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グランドは母親の泣き崩れる姿から涙の訳に少し嫌な違和感を感じ譬すように言葉を繋げた。
「何が有ったのか詳しく話せるか? 」
「はい、」
母親は漸く頭を上げて、震える両手で顔を覆い隠し、涙ながらに訴えた。
「みんな、みんな殺されてます…… 私はこの子だけを連れて、みんなを見捨てて逃げ…… うぅ何という事を、お許し下さい…… あぁ」
母親は酷く咽び泣き続ける。
「グランドよぉ…… こりゃあ一体…… 」
唯ならぬ状況にヴェインが言葉を詰まらせた。
「うむ、村で何かが起きている事は否めないな、だがこの状態では詳しくは聞き出せそうにない。先ずは少し落ち着いてもらうしかないようだ。カシュー悪いが枯れ枝を集めて火を起こしてくれるか? それと確か毛布も有ったな? 」
カシューはゆっくりと頷き肯《うべな》った……
秋宵の空には雲影が揺れ、不安を和らげるように榾火《ほたび》が傷ついた心を温める。
「余り美味しくないかもしれないけど、これ飲んで、少し落ち着くから」
小さな木製のカップに優しい香草のスープを満たし、カシューは母親の震える手を添えるように手渡した。
「すみません…… 」
小さな男の子は般若の仮面に恐ろしくも惹かれてしまい、指を咥えて母親の後ろから覗き込む……
「ヴェイン、痛めた脇腹の固定は済んだの? 」
「いやちょっと胴回りがその、手が届かねぇんだ、カシュー悪ぃ頼むわ」
「もうしょ~がないな~太り過ぎなんだよ! 」
「ばっ馬鹿野郎!こんくらい体重ねぇと大剣ってぇ奴ぁ振れねぇんだよ! 」
「はいはい、まぁ肉厚のお蔭で致命傷に成らなくて済んだからね、お肉様様だね? 」
「カシューてめぇいつか仕返ししてやっからな! それよりもあんた、子供が怯えてんじゃねぇか、そろそろ仮面取ったらどうなんだ? 外した所で俺達ゃ誰にもあんたの事を話したりしねぇよ」
(こいつは怒ったり私案を述べたり忙しい男だ…… )
「そうだな、人前に出る時はなるべく外さぬように言われていたんだが、此処には警戒する相手も居ないからな」
般若面に手を掛けゆっくりと素顔を晒す……
「へえ、真艫《まとも》な面《つら》してんじゃねぇか、もっとこう、その仮面に似た顔してんだと思ってたぜガハハ」
(人の顔を化け物扱いかよ)
「どうかな? 少しは気持ちが落ち着いただろうか? 」
グランドは温雅《おんが》な落ち着いた物腰で母親の隣に腰掛ける。物柔かな偉丈夫《いじょうふ》が直ぐ傍に腰を下ろしたのだ、表情に僅かな女の緊張を浮かばせる。
「は、はい有難うございます。何とお礼を申し上げれば…… 」
「気にしないでくれたら助かる。それより村で何が起こっているんだ? 」
「はい、村に…… カルマの兵がやってきて…… 」
⁉―――――
「神聖軍が? 有り得ねぇ、本当なのか? 」
驚きを隠せず、口の悪い大柄の男が前のめりになる。
この場合の神聖軍とは西側、神聖カルマ帝国の近隣諸侯の提供する軍の他に、主に傭兵からなる皇帝の直属軍を指す。然し乍《なが》ら、西側のカルマ神教と東のビザンビア帝国のカルマ教も同じ唯一神を崇めるが、思想の違いから東西分裂し対立関係となっていた。
「はい、本人達が申しておりました」
「本人達が? そりゃおかしいな、何だって自ら名乗る必要があるんだ?
なぁグランド? 」
「すまない、その者達の事を詳しく聞かせてはくれないか? そいつらはどんな風貌をしていた? そうだな、装備はどんな感じだったのかわかるか? 」
「装備と言われましても、私共は農婦で御座いますので、余りその詳しくは…… 」
「そうか、では、鎧は解るか? こんな防具を身に着けて居る奴は居たか? それと馬に乗ってる騎兵の数と馬車の台数は? 」
「いいえ、このようなご立派な防具の者はおりませんでした、まるで賊のような風貌の者達ばかりでした、馬に乗っている者は何人か居りましたが騎兵かどうかはちょっと…‥ 馬車は確か四台だったかと」
グランドは矢張《やは》りと無言で顔色を曇らせる。
「それってさぁ~グランド…… 」
「あぁ多分カシューが今思っている事と同じだな。彼等は正規軍では無いな。最後に確認なんだが軍旗は見たか? 」
「軍旗ですか? そんな物は一つも…… 」
東方正教会の支柱で有るビザンビア帝国の皇帝アレクシス1世は、イスラール勢力により領土である小アジアのトルメキア半島を完全に制圧され、首都であるコンスノイアスまであと一歩と云う状況下に追いやられていた。
裏ではイスラールを手引きした内部派閥の反アレクシス派の存在が囁かれているがその実体は掴めていない。
その脅威に晒されたアレクシス1世は、同教の聖地奪還を唱え西側の神聖カルマ帝国の教皇ウルバース2世に救援を要請。各地に勧説使を派遣し、広く贖宥《しょくゆう》〈罪の赦しと償いの免除〉を与える事を餌に杜撰《ずさん》な管理体制の下、両国家は一時的とは言え利害一致し、一味同心し聖戦を掲げ広く募兵を行った。
