アドベントクランツのキャンドルに火を灯すのもあと二つになった週を迎えるある日の午後、あと少しでクリスマスとニューイヤー休暇を迎えるクリニックは患者の数も少なく、今日はもう閉めてしまって事務仕事を終わらせようと決めたウーヴェが内線電話でリアに声を掛けると、お茶を用意するとの言葉で己の言葉を了承したことを伝えてくれる。
そして彼女がお茶の用意をしてくれている間にカルテのチェックや、関係機関に提出しなければならない書類などの整理を済ませてデスクから立ち上がって伸びをし、診察室のドアを開けて彼女の名を呼んだウーヴェは、聞こえてきた笑い声に驚いて声の主をまじまじと見つめてしまう。
「……あ、ウーヴェ先生!」
「こんにちはー!」
姿を見せたウーヴェに気付き、楽しそうな笑顔のまま一人で出来る筈の挨拶を二人でやってのけた瓜二つの少女達にウーヴェが苦笑し、自分のクリニックが暇なのは良い事だが、同じアパートにあるデンタルクリニックもどうやら暇らしいと気付いて更に苦笑する。
「お茶の用意をするわね、ウーヴェ」
「……ああ」
双子達と同じように満面の笑みで立ち上がったリアは彼女達の訪問を歓迎しているようで、自分よりも先にお茶とリア特製のシフォンケーキを出すほどだった。
その事に嫉妬したりするほど心は狭くないウーヴェだが、さすがにここまでの歓待を受ける双子の存在が気になり、今日はクリニックは暇なのかと問いかけながらオットマンに腰を下ろすと、双子の片割れ-右の眉の端に小さなホクロがある-のアンナが興味深そうに身を乗り出してくる。
「どうした?」
「ねえ、ウーヴェ先生、先生のタイプってどんな人?」
「は?」
唐突な少女の問いかけにさすがにウーヴェもすぐさま答えを用意出来ずに目を丸くしてタイプとは何だと問い返すと、質問をしたアンナではなくマリーがお茶のカップを両手で持ちながら上目遣いに見つめてくる。
「男の人のタイプ」
「…………マリー、アンナ、どうやら君たちは誤解をしているようだから、その誤解をまず解いておこうか」
「え? 何か誤解してるの、あたし達?」
己の言葉に万全の自信を持っているのか、マリーが灰色の目をくりくりと丸くさせて同じ顔を見つめると、アンナも同じ表情を浮かべながらウーヴェへと顔を向ける。
「私は別に男が好きでリオンと付き合っている訳じゃないんだ」
リオンと付き合うまでに恋人関係になっていたのは皆女性ばかりだと苦笑すると、双子が盛大に驚いて飛び上がりそうになる。
「ウソっ!? ずっと先生は男の人と付き合ってるって思ってた!」
「今まで女の人ばっかりだったのに、リオンと付き合うのは平気だったの? どうして付き合いだしたの?」
少女達の歯に衣着せない物言いにウーヴェもただ苦笑し、お茶とシフォンケーキを運んできたリアもその質問を耳にしたのか、二人が腰を下ろすカウチソファ前のコーヒーテーブルにトレイを置きながら苦笑する。
「付き合うようになった理由? 直接リオンに聞けばどうだ?」
「それもそっか」
ウーヴェの言葉にやけにあっさりと頷いたマリーだったが、その瞳には好奇心が溢れていて、リオンから根掘り葉掘り聞き出そうとしていることを察したウーヴェが黙って紅茶のカップを手にすると、アンナが意味ありげに目を細めて口を開く。
「じゃあ先生のタイプはリオンってことで良いよね」
「……私ばかりが詮索されるのはフェアじゃないな。君たちはどうなんだ?」
人の好みを聞き出すばかりではなく自分たちも話せばどうだと穏やかな口調なのに何故か逆らうことの出来ないウーヴェの声に双子が顔を見合わせ、肩を竦めてその通りだと頷くとマリーがアンナの膝に手を載せて元気よく告白する。
「アンナのタイプはテディベアのような人よ」
