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◆ ◆ ◆
【異世界・王都/警備局医療棟・病室】
ユナの指先が、もう一度だけ動いた。
今度は“偶然”じゃない。何かを探すみたいに、空を掴む。
リオはその手を両手で包み込んだ。
震える手が、やっと落ち着く場所を見つけたみたいに。
「姉さん。……ここ。俺、いる」
ユナのまぶたがゆっくり持ち上がる。
薄く開いた視線は最初、天井の白へ吸い込まれて――
それから、少しずつ焦点が降りてきた。
リオの顔。
ハレルの肩。
サキの赤い目。
アデルの剣の柄。
ひとつずつ、“世界の輪郭”をなぞるみたいに。
ユナの唇がかすかに動く。
声は、まだ小さい。
「……りょう……?」
リオが息を吸って、笑って、同時に泣いた。
「うん。……うん。そう。涼」
ユナは眉を寄せた。
まるで、名前は分かるのに、そこへ辿り着く道が欠けているみたいに。
「……ここ、どこ……」
ハレルが一歩近づき、声を低くした。中学生でも分かる言葉に、噛み砕いて。
「王都の医療棟だ。君はずっと、眠ってた。……でも、戻った」
“戻った”の意味がユナに届くまで、一拍遅れた。
ユナは自分の胸元へ視線を落とし、呼吸のリズムを確かめる。
それから、何か思い出そうとして、顔をしかめた。
「……暗いところ……」
「ずっと……水の底みたいで……」
「声が……いっぱ……」
言いかけて、咳き込む。
リオがすぐ背を支え、看護担当の隊員が水を用意する。
サキが泣き笑いのまま言った。
「無理しないで……! いまは、戻ってきたってだけで、十分だから」
ユナは小さく頷いた。
頷き方が、どこかぎこちない。けれど――“生きている”頷きだ。
その足元。
白い床の上で、青白い円がまだ薄く光っていた。
文字列みたいな光が、ゆっくりと走り続けている。
そこから立ち上がったセラが、静かに言う。
「記憶は、欠けているほうが自然です。急に全部戻ると、心が割れてしまう」
「……でも、戻ります。時間と、会話と、触れることで」
アデルがユナを見て、短く頷いた。
「……生存は確定だね」
セラは視線を床へ落とす。
「問題は、こちらです」
ハレルも目を落とす。
あの魔法陣。あの文字列。
サロゲートとレアを飲み込んだ“あれ”と同じ匂い。
「これ、俺たちの味方……なのか?」
ハレルの声が掠れる。
セラは即答しなかった。
一歩だけ距離を取る。触れない。近づきすぎない。――橋渡しの癖。
「“味方”というより……仕組みです」
「誰かが作った仕組み。境界を縫って、必要なものだけを引き抜く」
「そして、同じ文字列が――別の場所でも走っています」
その言葉に、病室の空気が少し冷えた。
サキがスマホを握り直す。
画面は暗いのに、掌だけがじんわり熱い。
「……ねえ」
サキが小さく言う。
「また、来るの?」
セラは答える代わりに、イヤーカフへ視線を向けた。
まるで、その向こうのノノに“聞いて”と言っているみたいに。
◆ ◆ ◆
【異世界・王都/王都・解析室】
白い紙の上に、細い線が何本も引かれている。
学園の座標。医療棟の座標。門前の結界の範囲。
全部が、わずかに揺れている。
ノノは目の下を指で擦って、イヤーカフへ息を吐いた。
『……増えてる』
『同調の“波”が。王都だけじゃない。もっと外側も、薄くなってる』
『たぶん、カシウス側が……一回で終わらせる気がない』
リオの声が返る。病室側から。
「姉ちゃんは、戻った。……でも、外がうるさい」
ノノは少し間を置いて、言い方を選んだ。
『うん。戻ったの、すごく大きい』
『だから次は、“戻したこと”そのものを狙ってくる可能性がある』
『学園も、医療棟も、今は目立つ』
アデルが低く言う。
「守り方を変える。病室は最小。学園側の混乱もまだ続く」
セラが、病室の円を見たまま小さく言った。
「……世界が、同じ呼吸を始めています」
