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「いや、すごいありがたいんですけど……。けど、俺、まだ新先生と知り合って一週間も経ってませんし……なんて言うか……」
「……元宮さんのおっしゃることもよく分かります。僕のことがまだ信用できひんっていうのも。……でも」
「いや! 違うねん、信用してへんとかじゃなくて! そこはほんまに!」
勢いよく立ち上がった拍子に、椅子が派手な音を立てて後ろに下がった。その衝撃で机の上のコップが大きく揺れ、慌ててその縁を両手で押さえる。
「ふふっ、危なかったですね」
そう言って優しく笑う新先生。その落ち着いた姿を目の前にすると、真逆の自分がほんまに情けない。
「……っ、ごめんなさい。ちょっと落ち着きます」
ふぅ、と深く息を吐いて自分をなだめる。
最近、いろんなことが一気に起こりすぎて、頭の中がパニックになっているのかもしれない。
必死に「いつも通りの自分」を演じているのに、少しでも予想外のことが起きると、心が追いつかずに過剰に反応してしまう。
そんな余裕のない自分を見透かしているような先生の視線が、今は何よりも恥ずかしかった。
「……僕、今年二年目なんです。年少さんの時も洸くんの担当やったんですけど、当時はまだ慣れない中での担任で、ガチガチに緊張して失敗ばっかりで。それやのに七月の行事まで任されて……ほんまに毎日いっぱいいっぱいでした」
新先生の静かな独白が続く。
「いつもしかめっ面してたから、子供らも全然寄ってこなくて。……やけど、そのお祭りの時、元宮さんをお見かけしたんです。出店の手伝いを終えた後、洸くんの友達と一緒に全力で鬼ごっこして……本気で転けてましたよね? 『もうついていけへん!』って叫んで広場に寝転んだら、みんながその上に乗っかってきて。しんどいはずやのに、元宮さんは笑いながら、その子ら一人ずつと相撲を取り始めて……」
俺すら覚えていないような一年前の出来事を、新先生はついさっき起こったことのように、慈しむように話してくれる。
「……俺、仕事中やのに本気で笑うてもたんですよね」
あ、今『俺』って言った。
もしかして新先生も、幼稚園にいる時は「先生」という役を演じているんだろうか。……いや、俺みたいなのと一緒にしたら失礼か。
「……あ、それで何が言いたかったかと言うと。その姿を見て、『完璧やなくてもええんや』って肩の力が抜けたんです。やるべきことをやったら、あとは子供らが楽しいかどうかや、って。あの日から、元宮さんは僕の目標なんです。やから、少しでもお役に立ちたくて」
「……反面教師って言われるんかと思ってドキドキしたわ」
あまりの眩しさに耐えきれず、照れ隠しに頭を掻きながら目を逸らした。
だって、新先生がめちゃくちゃキラキラした目で俺を見てくるから。
そんな目は、奥さんに逃げられてボロボロの情けない男に、絶対に向けたらあかんやつや。早く気づいた方がええで、先生。
「……ずっと、お会いしたかったんです。でも、それ以来行事にはいらっしゃらないし……。やから、今回のことは不謹慎ですけど……ちょっと、嬉しかったっていうか……」
新先生の告白に近い言葉が、静かな夜のリビングにしみじみと響き渡った。
急にモジモジし始めた新先生を、俺は思わずじっと見つめてしまう。
……これは、一体なんに対する「モジモジ」なんや。
目標とする憧れの人に会えた、純粋な照れ……と受け取ってええんやろか。
俺が測りかねていると、彼は「……僕じゃ、ダメですか?」なんて、上目遣いで呟いた。
そんな言われかたしたら、こっちまで一気に焦ってしまう。
「……でも、たまに土日出勤もあるし。そんなこと言われたら、俺、新に甘えすぎてしまいそう。……多分、その甘え癖のせいで奥さんも疲れ果てて休養しに行ってる訳やし……うーん」
「……ふふっ、今、元宮さん、『新』って呼びましたね」
不意に指摘されて心臓が跳ねた。
「……え? あらせん、あらたせい……先生って呼んだつもりやけど」
「今、思いっきり噛んでる時点で言えてませんよ?それに、僕元宮さんにタメ口つかわれるのも嬉しいかもです」
「え!?俺、タメ口使ってた!?いや!……めっちゃ使ってるな?」
互いに目を合わせ、どちらからともなく、ぷっと吹き出した。
「……僕に、甘えてもらえませんか? 元宮さんのこともですけど、僕、洸くんも弦くんも大好きなんです。お母さんがいつ戻って来られるか分からん今、少しでも顔見知りが側にいてくれるだけで、子供たちの心強さは違うと思うんです」
新先生の必死な表情を見ていると、逆に断ることが子供たちのためにならんのやとも思う。そうやんな。自分のプライドや遠慮よりも、二人の幸せのため。俺もいい加減、この状態は誰かに甘えな生きていけへんって事認めなあかん。
「……ほんまに、ありがとうございます。そんなに言うてくれるなら、お願いしていいですか?やけど、絶対に自分のことは犠牲にせんといて欲しいです。無理な時は無理って言うて下さい。二人に寂しい思いさせてる上に、新先生にまで無理させたら、俺、もうどうしてええか分からんから」
「……分かりました。でも、条件付きでいいですか?」
「もちろん、何でも言うてください」
「……元宮さんと早く打ち解けたいんで、僕に敬語は禁止です。あと、僕のこと『新』って呼んで欲しいです。ずっと『先生』のままじゃ、元宮さんも僕も疲れちゃうと思うので」
「……わかりました。……これから、よろしく、新」
「はい、よろしくお願いします。元宮さん」
新は満足したように、にっこりと綺麗な顔で俺に微笑む。
なんや……。まるでプロポーズでもしたかのような気恥ずかしさが込み上げてくる。
でも、新側は敬語のままなんやな。まぁ、そこは徐々に、ゆっくりでええか。
けれど、いつまでも彼に頼りきりでいいはずがない。
一番楽しいはずの独身時代に、子連れのおっさんと常に一緒なんて……。そんな悲しい青春、あってたまるか。
「今日は本当にありがとうございました。……おやすみなさい」
「はい。元宮さんも、安心してゆっくり休んで下さい。……これからは僕がいますから」
「……ふふっほんまにありがとう」
「おやすみなさい」と2人で手を振り合って新の背中を見送る。
一人になると、自然と現実が押し寄せてきた。
さっきまであんなに温かかったリビングが、急に広く、静まり返っているように感じる。
……営業への異動願い、出してみるか。
焦りすぎていて、「自分の状況そのものを変える」という選択肢をすっかり外していた。
子供たちが大好きな幼稚園を辞めるより、俺が動くべきなんやと今更気づく。
何においてもそうや。俺はいつも気づくのが遅すぎる。
「……あいにく、今の部署じゃ昇進もなさそうやし。秀太みたいに役職がないのが、不幸中の幸いやったわ」
負け惜しみのような独り言を吐き出して、ソファに寝転がった。
そういえば、今日はストーカーの気配がしなかった。新と一緒やったから、単に意識が向かなかっただけかもしれないけれど。
何にせよ、今の俺には問題が山積みや。
けれど、ようやく一人、味方が増えた。
それが無性に嬉しくて、今夜は久々に深く眠れそうな気がした。