テラーノベル
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未来が消えても、渚は廊下に現れなかった。
また騙されたかな? と思いながら、ドアを閉めようとしたが、そのドアをガンッと抑えられる。
うわっ、と振り返ると、渚が立っていた。
「下で、あの未来とかいう小僧に絡まれたぞ」
と言ってくる。
それで遅かったのか、と苦笑いした。
「大丈夫か?
あいつ、お前に気がないか?」
と訊いてくるので、笑う。
「違いますよ。
未来は弟みたいなものだから。
未来のおばさんが……うちの近所で」
と言うと、なんだ、その間と、言われる。
「まあ、いい。
入れろ」
「……もう入ってるじゃ」
ないですか、と言い終わらないうちに、渚は抱き締め、キスしてくる。
ドア、渚さんの身体に当たって、完全にしまってないしっ。
退いてっ。
閉めてっ、閉めてっ。
また、お隣さんに見られるっ! と暴れたが、無視された挙句に、
「なに嫌がってんだ」
と言われてしまう。
「違うっ。
後ろっ。
戸っ。
隣のご主人っ」
とほぼ単語で言うと、
「なんだ、隣の旦那がどうした?
浮気してんじゃないだろうな」
と言ってくる。
最早、意味不明だ……と思っているうちに、玄関の板張りに押し倒される。
「ちょっ、ちょっと、此処はやめてくださいっ」
「だって、今日、ずっとお前のことを考えてたんだ」
「いや……仕事中は、仕事してくださいよ」
「仕事しながらでも考えてられる。
頭がいいから」
自分で言うな……。
「あのっ。
せめて、あっち行きませんかっ?」
と渚を押し返そうとして、訴えると、
「ほう。
自分からベッドに誘うとは一日で随分成長したな」
と言ってくる。
いやいやいやいやいや。
違うからっ。
違うからっ。
絶対っ!
渚は上から退いて笑って言う。
「わかった。
じゃあ、昼間のリベンジだ。
愛してる、渚って言え。
そしたら、お前の言うことをなんでも聞いてやる」
いや、なに言ってんですか、もう~。
「言えませんってば……」
「言わないなら、帰るぞ」
と渚は機嫌が悪くなる。
「お前、ほんとに俺のこと、好きじゃないんじゃないだろうな?」
「いや……好きだと思う、その根拠はなんなんですか」
「言ったろう。
お前は、嫌いな男だったら、強引に来られても、絶対に受け入れない。
それこそ、舌でも噛み切って死にそうだ」
と言ってくる。
「はあ……それはまあ、確かに」
とちょっと思い出しながら言うと、渚は更に機嫌悪く、
「今すぐ言え。
言わないのなら帰るぞ」
と言う。
だが、渚を見つめて、黙っていると、渚は本当に立ち上がり、
「わかった。
じゃ」
と出て行ってしまった。
わああああっ。
ほんとにこの人はっ。
なんでこんなに行動早いんだっ。
意味わかんないしっ。
愛してるとか、そんなこと言えるわけないじゃないですかっ、と思いながら、渚が出ていったドアを勢いよく開けると、ゴンッと音がした。
見ると、渚は魚眼レンズから見えない位置にしゃがんでいた。
渚は恨みがましく、こちらを見上げ、しゃがんだまま、まだ、
「言え」
と言ってくる。
もしかして、この人でも不安になったりするのだろうかな、とふと思う。
徳田さんは、女は言葉を欲しがる生き物だと言っていたようだが、男だって、同じなのかもしれない。
そう考えると、ちょっと可愛らしくもあるな。
蓮はノブを握ったまま、渚を見下ろし、言った。
「……好きですよ、渚さん」
一瞬、黙ってこちらを見つめた渚は、立ち上がり、蓮を抱き寄せた。
そうか。
愛してるとか言いにくいけど、好きなら言えるな、と戻ってきた渚の匂いに安堵していると、隣のご主人が、
「……こんばんは」
と照れたように微笑み、横を通って行った。
わああああああっと思う。
たぶん、エレベーターホールを出たところから、なんだかんだ自分たちが揉めているのが見えていて、どうやって通ったもんかな、と迷った挙句に、挨拶して来られたのだろう。
気を遣わせて、申し訳ないっ、と思いながら、
「こっ、こんばんはですっ」
と明らかに動転している挨拶を返す。
渚は平然と、蓮を離さないまま、笑顔で挨拶していたが。
パタン、とお隣のドアが閉まり、ただいまーという声が微かに聞こえた。
「ははははは……」
「なに笑ってんだ」
ちがーうっ、と蓮は腰に回った渚の手をはたく。
「は、離してくださいよっ。
こういうときはっ」
「なに言ってんだ。
仲がいいのは、いいことじゃないか。
外国じゃこんなの当たり前だぞ」
と睨んできた。
「あれっ?
やっぱり、留学とかしてたんですか?」
と訊くと、
「いや、日本から一歩も出たことはない」
と言う。
……相変わらずだな。
こちらが慌てふためいていても、何処吹く風だった渚は、閉まった隣の家のドアを見ながら言った。
「感じのいいご主人だな」
「そうなんですよ。
おっとりして穏やかなご夫婦で」
と言うと、
「俺たちもあんな風になるのかな」
と言ってくる。
いやあの……ちょっと無理なんじゃないですかね、と思っていた。
まさか、自分があんな風に温厚そうに微笑む夫になれると思っているのか?
と正反対の野生的な顔つきの渚を見る。
それでも、ちょっと想像してしまった。
渚と此処で、隣のご夫婦みたいに暮らす日々を。
まるで夢のように、穏やかな普通の生活。
そんな未来を想像すると、ちょっと涙が出そうになる。
それは、子供の頃からずっと欲しかったものだから。
だが――。
『姫、これからいろいろあるかもしれないけど。
後悔ないよね?』
という未来の言葉を思い出す。
強く渚にしがみついた。
「あの……中に入りませんか?」
と見上げて言うと、
「やっぱり今日は積極的だな」
と笑って言ってくる。
いえあの、今、人に見られたくないだけですからね……と思っていた。
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