「テディベア……?」
「そう! クマのように毛深い人が好きなの」
マリーの一言にウーヴェが呆気に取られる横、リアが飲みかけの紅茶を零しそうになって慌ててテーブルに戻しながら双子を交互に見つめる。
「そんなに毛深い人は好きじゃないわよ」
「ウソばっかり。この間すっごい毛深い人を見て、あの胸に顔を押しつけたいって言ってたじゃない」
双子間で始まった口論にウーヴェもリアも口を挟むことは出来なかったが、確かに胸毛が豊かな人を見ると撫でてみたくなるとリアが呟くと、アンナが我が意を得たりと言いたげな顔で頷き、マリーとウーヴェが理解出来ないと首を左右に振ってしまう。
「ウーヴェ先生はどう? 腕とか足とかの毛はいっぱい生えてる?」
またしても直裁的な言葉にすでに慣れきっているウーヴェが紅茶を飲んで気分を落ち着かせると、どんな回答をするのかを心待ちにしている双子と、何故かその二人と似通った表情でウーヴェを見つめるリアを順番に見つめ、それはそれは綺麗な笑顔で残念ながら自分はほとんどないと断言する。
「えー、ないの、先生?」
「そうだな。友人達と比べても薄い方だな」
「……言われてみればそうね」
ここのクリニックでほぼ一日中一緒にいるリアが何かを思い出すように天井を見上げて指を唇に押し当て、言われてみれば確かにウーヴェにはあまり体毛が生えていなかったと呟く。
「剃ってるの?」
「剃ってない。元々髪以外の毛は薄い方なんだ。父は別だが、兄も薄いな」
その言葉にどれ程の感情が込められているのかを見抜ける人間は誰もおらず、ふぅんという素っ気ない返事があった為にウーヴェも苦笑し、テディベアのように毛深い人が好きなのかとアンナを見た時、彼女達の斜め後ろにある両開きの扉が静かに開いたことに気付いて目を細めるが、彼女達の発した言葉にさすがに驚いて目を丸くする。
「リオンはどうなんだろ?」
「んー、何か毛深そうじゃない?」
髪の色がブロンドで目立ちにくいが脱げばすごそうだと笑う二人にリアが苦笑し、リオンはテディベアのように毛深いのかどうなのかと二人同時に身を乗り出してウーヴェに詰め寄った為、ウーヴェが少しだけ身体を反らせながら肩を竦める。
「――俺が毛深いかどうか、今度ベッドで見せてやろうか?」
一人ずつは面倒だから二人一緒にどうだ。
興味津々の体で身を乗り出している少女の間から思わず背筋に震えが走るような低音の声が流れ出し、ウーヴェが額を押さえて無言で溜息を吐き、リアも何かに気付いて飛び上がりそうになるのを堪えながら口に手を当てて目を限界まで瞠る。
「!?」
自分たちの間から聞こえてきた声に双子が堪えきれずに飛び上がり、ほぼ同時に左右に身を引いて声の主を勢いよく睨み付けて次いで口をぽかんと開ける。
「リオン!!」
「三人で遊ぶなんて、そ、そんなこと言って、ウーヴェ先生に怒られても知らないよ!?」
突然顔を出したリオンのその一言に双子が顔を赤らめながら指を突きつけるが、しどろもどろの言葉にリオンがにやりと笑って口笛を吹く。
「オーヴェは俺が遊んでも怒らないさ。――なぁ、オーヴェ」
「……まぁな」
「~~~~!!」
高校を卒業して間もない少女と、男女の遊びに関しては10代の前半から本格的に参戦しているリオンだと当然ながら勝負になる筈もなく、真っ赤になった二人の頬にキスをしたリオンは、カウチソファを回り込んでオットマンで足を組んで苦笑しているウーヴェの横に膝を突くと、眼鏡の下のターコイズを見上げながら恋人の首に腕を回して伸び上がる。
「――ハロ、オーヴェ」
「ああ。もう仕事は終わったのか?」
