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そこは不思議な神社だった。街の外れにポツンと立っている真っ赤な鳥居に何となく目がいった。大層な造りをしているわけでもないのだがどこか堂々としており、どうしようもなく目が引きつけられる。今から仕事に向かう予定だった袴田維は、そんな魅力を通りがかりの神社に感じていた。出張先の慣れない土地で何か不自由があるかもと早めにホテルを出たが、杞憂だったようで仕事の待ち合わせまでまだ随分と時間がある。せっかくだしよっていこうかと袴田は、何の気なしに鳥居をくぐった。
中に入った途端、先ほどまで共存していたはずのうっすらとした都会の騒音がピタリとやんだ。その代わりとでもいうように蝉の声や木々の揺れる音が風とともに袴田の頬を撫でる。空にはお天道様が燦然と輝いているはずなのだが、そこにだけポッカリと穴が空いたように、神社には夏の日差しの気配がなかった。肌を撫でる夏にしては冷たすぎる風は、しかし気味の悪さを感じさせぬ透き通ったものだった。
少し歩くと階段と、その奥に本殿らしき建物が見えてきた。来たこともない土地なのに、なぜか感じる懐かしさに似たざわめきが項をのぼる。本殿についた途端そのざわめきが全身に広がり、袴田は身震いをした。顔を隠すように口元のストールを引き上げる。知らぬ土地で感じる謎の感覚に全くもって気味悪さがわかないことが袴田は不思議でならなかった。
本殿も鳥居に負けず劣らず、堂々とした不思議な雰囲気を醸し出していた。袴田はここに来た目的を思い出し、賽銭を投げ入れると目を閉じ、願いを浮かべながら手を高らかに打ち合わせた。シンとした神社にその音は、願いは思いのほか大きく響き、木々を、空気を、底にあるナニカの魂をも揺らした。
このときから。いや、神社を視界にとらえた瞬間からおそらく何かは動き出していたのだと思う。もしくはそれよりずっと前、知る由もないはずなのにどこか懐かしい紡がれてきた歴史の奥深くに始まりはあったのかもしれない。
ともかく、その時確かにそこには声が響いたのだ。まっすぐ空気を割るように。ヒビから這い出ててきた邪悪とも善心とも今の袴田には全くつかぬナニカの声が。
「おい人間。俺に”願った”な?」
「……は?」
咄嗟に出た声は間抜けなものだった。だが仕方がないだろう!袴田は心の中で誰にともなく弁解した。いつの間に?わからない。一体誰?わからない。なぜ浮いている?わからない!この短時間にわからないことがぽんぽんと湧いてでて、既に袴田はキャパオーバーしかけていた。それもそのはずだ。無人だったはずの神社に、しかも頭上から声が響いたと思ったら、白い着物に陽光を反射する金の髪をした男が宙に浮いているのだ。これがわかってたまるものか。いつも涼し気な眉間に珍しくシワを寄せながら袴田は目の前の奇妙な男を睨んだ。もしや妖のたぐいではと思い、そんなわけがないと頭を振る。一向に答えは出ないままだった。
そうしていると焦れたのか、目の前の男が不機嫌そうに声を荒げた。
「おい!聞いてんのか人間!てめぇ俺に今”願った”だろうが!とっとと用件言いやがれや!」
優美な登場の仕方とはかけ離れたどすの利いた声に、袴田は思わず男を凝視した。男は眉根を寄せ、こちらを睨んでいる。その目は現し世のものとは思えないほど真っ赤に燃えており、いっそ恐怖すら覚えるほどの強烈な光を灯していた。
このままでは埒が明かない。袴田はそう考え、一旦、目の前のナニカと対話を試みることにした。まぁ言い方を変えれば、おかしな状況下に置かれ深く物を考えるのをやめたということである。
「その…いきなり質問ばかりで悪いんだが、君は一体どこから来たんだ?そしてなぜ宙に浮いている?というか君は誰だ?」
「あ?人に名乗らせんならまずてめぇから名乗れや常識ねぇのかクソカス」
「ふむ、それもそうだな。すまない」
「ったくこれだから人間は。無礼極まりねぇな」
さて少ししか話していないが分かったことがある。この男、異様に口が悪い。言っていることは正しいのだが、言葉遣いが荒く、言葉の何処かに必ず罵倒がつく。優美に浮かんでいるその姿と場違いすぎる態度だ。普段ならば矯正を施すところだが、今はそれどころではない。惜しみつつも衝動を抑え、袴田は受け答えを続けることにした。
「私の名前は袴田維。デザイン会社の社長をしている。と言っても肩書は名ばかりの、ただのデザイナーだ」
それを聞いた男は目を細めながら、袴田のつま先から頭までをじろりと睨んだ。
「ほーん……てめぇここのモンじゃねぇな。気配がまるきりちげぇ」
一応罵倒をつけなくても喋れるらしい。袴田は密かに胸をなで下ろした。
「あぁ、ここには出張で来ている。仕事のついでに少し寄っただけなのだが…まさかこんなことになるとはな。」
それを聞いた男はハッと鼻で笑うと、高く浮き上がり袴田を見下ろした。その悠然とした立ち振舞は、ここの鳥居や本殿のように不思議な圧力というか、堂々とした魅力を感じさせるものだった。態度の悪さに変わりはないが。
「災難だったな人間。まあ見たところ、てめぇは巻き込まれやすい質らしい。己の天賦の才を恨むんだな」
そういったあと、高らかにザマァ!と叫んだ男からは既に悠然とした雰囲気は感じられなくなっていた。崩れるのがあっという間すぎやしないか。目の前の男のコロコロ変わる印象に少々戸惑いながらも、袴田は質問を再開した。
「私は名乗ったぞ。さて、君のことを聞かせてくれ。何しろ私には時間がない。それに、時間がないからといって目の前のこのおかしな現象を放っておけるほど、図太い神経はしていないのでね」
男は袴田の毅然とした態度に、うざったそうにしながらも口を開いた。
「うぜぇ人間だな。まぁいい特別に教えてやらァ。俺はな、てめぇらが一般的に言うところの」
「神ってやつだ。崇めろ、人間」
「……は?」
またも出たのは、間抜けな声だった。