それが十字軍と呼ばれる者達となり、その結果、皇帝の認可も無いままに遠征軍に加勢しようと試みる烏合の衆の吹き溜まりのような集団が各地に現れてしまった。そう、謂わば民衆運動の成れの果てだ。
「野盗の連中が混乱に乗じて発起したのかもしれんな」
グランドは痛めた左腕を摩《さす》り乍《なが》ら俯き呟いた。
「だろうな、十字軍って言やぁ聖戦の名のもとに何でも出来ると思ってやがる、態《てい》のいい隠れ蓑じゃねぇか」
ヴェインは大きな拳を地面に叩きつけ憤る。
小さな男の子は大人達の話に飽きたのか、むにゃむにゃと寝息を立てる大きな猫の腕の中にすっぽりと納まってしまった。
「あっ⁉ あの…… 」
男の子を目で追っていた母親が慌てふためく。
「あぁ心配ない、あれは俺が飼ってる黒豹だ、猛獣の類だが人に慣れてて襲ったりしないから安心してくれ」
「そうでしたか、すみません」
「その神聖軍を名乗る一行はいきなり襲って来た訳ではないのだろう? 切っ掛けは何であったのか、覚えてはいるか? 」
グランドには大凡その理由は分かっていた、だが、被害者からの確実な証言を受けねば今後の自分達の出方にも影響がある事も分っていた。
「初めは食料の支援を催促してきました。自分達はこれから本国の行軍と合流する小隊だと言っていましたが、差し出せる食料が底を突くと、そのうち金銭や金目の物を要求するようになって…… そして」
「そして? 」
ヴェインはこの先の卑劣極まりない行為を耳にする事に戸惑い、ギリッと歯を鳴らし言葉を呑み込んだ。
「戦火に追われこの村に避難していたルダヤ人の親子を見つけると異教徒と罵り…… 」
「クソが!! 」
ヴェインは立ち上がり背を向けた……
「丸太に串刺しにして火あぶりにしたのです…… 」
母親はその震える唇を噛みしめた。
「おい、カシュー今すぐ馬を準備しやがれ!! 出るぞ」
ヴェインは震える声で大剣を背負い熱り立つ!!
「ヴェイン!! 落ち着け勝手は許さないぞ!! 」
「グランド駄目だ許せねー、許せねーんだよ!! 」
「そんな身体じゃ戦えないよ、ヴェイン落ち着いてよ、相手は小隊だよ?軽くみても五十人規模をどうやって一人で相手するのさ? 」
「じゃあどぉすんだよ!! 奴等を野放しにしておくのかよ⁉ ちくしょー」
「待つんだヴェイン、乗り込むにしても情報が足りなさすぎる。それに我々にも大義名分が必要だ、理由失くして交戦には出られない、後々厄介な事になる」
「クソ野郎がぁ」
等身大の大剣を振りかぶり轟音響かせ地面に鋼の刃を叩きつける。
「村の男達はどうしたんだ?」
母親は顔を伏せ悲しく語る……
「はい、ルダヤ人親子が村の広場に連行される最中、男達が親子を守る為、必死に兵に抵抗しましたがその結果、殆どの男達は返り討ちにされ木に吊るされました。そして残された年寄り以外の女達は異教徒蔵匿《ぞうとく》の罪に問われ縄で繋がれ、子供達と一緒に近く奴隷として売られるようです」
「そうか、男達も…… 状況は最悪だな…… 」
グランドは暫く思考を巡らせ慮る。
するとギアラの腹の上でむにゃりとエマが目を覚ました。
「しかし、すまない、今の状況では我々にはどうする事も出来ない、残念だが…… 」
―――――⁉
「おい⁉ グランド、自分が何言ってんだか分かってんのかよ、見捨てるっつうのかよ、おいグランド――― 」
カシューは言葉を失いヴェインは感情に任せ声を荒げる……
「落ち着けヴェイン、ではどうやって救出に向かう気だ? 俺もお前もこの怪我では戦う事も出来ないのだぞ? 共に戦える男達が多少残っているのであれば話は別だが、カシューだけでは到底敵わないのが現状だ」
「畜生め…… 」
ヴェインは募らせた想いに焦燥を隠せず項垂れる。
蟋蟀《コオロギ》は憂い啼き、女は哀苦の表情を浮かべ紅涙を絞る。虎落笛《もがりぶえ》が榾火を柔らかに撫でると一人の男が呟いた……
「村には油と塩、それと酒はあるか? 」
―――――⁉
「おい、あんた今それどころじゃ…‥ 」
ヴェインの言葉をグランドが手を挙げて制する。いま正に零れ落ちようとする尊き命が救われようとしていた。
「ゆ、床下に隠している分が多少あるはずです、む、村中探してでも必ずご用意致します」
母親は胸の前で掌《たなうら》を組み肩を震わし懇願する。
「そうか、それは助かるな。それとこの縫いぐるみなんだが、直せる者は居るか? 」
男は酷く草臥《くたび》れた猫の縫いぐるみを差し出した。
「はっはい、村の女はみな裁縫が上手ですので…… 」
自然とその場に緊張感が漂う――――
「おい、エマ支度をしろ、買い物に出るぞ」
夜空に流れる叢雲は闇夜に紛れ月を渡る。迷い無き蛮勇は万感胸に迫るが得策に非ず、併し乍ら争い果てての棒乳切《ぼうちぎ》り、時は一刻と迫り朝《あした》に夕べを謀らず、男達の覚悟を待ち受けて居た。