浸、月乃、露子とカシマレイコが対峙する。
張り詰めた表情を見せる三人とは対照的に、カシマレイコは一切余裕を崩さない。
不意に、カシマレイコが動く。
浸が真っ先に反応し、カシマレイコよりもはやく鬼彩覇を薙ごうとする。
だがカシマレイコが右手で突きつけたソレを見て、浸は躊躇した。
その隙に、カシマレイコの左手から放たれた霊力の塊が浸へ飛来する。
「っ……!」
それらは浸の――――正確には鬼彩覇による霊壁によって防がれたが、浸は一歩退いてカシマレイコを睨みつける。
「……これがそんなに怖いかえ?」
カシマレイコがその手に持っているのは、倒れていた霊滅師の霊魂だった。
薄ぼんやりと白い輝きを放つそれを、カシマレイコは強く握りしめる。すると、絵の具が滲むようにしてそれは薄紫色へ変色していく。
「させない!」
即座にカシマレイコへ斬りかかる月乃だったが、それはカシマレイコの右手で片手間に受け止められる。
瞬時に鎌へ変化した右腕が、月乃の刃を阻んでいた。
「冥子にも勝てぬお主が、妾に一太刀でも浴びせられると思うたか……たわけ!」
弾かれる月乃だったが、その口元には笑みが浮かんでいる。
「……なるほど」
跳び上がっていた浸が、カシマレイコへと急降下する。カシマレイコは素早く退いて鬼彩覇を回避しつつ、左手に握っていたソレを投げ寄越す。
「――――っ!?」
ソレは弾けるようにして人の形へと変わり、長い黒髪の隙間から真っ赤な目を覗かせた。
「これは……!」
ソレは紛れもない。これまで幾度となく浸達が祓ってきた、カシマレイコ化した悪霊だった。
これ以上躊躇している余裕はない。浸はすぐに目の前の悪霊へ鬼彩覇を振るったが、素早い動きで回避されてしまう。
その上、悪霊はカシマレイコ同様腕を鎌へと変化させ、浸へと斬りかかる。
「くっ……!」
しかし、そこに月乃が切り込んでくる。
悪霊の鎌を受け止め、カシマレイコを追うよう浸へアイコンタクトで指示を出した。
「気分の悪いものを見せてくれるわね……!」
悪霊の鎌と剣戟を繰り広げながら、月乃は顔をしかめる。
カシマレイコは、今、目の前で霊化していなかった霊魂を即座に悪霊化させて手駒にしたのだ。
それも霊滅師。月乃達にとって仲間の霊魂だ。
彼女は触れた霊魂を即座に淀ませ、悪霊化させた上に自身と同質の怪異へと変質させることが出来るのだろう。
「霊力が段違いだわ……!」
悪霊の霊力は、感情の強さや生前の霊力で決まることが多い。
霊滅師のような霊能者が霊化した場合、高い霊力を持った悪霊へと変わってしまうのだ。
「浸……頼んだわよ……!」
月乃と悪霊が戦う向こうで、浸がカシマレイコへ斬りかかっていた。
***
浸の一撃を、カシマレイコが右腕の鎌で防ぐ。鬼彩覇クラスの一撃となると、如何にカシマレイコが強力な存在でも霊壁のみで防ぐことは出来ない。
両者の実力は拮抗していた。
舞うように切り結ぶ中、浸は怒り、カシマレイコは笑う。
冥子の心に付け込み、町を滅茶苦茶にし、無数の被害を出した諸悪の根源。それが浸にとってのカシマレイコだ。
そして今もまた、この女は死者の霊魂を弄んだのだ。
「そんなに苛ついてどうした? 余程癇に障ったか?」
「死者を……これ以上弄ぶな!」
鬼彩覇が、赤い輝きを放つ。
解放された霊力を刀身に纏わせ、浸は鬼彩覇を薙ぐ。
下がって回避するカシマレイコだったが、鬼彩覇の赤い刀身から、赤く染まった霊力の塊がカシマレイコに飛来する。
それを見てカシマレイコは、焦るどころか笑みを浮かべた。
そして右腕の鎌を薙ぐと、そこから発せられた紫色の霊力で鬼彩覇の霊力を相殺させた。
「ただの人間が霊撃波(れいげきは)を撃つか! 見直したぞ雨宮浸! 他人の霊力とは言え、そこまで操るとは大した奴だのぅ!」
カシマレイコには隙がない。このまま拮抗した状態で戦い続ければ、恐らく体力に限界のある浸が先に力尽きるだろう。
だが次の瞬間、高濃度の霊力の込められた弾丸が飛来する。
「む……?」
それはカシマレイコの霊壁に食い込むと、そのまま破裂し、霊壁を粉砕した。
***
「露子。お前はナイフを投げられるか?」
まだ浸が戻ってくる前、ある日の特訓で、赤羽絆菜は不意に露子へそんな問いを投げかける。
「は? 投げられますけど?」
まるでなめられているような気がして強気に返す露子に、絆菜は薄く笑う。
「そうか。困ったな、ナイフ投げを教える代わりに銃の扱いを教えてもらおうと思ったのだが」
そう言って肩をすくめる絆菜に、露子は目を丸くする。
「なんでまた急に?」
「いや何。出来ることは多い方が良いと思ってな。活かす機会は少ないかも知れんが、お互いの武器の性質は理解し合っていた方が良いような気がしてな」
「……コンビネーションを前提にすんのねアンタ」
「ああ。もう組んでいるようなものだからな」
絆菜のその言葉に、露子は特に言い返す気が起きなかった。
