テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
1件
おお、24話読んだわ。今回も重かったな…。朝の静けさから一転して、迷い霧が薄くなってる違和感、そして対魔装備を整えて再び攻めてきた軍。千代が肩を掠られて血が出た瞬間はマジでヒヤッとしたわ。大和のあの静かな怒り、ヤバかったな…「下がれ」の一言で空気変わるの、格好良すぎて震えた。でも「集落を捨てる」って決断、正しいけど辛いよな。また逃げるのか…って気持ち、すごく伝わってきた。次、どうなるんだろう。
何かが少しずつ変わり始めている。
そんな感覚だけを残して、その夜は終わった。
翌朝、目を覚ました時には昨日感じた違和感も薄れていた。
夜哭きの森の朝は研究所とは全く違う。
遠くから聞こえる鳥型の魔獣の鳴き声と、木々を揺らす風の音で自然と目が覚める。騒がしい警報もなければ、誰かが廊下を走る音もない。
しばらく天井を見上げてから身体を起こす。
空き家と言っていたが、思っていたよりずっと綺麗だった。
使われなくなっていたとはいえ、定期的に手入れはされていたのだろう。
少なくとも雨風を凌ぐには十分すぎる。
「予紬さん」
声のした方を見ると、しゆらが既に起きていた。
窓を開けて外を見ている。
朝日を受けた白髪が柔らかく光っていた。
「おはようございます」
「おはよう」
そう返すと、しゆらは少しだけ嬉しそうに笑う。
最近気付いたことだが、こいつは朝の機嫌が良い。
研究所にいた頃からそうだった気もする。
「よく眠れたか」
「はい」
しゆらは素直に頷いた。
「久しぶりに安心して眠れました」
その言葉に少しだけ胸の奥が重くなる。
考えてみれば当然だった。
研究所が崩壊してから、まともに休めた日など一日もなかったのだから。
軍に追われ、森を彷徨い、千代と遭遇し、ようやくここへ辿り着いた。
安心して眠れるというだけで十分な進歩だ。
「予紬さんはどうですか?」
「悪くない」
そう答えながら立ち上がる。
窓の外では既に住人達が動き始めていた。
朝食の準備をしている者。
畑へ向かう者。
魔獣の様子を見て回る者。
どこにでもある朝の光景だった。
だが、その中に少しだけ違和感が混じっている。
魔獣達だ。
昨日から感じていた落ち着かなさが消えていない。
狼型の魔獣は何度も森の奥へ視線を向けているし、空を飛ぶ鳥達も妙に低い場所を旋回している。
何かを警戒しているようにも見えた。
「やっぱり変だな」
思わず呟く。
するとしゆらも頷いた。
「私もそう思います」
視線の先ではシエルも落ち着かない様子で耳を動かしていた。
まだ子犬ほどの大きさしかないが、魔獣としての感覚は残っているのだろう。
何かを感じ取っているらしい。
「森の奥ですね」
「そう見えるな」
二人でそんな話をしていると、家の外から騒がしい声が聞こえた。
聞き慣れた声だった。
「予紬ー!」
勢いよく扉が開く。
ルカだった。
相変わらず遠慮というものが存在しない。
「朝から元気だな」
「ボクじゃない」
「じゃあ誰だ」
「千代」
その名前が出た瞬間、しゆらが小さく笑った。
何となく嫌な予感がする。
案の定だった。
「また何かあったのか」
「大和と一緒にいる」
「それだけか?」
「それだけで面白い」
断言された。
少しだけ外へ出るのが億劫になる。
だがルカは構わず腕を引っ張った。
「早く!」
「子供か」
「子供だよ」
それもそうだった。
仕方なく家を出る。
朝の光が森を照らしている。
住人達もいつも通り働いている。
一見すると昨日までと何も変わらない。
それなのに、森の奥から吹いてくる風だけが妙に冷たく感じられた。
そして。
その風に混じるように、遠くで鳥型の魔獣が短く鳴いた。
昨日の違和感は、どうやら気のせいではなかったらしい。
鳥型の魔獣が鳴いたのは一度だけだったが、その後もしばらく空を旋回し続けている。森の住人達は普段と変わらない様子を見せているものの、注意深く観察していると時折森の奥へ視線を向けていた。
俺達が向かった先でも同じだった。
集落の中央にある広場では、千代と大和が何やら話をしている。
いや、正確には話をしているのは大和で、千代は腕を組みながら聞いているだけだ。
それだけなら別に珍しくもない。
問題は距離だった。
近い。
妙に近い。
