「莉乃と会うようになってから……俺、遊んでなかったよ」
その言葉に、私は思わず驚いてしまった。
けれど、私が見たあの夜の光景――女性と一緒にいたのは、何だったの?
そんな私の心の動きを察したのか、誠はふっと息をついた。
「俺は最低な男だ。今まで、その場限りの付き合いばかりしてきた。向こうもそういうつもりだと思ってたんだ。会わなくなれば終わり、そう勝手に思ってた……でも、向こうは違ったみたいで」
そして、続ける。
「だから、ちゃんと終わらせに行ったんだ。あの夜も」
……その言葉を、私は黙って聞いていた。
まさか、別れるために会っていたなんて、想像もしなかった。
でも、少しでも油断すれば、その言葉を自分に都合よく解釈してしまいそうになる。
……そんな自分を、心の中で戒める。
誠は、私をそっと抱きしめていた腕をゆっくり離し、まっすぐに私の顔を見つめてきた。
「さっき……あの男に刃物を突きつけられてる莉乃を見て、俺は……」
その目には、苦しみと後悔、そして何かに怯えるような色が浮かんでいた。
優しい人――だからこそ、私のせいで巻き込んでしまったことが申し訳なくて。
「本当に、ごめんなさい。迷惑をかけて……」
思わず謝ると、誠はきっぱりと首を振った。
「迷惑なんかじゃない!」
強い口調に、一瞬言葉を失う。
「莉乃……俺にチャンスをくれないか?」
意外すぎる言葉に、私は顔を上げて誠を見つめる。
「……何のチャンス?」
「莉乃を……守る権利が欲しい」
“守る権利”。その言葉の意味がすぐには飲み込めなくて、私は視線を泳がせた。
――もしかして、部下として?
優しい誠のことだから、きっとそういう意味なんだ。
私なんかに好意なんて、誠のように女性に困らない人が。
そんな思考に逃げるように、私は言った。
「大丈夫だよ。奴はもう捕まったし、誠は気にしないで」
けれど、誠はそこで言葉を重ねた。
「頼む、莉乃。お前から見たら、俺は女癖が悪くて最低な人間かもしれない。でも……でも、これから先は、莉乃だけを見ていた。莉乃を、守りたいんだ」
私の思考は、完全にフリーズした。
――私だけ?
意味が、理解できなかった。
信じたいけれど、怖かった。
でも、誠はさらに続ける。
「莉乃が、もうさっきみたいに傷つくのも、他の男に触れられるのも……俺は、耐えられない。少しずつでいい。俺を、見てくれないか?」
その言葉が、じわりじわりと心に浸透していく。
ゆっくりと思考が動き始め、私はぽつりと呟いた。
「ねえ、誠……」
私は、確かな言葉がほしかった。自分の不安を、きちんと消してくれる言葉を。
泣き笑いの表情を浮かべて、誠を見つめる。
「私が聞きたいのは……“チャンス”なんて言葉じゃないよ」
その意味に気づいたのか、誠は小さく息を吐いたあと、私の瞳を真正面から射抜くように見つめた。
「莉乃が、好きだ」
――その一言に、私は堪えきれず涙をこぼした。
ずっと、ずっと、自分だけの人になればいいのに。
そんな醜い感情を持つ自分が嫌で、また傷つくのが怖くて、逃げてきた。
初めて感じる感情ばかりで、どうしていいか分からなかった。
出会いは最悪で、一番嫌いなタイプだと思っていたのに。
誠のやさしさも、強さも、少しずつ知って、気づけばもっと近くに行きたいと願っていた。
もう一度……ちゃんと恋をしたいと思っていた。
「……泣くほど無理?」
誠が何かに耐えるように言ったその問いに、私はそっと手を伸ばし、彼の頬に触れた。
「違うよ……」
やさしく微笑みながら、気持ちを込めて言う。
「私もずっと誠が好き。ずっと、私だけの誠になってほしかった」
ようやく言えたその言葉に、自分でもホッとする。
次の瞬間、誠が勢いよく私を抱きしめた。
「……よかった」
ぎゅっと、全身で包み込まれるように抱きしめられて、彼の顔は見えなかった。
でもその腕の中で、過去の嫌な記憶――溝口の存在さえ、ゆっくりと塗り替えられていくのを感じた。
このぬくもりが、私を救ってくれる。
安心と静かな安堵に包まれて、私はまた涙をこぼす。
「誠……ありがとう……守ってくれて」
そう。
彼はいつだって、私を守ってくれていた。
その気持ちに応えるように、私は精一杯の想いを込めて――彼を、強く抱きしめ返した。
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