リオンの腕を一つ撫でてくすんだ金髪に小さくキスをしながら問いかけたウーヴェは、腕の中の頭が無言で上下に動いたことに笑みを浮かべるが、次いでその笑みの質を変える。
「なあ、リーオ。脱いだお前はテディベアみたいなのかどうなのか、マリー達が教えて欲しいそうだ。どうなんだ?」
先程双子から受けた質問をそのまま問いかけるウーヴェにリオンがぽかんと口を開け放つものの、素早く事態を察したのか、ウーヴェに負けず劣らず太い笑みを浮かべてウーヴェの耳に口を寄せる。
「そんな事、今更聞かなくても分かってんじゃねぇの、ハニー?」
「――今日は双子がいるから特別に5ユーロだな」
「うそぉん」
艶やかな、見ている女性陣が思わず息を飲みそうな色気のある表情でリオンを見つめたウーヴェの口から流れ出すのは、ハニーと呼ばれた時に出てくる言葉だったが、今日はゲストがいるから特別に5ユーロだと告げると、リオンの顔が一気に情けないものになってしまう。
その表情の変化について行けなかった双子達だがリアの咳払いに気付いて我に返り、どうなんだ、本当に毛深いのかと身を乗り出すが、こちらもまた表情を切り替えたリオンにいとも容易く否定されて肩を落とす。
「いいや?」
「え、違うの? 何で!?」
「何でって……俺が毛深くなきゃダメなのか? それとも、またいつかみたいに賭でもしてんのか、マリー、アンナ?」
「賭はしてないけど、アンナのタイプがテディベアみたいな人なの」
「テディベアみたいに毛深い人が好きなのか、アンナ?」
リオンが興味深そうに顔を向けると同時に少しだけ頬を赤くしたアンナが無言で頭を上下に揺らすが、そんなに俺の裸を見てみたいのならばすぐにでも相手してやると彼女の耳に囁きかけると、アンナの顔が耳まで赤くなり、何故か隣で様子を見ていたマリーも真っ赤になるが、少し離れた場所から静かな咳払いが一つ響いた瞬間、二人の顔から血の気が引いていく。
「――いい加減にしないか、セクハラ刑事。それにいつも言っているが、その無精髭を剃れ」
双子達がセクハラで訴える前に俺がお前の上司に訴えるぞと、咳払いをした直後の顔でウーヴェが忠告すると同時に一定方向へと彼女らの感情が揺れるのを防ぐ為に話題を変えると、双子がほぼ同時に頭を上下に振るが、少女達の顔を赤くさせた本人は斜め上を見ながら口笛を吹いてその場しのぎをしたかと思うとリアの前にあるシフォンケーキを見つけてリアの前で膝を突く。
「リア、シフォンケーキ食いてぇ!!」
「……キッチンにあるから取ってらっしゃい」
「ダンケ、リア!」
手の掛かる弟に頭を痛めつつも放っておけない、そんな様子を近頃見せるようになってきたリアにリオンが伸び上がって頬にキスをすると、呆れるウーヴェと呆気に取られる双子に片目を閉じ、Fly me to the moonなどと鼻歌を歌いながらキッチンスペースに飛んでいく。
「……そのまま月に飛んでいってしまえ」
ぼそりと呟くウーヴェにリアも無言で頭を振り、ぽかんと口を開け放った双子が我に返ってくすくすと笑うと、ウーヴェもにやりと笑みを浮かべて片目を閉じる。
「ね、先生。先生は無精髭が嫌いなの?」
「そうだな……あまり好きではないな」
「どうして? だらしなく感じるから?」
双子の途切れることのない問いにウーヴェが肩を竦め、そうではないが何となく好きになれないと苦笑すると、リアが私は好きだと答えて双子が顔を輝かせる。
「格好良く見えるわね」
「そうそう!」
「おや? マリーはテディベアのように毛深い人は好きじゃないんじゃなかったのか?」
そう言えば先程アンナの趣味に理解出来ないと溜息を吐いていなかったかとウーヴェが紅茶のカップを手に笑うと、無精髭は別ときっぱりと言い返されて苦笑する。
「別なのか?」
「別! 格好良く見えるもん」