「ほら」
ルカが肘でつついてくる。
「近いだろ」
「お前は朝から何を見てるんだ」
「面白いもの」
即答だった。
呆れていると、近くにいた住人達まで苦笑している。
どうやら集落全体で認識されている話らしい。
「おはようございます」
しゆらが声を掛けると、二人がこちらを見る。
千代は何事もなかったような顔をしているが、周囲の視線に気付いているのか若干機嫌が悪そうだった。
「なんじゃ」
「別に」
「その顔は何かある顔じゃ」
鋭い。
だが言わない方が平和だろう。
そう判断して話題を変える。
「森の様子はどうだ」
その瞬間、千代の表情が少しだけ真面目になる。
「同じじゃ」
短い返答だった。
だが昨日の違和感を知っているからこそ重い。
「魔獣達が落ち着かぬ」
そう言いながら森の奥へ視線を向ける。
「騒ぐほどではない。じゃが、何かがおるような気配でもない」
大和も小さく頷いた。
「霧も少し薄い」
その言葉に思わず眉をひそめる。
昨日の違和感。
魔獣達の警戒。
そして霧。
それぞれが繋がっている気がした。
「迷い霧か」
「うむ」
千代が頷く。
「消えておる訳ではない。じゃが、いつもより流れが弱い」
流れ。
その表現が少し気になった。
研究所でも魔力の流れについては研究されていたが、迷い霧そのものについて詳しい資料は見たことがない。
そもそも人間社会では半ば伝承扱いだった。
「原因は分からないのか」
「分からぬ」
今度は大和が答える。
「今朝も確認した」
その言葉に少し驚く。
朝から森を見回っていたらしい。
「あれは自然の霧ではない」
大和は森の奥を見つめたまま続けた。
「昔から森にあるものだ」
その言い方からして、大和ですら全てを理解している訳ではないのだろう。
夜哭きの森にとって迷い霧は当たり前に存在している。
当たり前すぎるからこそ、失われることを想定していないのかもしれない。
「だから気持ちが悪い」
珍しく千代が不安そうな声を出した。
それだけで事態の重さが伝わる。
この森を誰よりも知っているはずの千代が原因を掴めていないのだ。
「とりあえず今日は見回りを増やす」
大和がそう言うと、周囲の住人達も頷いた。
誰も反対しない。
その判断が当然だと思っているのだろう。
話がまとまりかけた、その時だった。
森の入口側から数頭の魔獣が駆けてくる。
慌てている。
そう感じるほど速かった。
住人達が一斉に顔を上げる。
千代も反射的に立ち上がった。
魔獣達はそのまま広場へ飛び込んでくると、何度も森の外を振り返りながら低く唸り声を上げた。
空気が変わる。
さっきまでの不安が、今度は確かな警戒へ変わった。
大和が静かに目を細める。
千代は既に腰の短槍へ手を掛けていた。
「来るぞ」
大和の声が広場に落ちた瞬間、住人達の動きが変わった。
誰かが慌てて叫ぶことも、武器を取り落とすこともない。子供達を家の奥へ移す者、魔獣達を集落の内側へ誘導する者、見張りへ走る者がほとんど無言で動き始める辺り、この森の住人達が何度も危険を越えてきたことが分かる。
しゆらもすぐにシエルを抱き直した。
まだ小さな身体のシエルは低く喉を鳴らし続けているが、昨日のように眠そうな様子はない。白銀の毛が逆立ち、紫色の瞳で森の入口を見つめるしゆらの腕の中で、今にも飛び出そうとしているようだった。
「シエル、大丈夫です」
しゆらが落ち着かせるように囁く。
それでもシエルの唸りは止まらない。
「よつむ」
ルカが俺の服の裾を掴んだ。
顔には不安が浮かんでいる。
それでも泣き出さない辺り、こいつも随分と我慢しているのだろう。
「昨日の人達?」
「まだ分からない」
そう答えながら森の奥へ目を向ける。
霧が薄い。
昨日までは木々の間を満たすように漂っていた白い霧が、今はところどころ切れ目を作っている。もちろん完全に晴れているわけではないし、普通の森なら十分に視界が悪いと言えるのだろうが、夜哭きの森を守る迷い霧として見るなら明らかに頼りなかった。
千代が短槍を手に前へ出る。
その背中に先程までの照れは欠片も残っていない。
赤みがかった黒髪が朝の風に揺れ、黒曜石のような角が陽の光を受けて鈍く光っている。美しいというより、今はただ鋭い。
「大和様」
「分かっている」
二人のやり取りは短い。
だがそれだけで十分らしい。
千代は森の入口へ視線を向けたまま、低く息を吐いた。
