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#ざまぁ
にゃみ3
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鷹槻れん

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「執事長、旦那様と奥様が王宮からお戻りになられました」
慌てた様子のメイドが、アルスハイン公爵家の執事長セドリックにそう告げた。
「何をそう慌てているのだ、お二人が戻られたのならすぐに屋敷へ通さないか」
「それが只事ではない様子なのです。至急、共に来ていただけませんでしょうか」
「何だと? 分かった、直ぐに向かおう」
セドリックが屋敷の外へ出ると、ちょうど白みがかった栗毛の雌馬から降り立った主人の姿が見えた。
艶やかな黒髪に、冷徹さを宿す水色の瞳。
若くして公爵の座を継ぎ、類まれなる才覚をもって広大な公爵領を率いる公爵ルシアン。
ふと視線を移すと、彼の腕の中には一人の女性が抱きかかえられている。
「この最低男! 私をこの世で何よりも大切に扱うって誓ったくせに!」
彼女の腰まで届くしなやかな髪の一本一本が黄金の輝きを宿していた。
この世のものとは到底思えない、信じられないほど美しい女だった。
彼女の姿を目にした瞬間、門前に集まっていた使用人や騎士たちが男女を問わず一斉に視線を奪われた。
「私が乗馬を嫌っていることを知っているくせに、ひどいわ! もう降りる、離して!」
腕の中で細長い手足をじたばたと暴れさせる妻を気にもとめず、ルシアンは真っ直ぐ屋敷へと歩みを進めていく。
セドリックは、すぐに表情を引き締めて彼らの元へ駆け寄ると、深く頭を垂れた。
「お帰りなさいませ。旦那様、奥様」
「セドリック。すぐに医者を呼べ」
「はい……?」
反射的に顔を上げたセドリックは、その時初めて彼女の腕が血で滲んでいることに気づいた。
「降ろしてよ、みんなが見ているじゃない! こんなの恥ずかしいわ!」
しかし、当の本人は全く気にしていない様子で自分を抱き抱える夫を睨みつけている。
慌てて頷いたセドリックは、すぐに側に控えていたメイドに公爵家の主治医を呼ぶように指示した。
ルシアンは二人のメイドに視線を向けて共に着いてくるように言うと、それ以外の人間は全員下がっているように命じた。
名を呼ばれなかったセドリックは、彼女の私室へと公爵夫人を運び込む公爵の後ろ姿を呆然としながら見つめた。
手当など、公爵のやるべき仕事ではないだろうに。
公爵家の使用人たるもの、情に流されてはならない。
主人の私情に振り回されることなく、常に家の利益を考え、アルスハイン公爵家の繁栄に尽くす。
それが、この家に仕える者たちが幼い頃から徹底して叩き込まれてきた教えだった。
ルシアンもまた、同じように躾けられてきたはずだった。
公爵家に生まれた者として、己の感情よりも家の繁栄を優先すること。
彼の両親がそうであったように、愛情などなくとも、家同士の利益のために結ばれた相手と夫婦となり、跡継ぎを残し、次代へと家を繋いでいくこと。
冷静で何事にも動じない男。氷のように冷たい水色の瞳を持つ男が、公爵夫人を見つめる時だけは限りなく甘くなる。
その事実に気づいているのは、決してセドリックだけではないだろう。
公爵が公爵夫人へ向ける愛情は、それほどまでに分かりやすい。
彼女はその美しさゆえに、一部では「神を惑わし、聖女の力を奪い取った悪女」などという噂まで囁かれているという。
公爵夫人は、それこそ世間で語られているような聖女らしい女性とはお世辞にも言えなかった。
慈愛に満ちた笑顔を浮かべるわけでもなければ、誰かれ構わず手を差し伸べるような純粋な人間でもない。そのうえ、聖女として与えられた力さえ、使うことを頑なに拒み続けている。
気に入らないことがあればすぐに顔へ出るし、言葉も決して優しいとは言えない。それでも彼女はロズレイン公爵家の令嬢として教養と品位を身につけた文句のつけ所のない淑女だった。
少なくとも、使用人に意味もなく当たり散らしたり、権力を笠に着て誰かを虐げたりするような人ではない。
あの容姿――王太子がかつて彼女に惚れ込んだというのも、仕方のないことだろう。