女性から見て無精髭はハンサム度を上げるものなのだろうかとこの時ばかりは考え込んだウーヴェだったが、月に連れて行ってくれる人がいなかった代わりに空腹を満たしてくれるシフォンケーキを手に戻って来たリオンがウーヴェの横の床に胡座を掻いて座った為、カウチソファからクッションを取って手渡す。
「ん、ダンケ、オーヴェ」
「ああ」
そのクッションの上に座ってケーキにフォークを突き立てたリオンは、頭に手が載せられたことに気付いていたが、それが恋人の無意識の行動だと知って微かに笑みを浮かべ、出涸らしの紅茶を美味そうに飲んで双子達が何かを聞きたそうな顔で見つめている事に気付きケーキの皿を床に置く。
「どうした、マリー、アンナ?」
「今まであんまり無精髭を生やしてなかったよね、リオン。でも最近はずっと伸ばしてる。どうして?」
「へ? ああ、これか?」
そう言いながら己の顎を撫でたリオンの頭の上でウーヴェの手が少し緊張に揺れたことを察したリオンは、安心しろと言う代わりに身体を前後に揺さぶって笑みを浮かべる。
「今まで使ってたシェーバーが故障したんだよ。で、買いに行く時間が無いし面倒くさいからそのままになってるだけだな」
だから時間が出来てシェーバーを買いに行ければすぐに剃るんじゃないのかなと斜め上を見ると、己の言葉を守れと言いたげな顔で見下ろされてしまう。
「だから、もうちょっとだけ無精髭を生やしたままでいたいんだけど、オーヴェ?」
「……仕方がないな」
無精髭を生やしていると格好良く見えるそうだし、ならば自分も愛する人に男前に見られたいと茶目っ気と言うには不気味すぎる表情でウーヴェを見たリオンは、調子に乗るなと、月から地底に突き落とされるような冷めた声と掌を頭上に受けて首を竦めるが、そんなリオンを救ったのは無精髭はハンサム度を上げる同盟を急遽結成した女性達だった。
「カッコイイから良いじゃん、ウーヴェ先生」
「そうそう! 無精髭を生やしてるリオンカッコイイよ」
「……そうね、少し、格好良く見えるわね」
そんな女性陣をじろりと一瞥したウーヴェは隣から伝わる気配が浮かれ始めた事に気付き、もう一度咳払いをしてその浮上を未然に抑え込む。
「まあ、ずっと無精髭を生やしているのなら、キスをしないだけだからな」
「…………うぅ」
「えー、無精髭生えてるとキスしてもらえないの、リオン? カワイソー」
双子達に心底哀れみの顔で見られて肩を落としたリオンにウーヴェが一つ手を打ってこの話はもう終わりだと皆に告げると、双子が残念そうな、でも面白い話を聞けて楽しかったと笑い、紅茶とシフォンケーキの礼を同時に告げてこちらもまた同時に立ち上がる。
「紅茶とケーキをありがとう、リア」
「楽しい話をありがとう、ウーヴェ先生、リオン」
二人がお揃いの笑顔でそれぞれの左右の手を挙げてじゃあまたとクリニックを出て行くと、一気に室内が静まりかえる。
「……双子の好みは良く分からないな」
何だか嵐が去った気分だと苦笑したウーヴェにリオンが口の中にケーキを大量に含んだまま頷きリアが二人に向けて溜息を吐くが、ちらりとリオンを見て目を細める。
「でも、さっきも言ったけど、男の人の無精髭はハンサム度を上げるわね」
「じゃあさ、オーヴェが無精髭を生やしたらどう思う、リア?」
リオンの素朴な疑問を脳内で思い浮かべたリアと、何故か己でも想像してみたウーヴェがほぼ同時に首を左右に振り、ウーヴェは髭など生えていない方が良いとリアが拳を握って断言する。
「そもそも髭が生えるの、ウーヴェ?」
リアのある意味もっともな、だが男としては思わず脱力してしまいたくなる疑問に対し、額に手を宛がったウーヴェが溜息混じりにもちろん生えると呟くと、すかさずリオンが毎朝手入れをしていると笑う。