「迷い霧が薄い。これでは奥まで寄せられる」
「無理に出るな」
「分かっておる」
言葉ではそう返しながらも、千代の足は半歩前へ出ていた。
性格的に、守る側でじっとしているのは苦手なのだろう。だが大和はそれを咎めるでもなく、ただ静かに片手を上げて住人達へ合図を送る。
次の瞬間、集落の外周にいた魔獣達が一斉に低く唸った。
霧の向こうから音が聞こえてくる。
枝を踏む音。
金属が擦れる音。
そして人間の声。
昨日追い返した兵士達より数が多い。
足音の重なり方だけでもそれが分かった。
「本当に戻ってきたのか」
思わず呟くと、千代が小さく鼻を鳴らした。
「懲りぬ奴らじゃ」
その声には怒りよりも警戒が強い。
昨日なら大和が袖から伸ばした黒い影で容易く拘束できた。だが今日は違う、という予感があった。迷い霧が薄れているだけではない。森全体の空気が、まるで何かに押さえ付けられているように重かった。
やがて霧の向こうに人影が見えた。
兵士達だ。
昨日と同じ軍装の者もいるが、今回はそれだけではない。何人かは背中に箱のような装置を背負い、腕には金属製の籠手に似たものを装着している。武器も通常の銃や剣だけではなく、見慣れない筒状の器具や、魔力を帯びた鎖のようなものまであった。
研究所で見た試作品に近い。
だが完成度が違う。
「対魔装備……」
口から言葉が漏れる。
しゆらがこちらを見る。
「分かるんですか?」
「詳しくは分からない。だが、人間が魔力を持つ相手を拘束するために作っていた兵器に似ている」
研究所にいた頃、資料だけは見たことがある。
魔獣の皮膚を焼く弾丸。
半魔の魔力循環を乱す拘束具。
魔力の発露そのものを鈍らせる楔。
実験段階で止まっていたはずのものが、今は兵士達の手にある。
その事実が、妙に嫌な重さを持って胸へ沈んだ。
「予紬さん」
しゆらの声が少し硬い。
俺も頷く。
「近付けさせない方がいい」
言い終えるより早く、兵士達の一人が腕の装置をこちらへ向けた。
大和が動く。
昨日と同じように羽織の袖口が広がり、黒い蛇のような影が何本も森の地面を這って走った。速さは昨日と変わらない。普通の兵士なら反応すらできないはずだった。
だが、影が兵士達へ届く直前、背中に箱を背負った男が短く何かを叫ぶ。
腕の装置が淡く光り、空気が歪んだ。
黒い影の動きが鈍る。
完全に止まったわけではない。
それでも昨日のように一瞬で絡め取ることはできなかった。
影が兵士の足に巻き付くより先に、別の兵士が筒状の武器を構え、霧を裂くような白い光を撃ち込んだ。
大和の影が弾かれる。
住人達の間に動揺が走った。
千代の赤い瞳が細くなる。
「なるほどの」
短槍を構え直したその声は、静かに怒っていた。
「小細工を持ち込んできおったか」
「下がれ、千代」
大和が言う。
だが千代は下がらない。
「ここまで来られておる時点で、下がって済む話ではなかろう」
その言葉に大和は少しだけ目を伏せた。
反論はしない。
できないのではなく、千代の言う通りだと理解している顔だった。
兵士達がさらに前へ出る。
森の霧が薄い。
魔獣達が唸る。
住人達が武器を構える。
昨日まで守られているように感じた夜哭きの森が、今は明らかに揺らいでいた。
「ルカ、しゆらの傍にいろ」
「うん」
ルカは素直に頷いた。
しゆらもシエルを抱えたまま俺の隣へ寄る。
その顔に怯えはある。
だが逃げる気はないらしい。
「予紬さん」
「なんだ」
「私も、できることをします」
そう言ったしゆらの声は震えていなかった。
その言葉に頷きながら、俺はもう一度兵士達を見る。
あれは昨日の追っ手とは違う。
ただ追ってきただけの兵ではない。
夜哭きの森へ踏み込むための準備をしてきた部隊だ。
そしてその準備は、確かに森の守りへ届き始めている。
大和の袖口から再び黒い影が溢れ、千代の短槍が朝の光を受けて鋭く煌めいた。
戦いが始まる。
そう理解した瞬間、薄くなった迷い霧の向こうで、兵士達が一斉に武器を構えた。
次の瞬間、森の静寂が吹き飛ぶ。
乾いた破裂音と共に光が走り、何本もの魔力弾が夜哭きの森へ撃ち込まれた。
住人達が散開する。
魔獣達が吠える。
木々が砕け、土が抉れた。
「散れ!」
千代の声が響く。
その声と同時に本人も飛び出していた。
速い。
昨日まで子供達に囲まれていた少女とは思えない。