腰まで届く黄金色の髪も、透き通るような肌も、見る者を惹きつけてやまない美貌も。
この国に二人しかいない聖女の一人であるという事実を抜きにしても、彼女が人々の注目を集めるのは当然だった。
だからこそ、もう一人の聖女レティシアと彼女が何かにつけて比較されることに、セドリックは内心不満を抱いていた。
そもそも、比べること自体が不躾だった。
名門ロズレイン公爵家の令嬢にして、アルスハイン公爵夫人である彼女と、聖女としての力を持つとはいえ平民出身の娘。
この国では、身分というものが時として命よりも重く扱われる。それは聖女であっても例外ではない。
どれほど聖女として人々を救おうとも、どれほど慈愛に満ちた振る舞いを見せようとも、生まれ持った身分は変えられない。
たとえ、どれだけレティシアが聖女の力で人々を救い続けたとしても、聖女の力を拒み、傲慢に振る舞うフレイアのほうが貴族社会では遥かに尊ばれた。
それがこの国の現実だった。
「いいか、くれぐれも奥様の機嫌を損ねるようなことを言うな」
セドリックは呆然と立ち尽くす使用人たちへ厳しく言い聞かせた。
彼らが慌てて頷くのを見届けると、小さく息を吐く。
もう一度あのようなことになっては、たまったものではない……。
セドリックは、以前この屋敷に長く仕えていたメイド長のことを思い出した。
彼女が、フレイアに後継の話を持ち出した時のことを。
公爵家の未来を考えれば、決して間違った話ではなかった。結婚したばかりとはいえ、いつまでも公爵家の夫婦が夫婦としての義務を果たさないわけにもいかない。
いずれは後継者を――。
メイド長がそう口にした瞬間、公爵夫人はまるでその言葉そのものが恐ろしいものであるかのように顔を青ざめさせた。
普段なら、気に入らないことを言われればすぐに眉を吊り上げ、相手が誰であろうと、たとえ王太子であろうと容赦なく言い返す彼女が怯える姿は今もなおセドリックの脳裏に鮮明に残っている。
そして、それ以上に忘れられないのが、その時のルシアンの姿だった。
普段は感情を表に出すことなど滅多にない主人が、あれほどまでに怒りを露わにしたことは後にも先にもその時だけだった。
その日を境に、誰もフレイアへ後継について口にすることはなくなった。
そう。冷静沈着な公爵が怒るのは、あの可憐な公爵夫人を傷つけた時だけ。
それにも関わらず、怪我を負うなど……。
「まったく、どうしたものか」
目を伏せたセドリックは、痛む頭を押さえるように眉間へ手を添えた。
公爵の姿を見るに、恐らく公爵夫人は何者からか危害を加えられたに違いない。
一体その相手は誰なのか、すぐに問いただしたくてたまらなかった。
もちろん、セドリックは心の底から怪我を負った公爵夫人の身を案じている。しかし、それ以上に気に掛かっているのはルシアンの方だった。
あれほど怒りを露わにする公爵の姿を、セドリックは今まで一度も見たことがない。
一体、どこの大馬鹿者が、公爵がこれほどまでに寵愛する妻を傷つけたというのだろうか。
・ ୨୧ ┈┈┈ ⋯ ┈┈┈ ୨୧ ・
先ほどまでは人目が気になって抵抗できなかったが、自室へ足を踏み入れた途端、私は彼の頬へ手を伸ばした。
一瞬、思いきりつねってやろうかと考えたものの、彼へ痛みを与えたいわけではない。私は代わりに手のひらでその頬を押し潰した。
「降ろしてって言ってるでしょ!」
すかさず声を張り上げると、ルシアンは小さく息を吐きながらも、私を優しくベッドへ下ろした。
ようやく足が床についたことに安堵したのも束の間、彼は何の説明もせずに身を翻す。
そして私の机へ向かうと、いくつか引き出しを開けて中を探り始めた。彼が取り出したのは一本の鋏だった。
「な、何をするつもり?」
「動かないでください」
そう言うと、ルシアンは私の右肩付近へ鋏を入れた。
私は言われた通り、大人しく身体を固めた。
鋏の刃が布地を切り裂く音が、静かな室内に響いた。
真剣な表情で私の右袖を切り落としていく彼を、私はじっと見つめる。
「これ、お気に入りだったのよ」
「医師の前で服を脱ぐわけにもいかないでしょう」
「医師なんだから、別に気にしないと思うけど……」
「あなたが気にしなくても、俺が気にします」
さらりと言い切られ、私は彼の顔を見つめた。
けれど、すぐに気まずくなってふいと顔を逸らす。
あなたは平気なの? どこも怪我をしていないのよね?