「あ、そうだ。オーヴェ」
「どうした?」
「オーヴェ、髭剃ってくれよ」
「は!?」
ウーヴェが髭を剃ってくれればシェーバーを買わなくても済むし、何よりもウーヴェにキスをして貰えると人生最高の発見をした人の顔で手を組むと三度頭上にウーヴェの掌が載せられるが、今度はそのままじわじわと力を込められてしまい、口から悲鳴が流れ出す。
「ぃだだだだだ、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、お願い許してオーヴェっ!!」
調子に乗りましたごめんなさい許して下さいお願いしますオーヴェ様と一気に捲し立てたリオンは、リアに呆れた様に見つめられて肩を落とすものの、まだ頭の上にあるウーヴェの手が一気に表情を変えて優しくなったことに気付き、己の提案が実は満更ではなかったことを知る。
「……リア、このケーキマジで美味いな」
「そ、そう?」
「うん。すげー美味い」
双子達ではないが、美味しいケーキと楽しい話を本当にありがとうと笑い、胡座を掻いた身体を前後に揺さぶって子どものように笑うと、そんなリオンをウーヴェとリアが心なしか安堵の表情を浮かべて見つめるのだった。
メインのバスルームだと広すぎて寒い、だから今日は廊下側のバスルームを使うとリオンが宣言した為、ウーヴェがバスタブに湯を張ってこいと告げると、今夜はあっちを使うがベッドでは俺が頑張ると宣言されてただただ苦笑し、早く支度をしてこいと自身はバスローブや着替えを取りに行く。
そして湯が張られたバスタブに二人で向かい合って入り今日一日の出来事を話し合うが、やはりどうしても双子達が運んできた話題である無精髭や体毛の話になってしまう。
「俺、もっと毛深い方が良かったと思うか、オーヴェ?」
「何だ、双子の言葉を気にしてるのか?」
「うーん、何か毛深くないのはどうしてって言われたらなぁ」
「個人差なんだから気にする必要は無いだろう? それに俺はテディベアのような毛深い人はあまり好きじゃないからな」
何を気にしているんだと苦笑したウーヴェの手を取り水滴を弾くきめ細かな肌をしげしげと見つめたリオンは、何をしているんだと声を顰めて問われ、確かにウーヴェには髪以外の体毛が薄いと溜息を吐く。
「アリーセも薄いのか?」
「エリー? 意識してみたことはないから分からないが、多分薄いんじゃないのかな?」
突然姉のことを問われても思い出せないと苦笑を深めると、今度はリオンの脇の横に伸ばしていた足を持ち上げられてしまい、咄嗟にバスタブの縁を掴もうとするが、後一歩の所で間に合わずに湯の中に沈んでしまい、慌てたリオンの手でサルベージされる。
「…………お前は、一体、何を、調べたかったんだ……?」
白とも銀ともつかない髪から水を滴らせながら引き攣った笑みを浮かべるリオンを見つめたウーヴェは、あははははと笑うリオンの顎を人差し指でくいっと持ち上げると、誰かさんの言葉ではないがそんなものは今更調べなくても十分知っていることだろうと目を光らせる。
「あー、やー、うん、知ってる、けど、再確認したいなぁーって……」
ウーヴェの碧の瞳に浮かぶ強い光に汗を流し蒼い瞳を左右に揺らしたリオンは、真正面から見つめられる居心地の悪さにごめんなさいと謝罪をする。
「まったく。わざわざ調べなくても良いだろう?」
「ごめーん、オーヴェ」
双子の言葉がどうしても引っ掛かってしまったんだと上目遣いに弁解をし、ようやくウーヴェの手が顎から離れた事に胸を撫で下ろしたリオンは、自分にしかできない方法でウーヴェの機嫌を取る為、くるりと背中を向けてウーヴェの胸目掛けてもたれ掛かる。
