そんなもんかもね、私らくらいの夫婦って」
「それに、今長期の出張で半年は帰ってこないから」
「え?それいいね、俗に言う、亭主元気で留守がいいってやつだ。自由時間があり過ぎるね。そりゃ、やりたいことやらないともったいない時間だね」
肩をぐいぐいと押してくる。
「そうなの、今なら自由だからね、やりたいことやらないとね」
「そういうことなら応援するわ。よかった、私はてっきり離婚でもするのかと思ったよ」
「いまんとこ、それはないかな?」
いまんとこ、ね。
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