そんな言葉が喉までせり上がった。
私はもう一度、そっと彼の姿を盗み見る。
どこにも傷を負っている様子はない。
私が死ぬことはありえないのだから、そこまで気にかけることはないのに。
たとえ私が光魔法を拒み続けたとしても、本当に生死に関わる事態になれば、きっと身体が勝手に発動させる。
その昔――何百年も前のこと。
初代聖女が光魔法を発現させるよりも前、彼女はそのあまりの美しさゆえに魔女ではないかと疑われ、魔女狩りの対象となったという。
『皆様が望むのなら、私は喜んで罰を受けましょう』
彼女は抵抗することなく、刑を受け入れた。
けれど、業火に包まれても彼女は死ななかった。
無意識のうちに光魔法が発動し、焼かれた身体を癒やし続けたのだ。
炎に身を焼かれる苦しみに耐えながら、それでも生き続ける少女。その姿を目の当たりにした人々は、やがて手のひらを返した。
彼女を魔女ではなく、神に愛された少女――聖女と呼ぶようになったのだ。
あまりに身勝手で、不愉快な伝説だ。
だけどその話があるとおり、神に愛された聖女である以上、私の身は私が望まなくとも生き続ける。たとえ、この心臓に剣を突き立てられたとしても。
だから、私のことなんて気にしなくていいのに。
「……痛むか」
切り落とされた袖の下から右腕が露わになる。
包帯に覆われる前の傷は、まだ血が滲んでいた。
私は神妙な顔でこちらを見つめる男から顔を逸らして、淡々と答えた。
「そこまで痛くないわ、大袈裟よ。わざわざ抱き上げなくたって、自分で歩けたわ。ただ掠っただけだもの。それに医者を呼んでくれたんでしょう?」
痛みよりも、先ほどから身体の中を這い回るような、この不愉快な感覚のほうがずっと気味が悪い。
「それより、いつまでもそんなことをしていないでもう出ていって。こんなことをしている場合じゃないでしょう」
「怪我を負った妻を置いて、どこへ行けというのですか」
「手当を受けると言っているじゃない! どうして私の言うことを聞いてくれないのよ!」
私は眉を吊り上げた。
「私を馬に乗せたくせに。私を何よりも大切に扱うと言ったから、あなたと結婚したのに……私に嘘をついたのね!」
「自分を大切にできない人に、そのような文句をつけられる筋合いはありませんね」
ルシアンはそう言うと、私の顔を一瞥してから、右腕へと視線を落とした。
「だって、アルセインの元へ騎士を送らないといけないでしょ……」
「従者を心配する暇があるのなら、どうか自分の身を案じてください」
「わ、私は……!」
「そんなに俺に出ていってほしいのなら、すぐにその傷を治してください。もしあなたに――」
その言葉を最後まで聞くより先に、私はベッドの上に置かれていたクッションを掴み、彼へ向かって投げつけた。
「傷でも残ったら、何? 傷の残った妻はいらないと言いたいの?」
「……フレイア」
「結局私は、光魔法を使わないろくでもない聖女よ! だけど私は、一度だってこの力を願ったことなんかないわ!」
先ほどから感じていた、あの得体の知れない不安や苛立ちが、まるで一つの塊となったかのように全身を駆け巡っていく。
こんなことを言うべきではない。彼はただ私の身を心配してくれているだけ。
そんなことは、自分でも分かっている。
それなのに、一度溢れ出した感情を、もう抑えることができなかった。
どうしてなの? これは、何?
どうにか心を落ち着かせようとしても、頭の中には次から次へと悪い考えばかりが浮かんでくる。
そうしているうちに、いつしか聞き慣れた声が脳裏の奥から蘇ってきた。
『私の可愛いフレイア。騙されてはダメよ。どれだけ甘い言葉を吐いていても、すぐにお前を裏切るのだから……誰も信じてはいけないわ』
私の優しいお母様が、そんなことを言うはずがない。
これは私自身が生み出した幻聴に過ぎない。
そう分かっているはずなのに……。
なぜか、その言葉に突き動かされるように、私の口は勝手に動いていた。
「そんなに光魔法を使わせたいなら、もう一人の聖女と結婚すれば良かったでしょ! 彼女なら、きっと従順にあなたの言葉に従う妻になっていたはずだわ!」
吐き出した言葉が部屋に響き、その瞬間、胸の奥がひやりと冷たくなった。
普段、どれだけ私が生意気なことを言っても、不機嫌な素ぶりを見せても、どこか満足げに笑っている彼が、今は明らかに顔をしかめている。
だが、私の口はまるで魔法でもかけられたかのように勝手に動き出していた。
「黙っていないで、何か言ってよ。私は間違ったことを言って――」
その瞬間だった。
一瞬にして思考が止まり、頭の中が真っ白になった。
いつものように文句ばかりを並べていた私の口を、ルシアンが塞いだのだ。
唇を噛むのを止める時と同じ手ではなく、今度は彼自身の唇で。
やがて唇が離れると、ルシアンは何事もなかったかのように私の額へ落ちていた髪を横へ流し、整える。
「あなたが光魔法をお使いになりたくないことは、わかっています」
その声は、先ほどまでの苛立ちなど微塵も感じさせないほど穏やかだった。
「ですが、今日くらいは俺の言うことを聞いて、よく休んでください」
静かにそう告げる彼を、私はただ呆然と見つめる。
何か言わなければと思い口を開きかけた、その時、部屋の扉がたたかれた。
「旦那様、奥様。お医者様をお連れいたしました」