あれは雨が酷い日だった。私達は、ケトロの町へ向かうため、馬車に乗っていた。悪天候のせいか、道が険しくなっている。馬車の乗り心地が最悪だったのを、今でも覚えている。
険しい道を馬車で越え、ようやくたどり着いたのが怖いくらい静かな孤児院。この町の保安官らしい人物が待っていた。
「止まれ。ここから先は立ち入りを禁止されている。許可がなければ、入ることはできん」
堅物、という単語がよく似合う保安官にため息が出るが、隣にいた老人が私の肩に手を置いて一歩前に出た。白髪頭にしわくちゃの顔、片手には大きなトランク。一見、ただの老人に見えるだろう。だが、近くにいるとブリキの音と機械人形のオートマタ特有のオイルの香りがする。彼こそが、機械人形のクロッカーだ。
「儂らのことを聞いておらんのか。やれやれ、ここの保安官の情報網はどうなっておるのか」
「機械人形、オートマタか。ただの鉄の塊が何をしにきたと言うんだ?」
「…調査に来た。ケトロの町長から聞いておろうに」
エメラルド色の瞳が怪しく光ると、保安官は何かに気づいた様だった。
「お前が、いや。貴方が…」
「機械人形のクロッカー。と、その弟子じゃよ」
クロッカーが誰かようやく理解した保安官は顔を真っ青にして逃げるように脇に逸れた。クロッカーが中に入ると私もその後に続くように孤児院の中に入る。
「さて、仕事じゃ。エーヴェル」
<エーヴェル>。クロッカーからもらった名前。当時、記憶が抜け落ちてしまって途方にくれていたところを彼に保護された。その時に記憶の他に名前も思い出せなかったので、名付け親になってくれた。
トランクを床に置いて、孤児院の中を調べ始めるクロッカー。特に説明も無しに、無理やり連れて来られたが、何をすればいいのかわからないでいた。
「先生。仕事って言っても何をすればいいんです? そもそも、何をしにこの町に?」
「嗚呼、説明しておらんかったな」
クロッカーは手袋を装着し、殺人現場という割には綺麗な現場を調べ始める。彼の後を追いかけながら、今回の仕事の説明に耳を傾けた。
「ここ、ケトロの町で多発してる孤児院襲撃事件。その事件を解決するのが今回の儂らの仕事じゃよ」
「孤児院襲撃?」
「ケトロの孤児院のみ襲撃され、その子供達のみ狙われておる。じゃが、この現場をみる限り、違和感があるじゃろう?」
孤児院内にある食器棚などをじっくり観察するクロッカー。恐らく、事件が起きる直前の状態のまま残しているのだろう。
私は、死体を囲ったであろうチョークの跡、散らばった食器達、床、窓を見る。
「…殺人、にしては現場が綺麗すぎる。死体も、ナイフや銃を使った痕跡がない」
「ふむ、後は?」
「窓から押し入った感じもしなければ、玄関から無理やり入った感じもしない」
食器などは散らばっているが、荒らされたというわけではないことがわかる。寧ろ、その場で倒れた衝撃で食器と一緒に床に倒れたという感じだ。食事の準備をしている時に襲われたということだ。
「…犯人は、人間じゃない?」
「その通りじゃな」
トランクから糸に吊るされたコインを取り出した。ダウジングとして使われたり、占いとして使われるペンデュラム。先端が宝石だったり、コインだったり、羽根だったりする。
クロッカーがペンデュラムをかざすと、コインが独りでにくるくると回り始めた。
「魔術が使われたか。コインがここまで速く回るとは、よほど力の強い魔術とみた」
クロッカーはペンデュラムを握り、袖の中にしまうと、死体を囲っていたチョークの跡に触れる。
「殺人事件と見て、間違いはないじゃろうな。ただし、相手は魔物じゃな」
「子供を狙う魔物、か。先生に心当たりはないの?」
「ある。しかし、ちと骨が折れるかもしれんのう」
クロッカーは手袋を脱いで、玄関へ戻る。これ以上の調査は無意味と判断したのだろう。しかし、特にこれといった証拠も何もないが、いいのだろうか。
「行くぞ、エーヴェル。ここに長居は無用じゃ」
「いいの? まだ私は何もわかってませんけど」