避けられたりはね除けられることなど絶対にないと確信しているリオンのそれを今夜もやはりウーヴェは呆れつつもしっかりと受け止め、湿り気を帯びているくすんだ金髪に顎を載せて溜息を吐く。
「湯を飲みそうになっただろう?」
「へへ。ごめん、オーヴェ」
顎の下の頭に文句を垂れたウーヴェだったがそれで気持ちがスッキリとしたのか、今度は無精髭が生えている頬を掌で撫でて眉を寄せる。
「……リーオ、本当にこのまま髭を伸ばすつもりなのか?」
以前から何度も言っているがやはり無精髭は好きになれないと苦笑すると、顎を載せていた頭が上を向いて青い眼が見上げてくる。
「シェーバーは別に壊れてねぇし時間が無い訳じゃねぇけど、剃ってくれよ、オーヴェ」
双子に告げたものとは逆の言葉を囁き、あの言葉は全く事情を知らない双子に対するものであり事情を知っているウーヴェとリアに対するものでもあると目を伏せると、瞼にウーヴェの優しいキスが降ってきて自然と口の端が持ち上がる。
「オーヴェ大好き、愛してる」
「仕方がないな」
その告白をされて無碍にも出来ず、表面上は仕方がないと言いたげな顔だが、実際はクリニックでリオンの頭に手を載せていた時にばれていたように、最初からこうしてリオンの髭を剃ってやるつもりでいたのだ。
「……動くなよ、リーオ」
リオンの顎や頬にシェービングクリームを載せるとカミソリを片手にリオンの顔を覗き込み、頼むから動かないでくれと告げて返事を貰うとそっと無精髭を剃っていく。
詳しい事情を知っている者以外には絶対に告げる事のない一つの事件とその結果が、この秋から冬にかけてリオンが無精髭を伸ばす切っ掛けになっているのをウーヴェは当然ながら理解しており、無精髭を剃って欲しいとは思いつつもリオンの心を思えばいつものようにきつくは言えず、ついつい甘えさせるようにクリニックでは髪を撫でていたのだが、そんなウーヴェの気持ちをリオンも理解していたようで、カミソリで丁寧に髭を落とす間もリオンの顔に浮かんでいるのは気持ち良さそうな表情だけだった。
薄れることはあっても決して無くなる事のない事件の影響を感じつつも、それでも二人でこうして肌を触れあわせ、目を見て感情を互いに伝えあって言葉を交わしていると、その影響ですら自分たちが成長する為に必要なものだと思えてくる。
「……良し」
己の腕前に満足げに溜息を吐いたウーヴェを見上げてリオンも嬉しそうに目を細めると、ウーヴェの手からカミソリなどを奪い取ってウーヴェに向き直り、滑らかになった肌をウーヴェの頬に擦り寄せる。
「剃り残し、無いよな?」
「そんな確かめ方をするな」
リオンのそれにウーヴェが呆れつつも広い背中を抱く為に腕を回すと、嬉しそうな吐息を零しながらリオンが更に身を寄せ、しっかりと受け止めながらバスタブにもたれ掛かった為、少なくなった湯が溢れてタイルに広がっていく。
「……ダンケ、オーヴェ」
無精髭を伸ばす切っ掛けとなった事件を思い出すと胸が痛むが、その痛みを顔に出さずにただリオンの髪を撫でこめかみにキスをし、湯が減ってしまって身体が冷えるからシャワーを浴びてそろそろ出ようと促し、もう少しこのままが良いとワガママを言う大きな子どもを宥め賺してシャワーを浴びさせるのだった。
どちらも熱を吐き出した後特有の気怠さに包まれた身体を横たえ、一方は肩で息を整えもう一方は比較的余裕があるからか、ベッドを素っ裸のまま降り立ってバスルームに駆け込み、タオル片手に戻って来る。
熱と情を交歓した後の身体を綺麗にする為に本当ならばシャワーを浴びたい所だったが、時間が遅くなると階下の住人から苦情を言われかねないこともあり、こうしてどちらかに余裕がある方が二人の身体を拭くことが暗黙の了解として取り決められていたが、身体の芯に熱が燻っているような時に身体を拭かれてしまうと熱が再発しかねない為、ウーヴェは積極的にそれを拒もうとしていた。