その言葉が、嫌なほど自然に胸へ落ちる。
◆ ◆ ◆
【現実世界・学園跡地/石造建物・白い研究施設】
銃声が止んでも、黒ローブは揺れない。
弾の当たる音が存在しないまま、白い部屋だけが静かに軋む。
城ヶ峰は銃口を下げず、声を抑えて言った。
「……こちらの世界に干渉してるのか」
黒ローブは淡々と返す。
「干渉ではない。“準備”だ」
木崎はカメラを回しながら、唇を噛んだ。
「準備って……さっきからそればっかだな。何を、どこまでやる気だよ」
黒ローブはドーム型カプセル――白いコアへ視線を落とす。
「鍵が増えれば、扉は増える」
「扉が増えれば、人は慣れる」
「慣れれば、抵抗は弱くなる」
日下部が、ノートパソコンを抱えたまま一歩前へ出かけて、止まった。
目が白い床の文字列を追っている。
“引っ張られる”感覚が、また戻ってきている顔だ。
城ヶ峰が肩を押して制した。
「前に出るな」
日下部は悔しそうに唇を噛み、頷いた。
「……分かってる。でも……ここ、同じだ」
「白い廊下と、同じ匂いがする」
その瞬間。
白い床の文字列が、一拍だけ強く光った。
部屋の外、通路側から無線が飛び込む。
『外! 外縁で異常! 森の“濃さ”が増してる!』
『……別地点でも、似た報告が入ってます! 駅前で、路地で、港で――』
城ヶ峰の眉が、ほんの僅かに動く。
“ここだけじゃない”と言われた直後に、現実が追いついてきた。
木崎が、笑いとも息ともつかない音を漏らす。
「……はは。世界規模かよ」
黒ローブは、初めて“嬉しそうでも怒ってもない”声で言った。
「そうだ。もう始まっている」
城ヶ峰は決めるのが早かった。
「撤退する。情報を持ち帰る。外の状況を優先する」
「この部屋は封鎖。監視を付ける。――今は、勝ち負けじゃない」
特殊部隊が隊形を組み直し、後退を始める。
黒ローブは追ってこない。追う必要がないみたいに、ただ立っている。
最後に、木崎がレンズ越しに白いコアを映す。
その白が、妙に“静かすぎる”のが怖かった。
日下部が振り返りざま、床の文字列をもう一度見る。
「……これ、増える。きっと、もっと」
◆ ◆ ◆
【異世界・王都/警備局医療棟・病室】
ユナが、リオの手を弱く握った。
握力は弱い。けれど意志はある。
「……こわい……」
「でも……涼、いる……」
リオは頷いて、涙を拭こうとして、結局拭けないまま笑った。
「いる。ずっといる」
ハレルは主鍵を握り、サキのスマホを見る。
画面は静かなまま。
けれど胸の奥が、落ち着かない。
セラが、病室の扉のほうを見た。
「……次は、ここだけの話ではありません」
アデルが短く言う。
「世界が広がるってことだね」
ノノの声がイヤーカフから飛ぶ。
『うん。……広がってる。もう、止めにくい形で』
『でも、今はひとつだけ言える。ユナが戻ったのは、希望だよ』
『希望があると、戦い方が変わる』
希望。
その言葉が、病室の白い空気に少しだけ色を足した。
けれど同時に――
病室の床の円が、ほんの少しだけ脈打つ。
遠い場所で、白い床が光る。
遠い場所で、森が増える。
遠い場所で、誰かが“扉”を数えている。
ハレルは息を吸った。
胸の奥に、嫌な確信が生まれる。
(これは終わりじゃない)
(始まり方が、変わっただけだ)
ユナがもう一度、かすれた声で言う。
「……あとで……教えて……」
「わたし……暗いところで……何を……」
リオが頷く。
「うん。ゆっくり。少しずつでいい」
セラが、最後に静かに告げた。
「次は――“世界そのもの”が、戦場になります」
その言葉と一緒に、病室の窓の外で、遠い鐘の音が鳴った。
王都の音。
なのに、どこか“別の場所”の音にも聞こえた。
そして、世界は――同時に、ずれ続けた。
第七章 学園異世界転移編―――了
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