「これからわかる」
「…どこに?」
「死体安置所」
クロッカーの言うことは理解ができない。というより説明が足りないのだ。
私はため息をつきながら、クロッカーの後を追いかける。孤児院の外に出ると、曇天が広がっていた。雨が降るのだろう。木に止まっていた燕が低く飛び去っていった。
エーヴェル 〜 ケトロ 死体安置所にて 〜
雨が降る中、ケトロの死体安置所まで馬車で移動した。死体安置所には先程の孤児院の前にいたような保安官達がいた。また、一悶着あると思ったが、その中の太った保安官が敬礼をした。そして、クロッカーに近づくと肩を優しく叩く。
「久しいな、クロッカー」
「お主も相変わらずじゃな? カール」
カール、と呼ばれた太った男はクロッカーの知り合いらしい。彼は私を見ると、優しく微笑んだ。
「噂のお弟子さんかい? お前が弟子なんて取るとは驚きだ」
「人生何があるかわからんよ。それより、ここには用事があってきたんじゃが」
「用事? 死体安置所にか?」
「ふむ。実は例の孤児院襲撃事件の調査を依頼されておるんじゃ。ここにまた、犠牲者が運ばれてきたんじゃろ?」
カールは少し表情を曇らせると、部下である他の保安官達に死体安置所の鍵を開けさせた。
「俺が案内しよう。こっちだ」
カールに案内されて、死体安置所の中へ入る私達。死体を綺麗に保管しているため、少し嗅覚がおかしくなりそうなぐらい様々な薬の香りがつんと鼻を刺激する。
「死体は遺族の手に渡るまで、綺麗に保管しなければならない。そのために防腐剤をばら撒いてるのさ」
「人間はすぐに腐るからのう」
機械人形のブラックジョークのような発言をするクロッカーに冷たい視線を向けて、死体安置所の更に奥へと案内される。
「これだ。今回襲撃された孤児院はリベールト孤児院。修道女三人に、子供は十二人。全員心肺停止の状態で発見」
解剖が済んだ死体が台の上に乗せられている。最初に調べたのは修道女三人の死体。
「この三人のカルテとかはあるか?」
「嗚呼、あるぞ。三人とも出身地と年齢はバラバラ。唯一の共通点は三人とも、ユナティカの教会から派遣されていることと、死因は心臓発作だろうとな」
カールが近くにあったカルテを渡すと、クロッカーはそれを黙読し始めた。私は三人の死体を眺めてじっくり観察する。
「…先生。三人とも、抵抗した跡がない」
「ふむ。ユナティカの教会が出身ならば、<防衛術>の一つや二つは身に付けておると思ったが」
<防衛術>とは、魔物や呪いから身を守るための魔除けや、結界等を作り出す魔術のことを言う。教会出身の修道女はその教会が信仰する神の加護を受けて、<防衛術>を見習いとして習得することになっている。でなければ、修道女にはなれないのだ。
「教会出身の修道女が、見習いのうちに<防衛術>を習得していない場合。ファンネブエンバラ帝国の法律により、裁判を待たずに、絞首刑とされる。だったか?」
「神の使いとされる神聖な存在は、自身を偽る行為や他人を騙す行為は神への冒涜とされる。故に重罪じゃよ」
「世も末だな」と呆れ気味に言うカール。カルテを読み終えると、一体ずつ遺体を確認していくクロッカー。
「ハンネ・アルバート。この三人の中で最年長か…。ん? この修道女、口紅を塗っておるのか」
「おっと、遺体に触れるならゴム手袋をしてくれよ?」
遺体に触れようとした時、カールからゴム手袋を渡された。私は嫌々手袋の上からゴム手袋を装着する。それをカールが不思議そうに見ていた。
「なあ、お弟子さん。手袋を外してからゴム手袋をつけたらいいんじゃないか?」
「カール。エーヴェルは潔癖症なんじゃよ。放っておけ」
「け、潔癖症?」
私は二人のやりとりを無視して、遺体に触れる。クロッカーの言う通り、ハンネは口紅を塗っている。確か、教会の規則は厳しく、濃い化粧や香水は禁止されていたはず。
「この香り。ジャスミン?」