だが、リオン以外に聞かせるのは断固として拒否したいような嬌声や、また同じくリオン以外には見せられない嬌態を晒した後では指一本動かす事も億劫で、リオンと付き合う前ならば考えられない事だが、丸裸のまま眠ってしまっても良いとさえ思っていたのだ。
だから今夜も自然と瞼が下がるのを何とか堪え、リオンがそれなりに丁寧な手付きで腹だの尻だのを拭いてくれるのに任せていると、自らは3秒程度で身体を拭き終えたリオンが隣に倒れ込んできた為、毛布とコンフォーターを一纏めにして持ち上げて二人の身体をすっぽりと覆う。
「……気持ちよかったか、オーヴェ?」
「…………お前はどうだったんだ?」
熱の交歓の後のピロートークにしては若干事務的な口調で逆に問い返したウーヴェは、リオンの唇がこめかみに押し当てられた後、耳朶にもキスをされて首を竦め、肩が動いたのを利用して腕を持ち上げてリオンの腰へと腕を回す。
その態度から言葉は素っ気ないが本音は別だと気付いたリオンが嬉しそうな溜息を一つ零し、ウーヴェの腕の中で限界まで身を寄せる。
「いつもそうだし、オーヴェがやってる時もだけど、どっちも最高」
「……バカ」
馬鹿なことを言ってないでさっさと寝ろと羞恥から冷たい言葉を投げ掛けたウーヴェだが、腰に回した腕はそのままで、間近にある蒼い瞳にキスをしようと顔を寄せると、嬉しそうに目を閉じてリオンがそれを受ける。
「双子達、時々面白いことを言いに来るよな。また次に面白いこと言ってたら教えてくれよ、オーヴェ」
「……ああ」
来訪は嬉しいが突拍子もない事でこちらを驚かせるのは心臓に悪いから止めて欲しいと苦言を呈するウーヴェだったがその表情は満更でもないようで、また双子が話題を提供してくれた時には真っ先に教えようと笑い、リオンの念押しを受けて肩を竦める。
「分かった。……双子にはお前は平均程度の体毛だと言っておく」
「平均って……誰と比べてるんだよ、オーヴェ?」
眠りに落ちる前のその言葉にリオンが鋭く反応しウーヴェの背中をシーツに押しつけて見下ろし誰と比べているんだと声を低くするが、誰とも比べていないから馬鹿なことを言うなとウーヴェが反論した為、リオンが一声吼えたかと思うと己が先程綺麗にしたばかりの素肌に口を寄せて胸に髪を押しつける。
「こらっ! リーオ、くすぐったい…!」
パジャマを着ていない下着一枚の素肌は当然ながら敏感で、くすぐったいと笑ってリオンの肩を押し退けようとするものの、誰と比べているんだともう一度問われて溜息を吐き、くすんだ金髪に手を差し入れて額を重ね合わせるように頭を持ち上げるとリオンの蒼い瞳と視線がぶつかる。
「リーオ」
名前を呼んだ後にお前だけだと囁くとリオンの頭がウーヴェの胸の上にそっと落ち、馬鹿なことを言ってないでさっさと寝ろともう一度告げながら何度も髪を撫でる。
「……うん。お休み、オーヴェ」
「ああ。お休み、リーオ」
明日もお前が目指す刑事、ひいては目標とする男に近づく為に頑張って働かなければならないのだろうとも告げると、ウーヴェの横にリオンが再度身を横たえて枕に頭を預けるのだった。
後日、双子がウーヴェのクリニックを訪れた際、やはりリオンは毛深いのかと問われた為、ご期待に添えないがリオンは一般的な男性に比べても体毛は薄い方だし無精髭も綺麗さっぱり剃らせたことを伝えると、残念そうに肩を竦められるのだった。
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