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…おや、今日も来て下さりましたか。
私などの話に付き合って下さるなんて、貴方の御心は寛大ですね。
さて、と…。
今日は母が機嫌が良かった時の話でも。
母は機嫌が良くなると気前が良くなるのです。
謝必安にも私にも、とても優しくして下さりました。
そんな母が大好きでたまらなかった。
ずっとこの母と共に居たいと思ったのです。
母は、機嫌が良い時だけ、私や謝必安を抱きしめ、頭を撫でました。
その時の謝必安の笑顔たるや、「太陽の如き輝いた笑顔」とでも言いたいほどに。
私はと言えば、疑心暗鬼になっていたのか「母は本当に私を愛してくれているのか」なんて悩んで、心からの笑顔など出せなかったものです。
またある時は、母は私共を連れて遠出をしました。
遠出と言っても、大して遠くでもなく、家から数時間、とでも言った所でしょうか。そんな場所に出かけた時は、私も謝必安もほかの子供と変わらぬようにはしゃぎ回って遊んだものです。
母の機嫌が良い時は決まっておらず、特別これをした日に機嫌が良くなるなんてことはありませんでした。
どれほど機嫌が良くとも、警戒を怠ることは出来ませんでした。少しでも母の機嫌を損なうことでも言ってしまえばもうそこで楽しい時間などは消えて無くなってしまったんです。
ここからはその時の私が少なからず思っていたことですが、きっとお話を聞いてくださっている皆さんの中にも同じことを考えてきた方がいらっしゃるかもしれないですね。
「私は本当に愛されているのか?」
「母からは玩具や家畜としか思われていないのではないか?」
「もしかしたら私はこの世には必要なかったのではないか?」
とよく思いました。えぇ、えぇ。今でもそうですとも。
それでも、私は周りに言い振らそうだなんて思ったりはしたことはありません。
何故ならば私は母が大好きでたまらなかった。
酷い親でも、いつかは愛してくれる気がしたのです。
私がもっと頑張れば。私がもっと我慢をすれば。
私が、もっと「良い子」であれば。
母は私を褒めてくれる気がしたのです、愛してくれる気がしたのです。
数日でも数時間でも長く、母の笑顔が見れる気がしたのです。母と笑って居られる気がしたのです。
お人好しでしょう、馬鹿でしょう。
私はそうでありたかった。
母を敬愛していたから、心の底から大好きだと言えるから。
この後またとない、「范無咎(ふぁんうじん)」と言う名の、母の子供だから。
自分を特別だと思っていたんです。謝必安を特別だと思っていたんです。
この世に2人といない存在であるから、ね。
少々長引きましたでしょうか?
また明日にでもお話を、と言いたいところですが。
私はもう話すことはない気がしました。
なので、私からはこれにて終い、と致します。