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火曜日。伊織は、藤堂に付き添われる形で登校した。藤堂は、伊織の隣を片時も離れず、教室でも休み時間でも、伊織の手を握り続けた。「昨日、泣き腫らした目は、もう見せなくていい。お前は、俺だけを見て、笑ってればいいんだ」
藤堂の言葉は優しかったが、その支配的な視線は伊織の行動のすべてを監視していた。伊織は、藤堂の熱すぎる愛の渦に再び飲み込まれていた。藤堂の愛は、渚を失った深い喪失感を埋める麻薬のように、伊織の心を麻痺させていった。
だが、心の奥底で、伊織は藤井渚の「自由」という言葉を忘れられずにいた。藤堂の愛は温かいが、あまりにも重すぎる。
(渚は今、どうしているんだろう……)
伊織は、藤堂の目を盗んで、渚に連絡を取る方法をずっと考えていた。そして、放課後。藤堂が部活に行くため、珍しく伊織のそばを離れたその隙を逃さなかった。
伊織は、足早に人の少ない昇降口裏の階段に駆け上がり、スマホを取り出した。震える手で、渚が転校前に教えてくれた新しい連絡先に電話をかける。
数コール後、電話が繋がった。
「…もしもし」
伊織は、喉が詰まったように、小さな声しか出なかった。
『お、伊織くん? びっくりした! どうしたの、急に』
受話器の向こうから聞こえてきたのは、少し遠いけれど、間違いなく渚の明るく力強い声だった。その声を聞いた瞬間、伊織の目頭は熱くなった。
「渚……」
『元気にしてる? あっちの学校はちょっと忙しくてさ。制服がダサいんだ、これが』
渚は、伊織を気遣うように、冗談めかして話した。
「そっか……」
『うん。で、そっちは最近どー? あの独占欲の塊の暴君に、また捕まってない?』
渚のストレートな問いかけに、伊織は言い淀んだ。藤堂のTシャツを着て、彼の隣で眠る自分の状況を、渚に正直に話す勇気はなかった。
「えっと……」
伊織は、藤堂に裏切りの電話をしているという罪悪感と、渚の声を聞けた安堵感、そして現在の心境が混ざり合い、つい本音を漏らした。
「……寂しい、かな」
伊織のその一言は、電話越しの渚の心を大きく揺らした。
『寂しい? 藤堂くんは、君の隣にいるんだろ?』
「うん、いるけど……。でも、渚と話せないのが、辛くて……。俺を自由にしてくれたのに、また、あの頃に戻っちゃった気がして……」
伊織の言葉の裏にあるのは、藤堂の支配への恐怖と、渚への未練だった。
『伊織くん……』
渚の声のトーンが変わった。優しさと、深い悔しさが混じっている。
『大丈夫だよ。君は、自由を知ったんだ。もう、完全に元には戻らない。私だって、君のこと、忘れてないから』
「渚……」
『私に連絡してきたってことは、まだ私を求めてるってことだろ? 隠さないで。いつでも、私の声を聞きたくなったら電話してきて』
渚の言葉は、藤堂の独占的な「愛してる」とは違う、伊織の心を尊重する優しい**「愛」**だった。
伊織は、渚との秘密の繋がりができたことに、希望の光を見出しながらも、背後から藤堂の視線を感じるような強い恐怖に襲われた。
(僕は、蓮を裏切ってる……)
伊織の心は、二人の愛の間で、さらに深く引き裂かれていくのだった。