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「……もう用は済んだ」
目玉など奇妙さを放つ物体はすっかりしぼみ、まるで閉園後のテーマパークみたいな雰囲気を醸し出していた。
怪異はそう呟いて、何やら考え込んでいる。やがて、穴を掘ろうとしていた場所に何やら呼びかけた。須田がそれを止めるべく走り出したが、一歩及ばず、お呼ばれになったそいつは出て来た。
あの蝙蝠である。人と同じくらいの大きさの。
そいつは、主人を守る騎士のように翼を広げ、焦音たちに立ちふさがる。
しかし、その蝙蝠が薄っぺらの装甲で、簡単に殺せることくらいはもはや共通認識だ。
斧の一振りで、簡単に蝙蝠は倒れた。しかし、彼が守っていたはずのご主人様はもうそこにはいない。
「逃げられたか……!」
「『ヒーローは遅れてやってくるネ!少年、私に任せろアル!』……って、”サイカ”は?」
「お、桃蘭ちゃん。無理しなくていいんだよ?……サイカってのはさっきの怪異か。いやー、逃げられちゃってね。いくら怪異とはいえ味方を盾にするとは、中々なものだね」
「んえー、俺がもっと速けりゃ殺せてたかもですね」
「いや、氷空は何も悪くないって。俺がまだまだ未熟ってわけさね。……ま、みんなで生きて帰れたってだけでよきよきかな?うっし、帰りにドーナツ奢るわ!」
「俺オールドファッション過激派なので。お願いします」
「私は……イチゴ系の味がいいアル!」
「焦音くんは?」
「ドーナツなんて食べたことないんですけど……」
「オールドファッションにしましょう」
「イチゴ以外は認めないアル!」
「え、えぇ……」
「じゃあイチゴ味のオールドファッションにすれば?あ、僕はエンゼルフレンチね」
「そうします……」
*
「えー、帰り道でドーナツ?いいなー」
Aチームの帰宅からほどなくして、須田率いるBチームが帰ってきた。
Aチームは咲を始めとしてかなりボコボコにされたのと比べ、店長の到着が早かったからかあまり被害は出ていないらしい。
そして一週間後、見楽の復帰が長引きそうということで、桃蘭が一時的に咲らの部屋にいる。
結局、瓜香の態度が改善したうえにエイリアンと戦った時に助けられたので、現在は瓜香、咲、そして桃蘭の三人で一つ扉のもと暮らしている。
桃蘭が愛してやまないチャイニーズドラグーンシリーズは世代だったのもあって咲も見ていたので、かなり仲が良いものの、瓜香のキラキラパワーに桃蘭は慣れていないようだ。
瓜香の方も、普段はおどおどしているオタクなのに戦闘モードになるとコスプレして某”シルバーボール”に出て来そうな中国訛りを披露してくる桃蘭にはつかみどころのなさを感じている。
総じて、咲は瓜香桃蘭と仲が良いけど、その二人は仲良くないという三角関係が生まれている。
咲としては二人とも仲良くなって欲しい所ではあるが、陽の頂点と陰の頂点は相容れないのだろうか。
「あっ、そそそ、そうなんですぅ……」
「あら、クッキーも無理しなくていいわよ」
「あっ、いえ、せせせ折角作っていただいた、ごご厚意に甘えて」
そう言って、桃蘭がチョコチップクッキーを一つ手に取り、ぎこちない動きで口に放り込んだ。
そして、その味が高校生にしてはいい腕をしていることに気付いたのか、さらに瓜香が明らかに外国人の血が入った顔をしているので本場の迷信じみた動きがあるのかと考えたか、咲に小声で「これ作法とかないよね?」と聞いてきた。
これには咲も「田舎者が知ってるわけないじゃん」と返す。桃蘭はまだ何か話したそうだったが、瓜香が半信半疑な視線を向けてきているのに気づくとやめた。
「お口に合わなかったかしら」
「あっ、いっいえ、全然おいしいれす」
「そう?ならよかったけど」
その後もほぼ咲と瓜香の他愛のない話が続き、瓜香がメイクがどうこうで10分ほど洗面所に向かい、離席した。
その時、桃蘭はおそらくずっと気になっていたであろう疑問をぶつけてきた。
「あっあのさ……瓜香、さん?って、もしかしてお嬢様?」
今の若者に「~のよ」はまだしも「~かしら」なんて語尾をつけるのは都会の私立高校に通うお嬢様くらいしかいない。だから、この海なし工場なし人手なしの田舎にこんな特徴的なやつが出てくるのが不思議でならないのだろう。
日本の自然に憧れて外国人やその子供が転居してくるというのは間違っていない。アニメも田舎をテーマにしたものが散見されるし、家族内での日本人の都合がどうこうで来る人もいる。
