堕肉の果て　～令和に奏でる創造の序曲（プレリュード）～

善悪は、目に優しさを湛え（たたえ）たまま質問を重ねた。

「では、その戦いに於（お）いて、勝利とは何でござるか？」

コユキは淀みなく答えた。

「はぁ～、そんなの簡単よ！　相手や周囲の評価なんて無視してこう言えば良いのよ」

そこで、一旦、息を吸いなおしてコユキはビッシっと言い放った。

「バッカじゃん！　むきになちゃってさぁー！　はいはい、アンタ達はそうやってりゃいいわ、ご苦労さんっ！」

一旦、僅かな間を置いてコユキは続けた。

「ガ・ン・バ・レ・ー・ェ・ー!!」

そして、ふふんと鼻を鳴らして続けた。

「こうよっ！　どお？　アタシがこう言ってやったヤツ等で言い返してこれたヤツなんか居なかったのよね、皆無よ！」

誇らしそうに胸を張るコユキだった。

対して善悪は、嘆息（たんそく）を洩（も）らしつつコユキに問う。

「それが、勝利でござるか？」

コユキは堂々と答えた。

「そうでしょ？」

善悪は暫し（しばし）の逡巡（しゅんじゅん）の後口に出した。

「…………では、…………それで、御家族を助ければいいのでござる」

「え？　……はい？」

間を置かず、善悪は一切の躊躇（ちゅうちょ）無く続けた。

「その様な事が戦いに勝利する事であるのならば、それで御家族を救えば良いのでござる。　相手が居るか居ないかは知らないでござるが、拙者が説くべき戦い方はそこには御座らぬ事はまごう事無き真実。　それで良しと一切疑わぬコユキ殿ならば、今すぐ当寺を後にして、今は動くことも叶わぬ御家族の元に帰るが良かろう。　そして、高らかに語らぬご家族に言うが良かろう。　あいつらバッカじゃんねぇ。　と」

善悪の眦（まなじり）にはうっすらと涙が浮かんでいた。

「それが、……コユキ殿の思う勝利であるのならば、……某から教える事は無いのでござるっ！」

シ――――――ン……

静まり返る本堂には、善悪が点した蝋燭（ろうそく）の火だけが揺らめき、同じく善悪の手に拠（よ）る線香の煙だけが揺（たゆ）たった。

重苦しい空気の中、コユキは何も話す事が出来ないで居た。

いつもの様に、相手を言い負かす時の様な、いい加減な気分で話せるような精神状態ではない。

激しい自己嫌悪の念に、コユキは襲われていた。

大きな体を縮める様に背中を丸め、視線は自分の突き出た二段腹に落としたまま固まっていた。

「一度、自分で確（しっか）りと考えてみるでござる」

そう言って善悪は本堂を後にして、自室へと戻って行ってしまった。

去り行く善悪の顔を、恐る恐る見上げたコユキは、背中に悪寒を感じて小さく息を呑んだ。

歩きつつ、固まるコユキを一瞥（いちべつ）した彼の表情は、普段のそれとは全く違っていた。

コユキを見下ろすその瞳は、一切の温度を感じさせない酷（ひど）く冷たく暗く、彼女を見つめていた。

感情の類（たぐい）を排除した、愛情や慈しみ（いつくしみ）は勿論、怒りや軽蔑といった負の気持ちすら消し去った視線。

まるで興味を持て無い、無価値の無機物に向ける物であった。

バタン！

善悪は自室に戻ると、自作のゲーミングPCの前のチェアに腰掛けた。

不機嫌そうに息を吐きつつ、何気ない仕草でデスク上のフィギュアを手に取り呟いた。

「口賢（くちさか）しく、理屈を並べたて、相手が納得して黙り込めばそれで良しとし、さもなくば、相手が言い返せ無いような正論を前面に押し出そうとし、それも駄目なら、開き直って馬耳東風（ばじとうふう）……」

そこで一旦言葉を止めると大きく息を吸って言った。

「そんな物は勝利では無い、百歩譲って勝利だとしても、それは、決して……　正義では無い！」

決して大声では無かったが、その声には力強く確かな意思が込められていた。

いくら、相手を言い負かしても、自分の心を誤魔化して責任転嫁したとしても。

善悪の表情は不意に、深い悲しみの色を増した。

そして、小さく呟いた。

「欲する物を手にする事は出来無い……　奪われた物は取り返せ無い……　でござる」

そう言って一際深く視線を下げ、またもや大きく溜め息を吐いたとき、彼のスマホが着信を報せ（しらせ）た。