ハンネの肌に触れるとゴム手袋につく白い粉。恐らくファンデーションだろう。首と肌の色が明らかに違うことから、かなりの厚化粧をしていたようだ。
「おいおい、教会は身につける香水まで決まってるのか?」
「魔除け効果のあるハーフ系のものなら許可されている。じゃが、ジャスミンは例外じゃな」
「先生、次」
ゴム手袋を交換し、次の遺体に触れる。茶髪のショートの女性。少しふくよかな体形をしている。布をどかして、解剖された体を調べる。
「アルネ・ゲルト。ハンネの一つ下か」
「この遺体だけ、内臓に異常があった。肺が少し黒かったと言っていたな」
「肺が黒い? タバコを吸っていたってこと?」
一度開かれた体を少し開いて、中を確認する。確かに少し肺が黒くなっている。だが、肺が黒くなる要因は他にもある。タバコを吸っていたと断定するには少し弱い。
私はアルネの口を開いて歯を確認する。疑いは確信に変わった。
「歯が黄ばんでる。それにほのかに、葉巻の香りがする。間違いない。彼女はタバコを吸っていた。そして、同じく抵抗した痕跡なし」
「ふむ、念のため。あと一人も調べておこうかのう? 最後はジェシカ・カデルコ」
再度、ゴム手袋を交換し、最後の一人の修道女の遺体を調べる。黒髪の長髪の女性だ。この二人よりは小柄な感じがする。他の二人と一緒で、抵抗した痕跡も、<防衛術>を使った痕跡もなし。そして、これといって気になる点もない、と思っていた。
「ん?」
この女性の黒い髪にそっと触れる。毛先が少し金色になっていた。はじめはライトの反射だと思っていたが、どうやら違うようだ。よく見ると若干の傷みが見てとれた。
「この女性…髪を染めてる」
「髪を?」
クロッカーも興味津々にジェシカの髪を見る。元はハンネと同じく金髪だったようだ。
「金髪をわざわざ黒く染めた。何故?」
「おいおい、今度は修道女は髪を染めたりしたらいけないとか言うんじゃないだろうな?」
「いや、基本的には染めて構わん。じゃが、金髪を黒く染める必要があったのだろうか」
謎は深まるばかりだ。ゴム手袋を捨てて、三人の修道女の遺体の他に子供達の遺体も確認しようと思った。しかし、子供達の遺体は解剖が済んでいないのか、衣服は着たままで保管されていた。
「子供達の遺体は、もう少し待ってくれ」
「何故じゃ?」
「なんせ、この人数だ。解剖が終わっていない遺体に触れさせるわけにはいかん」
カールは子供達の遺体のそばに立ち、首を横に振った。確かに十二人の子供に、大人三人の解剖は時間がかかるだろう。
「ふむ。ならば、明日の朝にもう一度訪れるとしよう。この辺りで宿はないかのう?」
「それなら、リンダの宿がいいだろう。宿泊客もそんなにいないし、何より静かだ。部下に案内させよう」
「助かる。カルテは儂が持っておっても構わんか?」
聞いている側から、トランクを開けてカルテを入れ始めているクロッカーを見て、少し呆れ気味な表情になるカール。
「好きにしろ。俺には魔術だの、魔物だの…詳しいことはさっぱりだ。こういうのは専門家に任せるよ」
カールは深い溜め息をつきながら、私達を外へ案内してくれた。子供達の遺体は明日見ることになりそうだ。外に出ると、カールの部下が、リンダという女将さんが経営している宿まで送ってくれた。
道中、クロッカーとあの三人の修道女の話をした。
「あの三人、本当に修道女なのか?」
「出身はユナティカ、と言っておったか。そんなにド田舎というわけでもない場所じゃが」
顎に手を当てて、何やら考えているクロッカー。エメラルド色の瞳に映るのは先程のカルテ。彼女たちの死因は謎の心臓発作。だが、これといった病におかされていたと言うわけでもない。
「謎は深まるばかりですね。先生」
リンダの宿に到着すると、カールの部下は敬礼して仕事場に戻っていった。確かにみすぼらしい宿だが、野宿よりはましだ。降り続く雨から逃げるように私達は宿に入ったのだった。
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