黒い影のように地面を駆け抜けると、一瞬で兵士達との距離を詰める。
短槍が閃く。
先頭にいた兵士の武器が弾き飛ばされる。
さらに踏み込み、二人目を薙ぎ払う。
だが。
兵士達も昨日とは違った。
後方にいた男が何かを叫ぶ。
背負った装置が強く発光した。
その瞬間だった。
千代の動きが僅かに鈍る。
「っ!」
初めて聞く声だった。
魔力の流れを乱されたのだろう。
ほんの一瞬。
だが、その隙は十分だった。
兵士の一人が腕を振る。
放たれた鎖が蛇のように空を走った。
千代は咄嗟に避ける。
だが完全には躱しきれない。
鎖の先端が肩を掠める。
血が舞った。
赤い飛沫が空中へ散る。
「千代!」
誰かが叫ぶ。
俺だったかもしれない。
大和だったかもしれない。
それすら分からなかった。
ただ一つ分かったのは。
大和の表情だった。
今まで一度も見たことがない顔をしていた。
怒りだった。
静かな男だと思っていた。
冷静な男だと思っていた。
だが違う。
怒っている。
それも尋常ではない。
空気が変わる。
森全体が息を呑んだような錯覚すらあった。
「下がれ」
低い声だった。
千代へ向けられた言葉だった。
普段と変わらない声量。
それなのに逆らえる者はいない。
千代自身も動きを止める。
肩を押さえながら振り返った。
「大和様」
大和は答えない。
代わりに羽織の袖口が大きく揺れた。
次の瞬間。
黒い影が溢れ出す。
昨日までの比ではない。
一本や二本ではなかった。
数十。
いや、それ以上。
黒い蛇の群れが大地を覆う。
兵士達の顔色が変わる。
対魔装備が光る。
だが間に合わない。
影が兵士達へ到達する。
装置が砕ける。
武器が落ちる。
腕が拘束される。
足が絡め取られる。
悲鳴が上がる。
一瞬だった。
本当に一瞬だった。
さっきまで押し込まれていた戦況が嘘みたいにひっくり返る。
兵士達が次々と地面へ引き倒されていく。
抵抗できた者は一人もいなかった。
その光景を見ていると、人間がどうこうという話ではない気がしてくる。
単純な力量差だった。
大和は森の入口へ立ったまま動かない。
黒い瞳だけが兵士達を見ている。
その姿はどこか人間離れしていた。
兵士達も理解したのだろう。
目の前にいる相手が、自分達の手に負える存在ではないことを。
静寂が戻る。
戦いは終わった。
そう思った。
その時だった。
拘束された兵士の一人が慌てて懐へ手を突っ込む。
砕けた水晶のようなものを取り出した。
魔力通信具だ。
研究所でも似たものを使っていた。
『こちら先遣隊!』
慌てた声が響く。
『目標地点到達!』
大和が目を細める。
兵士は続けた。
『応援を要請する!』
水晶の向こうから雑音が走る。
そして。
『了解』
短い返答。
だが、その後の言葉が重かった。
『第二陣、第三陣が既に移動中だ』
空気が凍る。
住人達の表情が変わる。
兵士達だけではない。
まだ来る。
しかも複数。
『対魔制圧部隊も投入する』
『繰り返す』
『対魔制圧部隊も投入する』
通信が途切れた。
誰も喋らない。
大和も。
千代も。
住人達も。
全員が理解してしまった。
今の戦いは前哨戦だ。
本隊ではない。
「……面倒じゃな」
千代が小さく呟く。
肩から血が流れている。
大和の視線がそこへ向く。
その瞬間だけ怒りが戻った気がした。
だがすぐに消える。
代わりに長としての顔になる。
「移動する」
静かな声だった。
しかし迷いはない。
「集落を捨てるんですか」
思わず聞く。
大和は頷いた。
「今は守れない」
短い言葉だった。
だが正しい。
霧が弱い。
敵は増える。
住人達には子供もいる。
ここで消耗する訳にはいかなかった。
千代も反論しない。
悔しそうに唇を噛んでいるが、それでも理解している。
「全員へ伝達」
大和が言う。
「避難準備を始めろ」
住人達が動き出す。
子供達を起こす者。
荷物をまとめる者。
魔獣達を集める者。
せっかく見つけた居場所だった。
ようやく落ち着けると思った場所だった。
それなのに。
また離れなければならない。
その事実が胸の奥を重くする。
だが。
大和は森の奥を見つめていた。
黒い瞳に揺らぎはない。
まるで何かを決意したように。
そして俺はまだ知らない。
この撤退が、夜哭きの森だけでは生き残れないという現実を全員へ突き付けることになることを。