誰が組むか、と思ってしまう反面、雨宮霊能事務所を二人で管理している以上既に組んでいるとも言えたからだ。
これからしばらくは二人での行動が多くなる。
コンビで戦うこともあるだろう。
露子は深くため息をつくと、普段使っているハンドガンを絆菜に差し出した。
「わかった。教える。それと、ナイフを投げれるとは言ったけど、精々最低限よ。アンタ程の精度はない」
「……交渉成立か」
少し驚きながらも、妙に嬉しそうに笑う絆菜に、憎まれ口を叩ききれない。
「しっかり教えなさいよね! 何ヶ月かしたらアンタよりうまくなってやるわ!」
「ふ、それは楽しみだ。その時は勝負をしよう……どっちがうまく投擲出来るかをな」
「望むところだっての!」
その約束が、果たされることはなかった。
けれどずっと、露子の胸の中に残り続けている。
***
月乃が悪霊と戦い、浸がカシマレイコと戦う中、朝宮露子はただ状況を見極めていた。
認めたくはなかったが、露子は自分が戦力として浸や月乃に劣っていると理解している。
薤露蒿里は一撃必殺の弾丸だが、その性質上霊壁で止まってしまえば霊壁を破壊するだけで終わってしまう。
ならその先の一手が欲しい。
霊壁を破壊するだけなら、この場では意味がない。
その先。
カシマレイコに隙を作り、浸の渾身の一撃を浴びせるための一手が。
右手で薤露蒿里を構え、露子はカシマレイコを見据える。
浸とカシマレイコの戦いはほぼ互角に見える。それなら、カシマレイコは浸だけに対応し続けざるを得ない。
目の前で手駒を一体作ったのは、一対一の状況を作り出すためだ。
それは裏を返せば露子を相手にしていないということでもあったが、それならそれで構わない。
(そういう他人を見下した奴の鼻っ面を、へし折ってやんのが気持ち良いのよ)
まだだ。
まだ。
まだ。
まだ。
撃ちたくなる気持ちを抑え込み、露子は機会を待ち続ける。
絆菜を悪霊化させたあの女を許すわけにはいかない。
かなわないとしても、せめて一矢報いなければ気がすまない。
(……出来る。あたしは……強い!)
そしてついに、その機は訪れる。
浸とカシマレイコが霊力の塊――――霊撃波をぶつけ合った直後、一瞬だけ隙が生まれた。
即座に引き金を引くと、想定通り弾丸は霊壁で防がれる。そして弾け、霊壁を破壊した。
「む……?」
これが最後のチャンスだ。
向こうが露子を標的にすれば、恐らく守ろうとする浸は不利になる。
「あたし”達”のありったけの魔力! 味わいなさいっ!」
霊壁が壊れたその一瞬。
再生するその直前。
露子は左手で、隠し持っていたナイフを投擲した。
かつて絆菜が使用していた投擲用のナイフ。
彼女の流した霊力が微かに残ったソレに、露子はありったけの霊力を流し込む。
真っ直ぐに飛んだそのナイフは、カシマレイコの額に突き刺さった。
カシマレイコが目を見開く。
頭が仰け反る。
その一瞬の隙を、雨宮浸は絶対に見逃さない。
「浸!」
「――――はいっ!」
再び鬼彩覇の刀身が赤く染まる。そして浸は、間髪入れずに鬼彩覇を振り上げ、カシマレイコへ振り下ろした。
その一太刀は、カシマレイコを両断する。
斬り裂かれたカシマレイコは、宙に浮いた状態でそのまま歩幅にして数歩分退いた。
「……まだ足りませんか……っ!」
鬼彩覇の一撃は確実にカシマレイコを斬り裂いていた。
だがそれでも、カシマレイコはまだ完全に祓えてはいない。
「致命傷だのぅ……やれやれやってくれたな」
半分ずつになったカシマレイコが、両方の口でため息をつく。
そしてすぐに、ニヤリと笑みを浮かべた。
「だが妾は祓えんぞ雨宮浸」
「なんですって……!?」
「人が妾を恐れ続ける限り、何度でも妾は現れる」
今のカシマレイコは、人々の恐怖によって生まれた思念体だ。
人々がカシマレイコという特定の対象に恐怖している限り、その感情は消えず、募り続ける。そしてそれが、思念体を生み出す。
「いずれこの町の人間は妾が……妾達が全て惨たらしく殺す。精々足掻けゴーストハンター、霊滅師……祓えぬ妾を相手にのぅ……」
不穏な言葉を残して、カシマレイコが消えていく。
「待ちなさい!」
浸はすぐに追撃しようと鬼彩覇を振ったが、その時には既にカシマレイコは消え去っていた。
「浸! 朝宮さん!」
悪霊を祓った月乃は慌てて浸達の元へ駆け寄ってくると、苦々しい顔でカシマレイコのいた場所を見つめた。
「……すみません、お師匠、またしても……」
「いいえ、退けただけでも大金星かも知れないわ。二人共、お疲れ様」
カシマレイコが祓えない。
あの強力な怪異は、また何度でも町の人を襲うだろう。
殺して、弄んで、怪異を生み出して。
その地獄のような光景を想像して、浸は唖然とした。
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