瓜香は最後のパターンで、日本人である母の田舎に移住したいとの要望を受けて引っ越してきたらしい。
そして、瓜香は元々父の生まれ育ったカナダ住みだったから、本で日本語を覚え始めたとのこと。その後しっかりとした教育は受けたが、やはりその本が忘れられずにいるらしい。
その本、どうやら英語で書かれたものを日本語に翻訳した物だったようで、当然正式なタイトルは英語だったから咲は覚えていない。和訳タイトルは魔法のうんたらかんたらみたいな感じだった。
内容自体はよくある女児向けファンタジー絵本だが、そこに登場するヒロインのキャシーだかジェシーだかバッシーンだかがお姫様で、和訳された際にお嬢様口調になっていたのが今でも残っている、と前に話してくれた。
「な、なんか経歴まで陽キャすぎるんですが……」
「ねー。海外怖すぎる」
「というか、ついでに気になってたんですけど、咲さんってなんでこちら側にも来れるんすかね……」
「どゆこと?」
「あっ、い、いえ、お気になさらず……」
「えっと……なんかごめん」
「その、私みたいな陰キャとも付き合ってくれるのすげぇなって」
「いやいや、桃蘭と話してるの楽しいし」
「はは、嘘はよくないよ……」
「嘘じゃないって」
とはいえ、少し考えてみる。
高校にはそこそこ友達はいた。田舎だから同じ中学の人もたくさんいたので、顔見知りが多かった。でも、学級委員長みたいなタイプとは付き合いがなかった。
部活は一応バスケ部に居たけど、高身長でもなかったしボールには嫌われてる方だったのでうまくいかなかった。高2でテニス部にしたけど、高1の内にみんなが済ませている基礎の確認で苦戦して仲間から白い目で見られた。
おそらく、唯一の特技である「選抜リレーに入れるほど足が速い」という点でも、それだけで満足な人種はこの世に存在する。
最後の盛り上がる種目で全力で走って、仲間やライバルと一緒に汗水垂らして。確かに楽しいイベントではあるし、咲も必死に走った。結果は惨敗だったけど。
しかし、なぜか咲の心は動かなかった。動けなかった、の方が正しいか。
戦うことが根本的に合わないのだと自分に言い聞かせてきたが、あのエイリアンと戦った時は思いついた作戦が無事成功して嬉しかったし、そういうわけでもないみたいだ。
自分が分からない。何というか、皆の中で一番地味な存在だと思う。
そういえば、また夢に息吹とかいうやつが出て来た。もう女神は元に戻ったと言って、咲に一つ質問をした。
「もし君がこれから過去最悪な目に遭わされると言ったら、どうする」と。
咲は迷わずにこう言った。「そんなことさせないし、やろうとする奴はぶっ飛ばす」。
息吹はそれを聞くと少し笑って、野蛮だとかヤンキーみたいだとか言って咲を罵倒した。咲は、息吹は夢にしか出てこない怪異だからあまり実感が湧かず、大して反応を示さないことにしていたが、そんなんだから友人の質も悪いだとか、家族もろくな奴がいないとか言い出されると、遂に怒った。
だって、咲はいつだっておじいちゃんが第一だから。おじいちゃんの理念は咲に受け継がれているし、咲はおじいちゃんを尊敬している。病気になった時は仕事を休んでまで看病してくれて、色々面白い話を聞かせてくれた。
そして、紆余曲折あったけど友達になれた瓜香に、同じ支店で頑張ってきた無光に、戦闘で頼りになる葉泣。そして、桃蘭たちBチームの同期のみんな。後は、春部、久東らの先輩たち。
咲はみんなに助けられている。だから、みんなを罵倒するのは許さないぞ、と言った。
すると、息吹はこれまでにないくらい笑った。本当に気味の悪い怪異だ。きっと感情がないんだろうな、と思う。だって、まるで彼の声には抑揚が無いからだ。
息吹は、『ハサミはいい仕事をしたな』と小さく呟いた。これを最後に、夢は幕を閉じた。
そのハサミ、というのが意味するのは十中八九異様な強さを示す人型怪異だろう。
最近話題になっているのだ。名前すらも判明しておらず、広いつばの四角い帽子を深く被ったうえにお面もつけているから顔も割れていない。服も、丈の長い黒服を何枚も重ね着している。よっぽどシャイなのか、身元がバレたらまずいのか。
一度、咲たちが来る二年ほど前に、ハサミをカメラに収めるべく接触しに行ったチームがあった。
そのチームは壊滅していたが、映像は残っていたと言う。
ハサミは、相変わらずの不気味なにやにや笑みを浮かべながら、残像すらも残さない速度で、はたまたあり得ないくらいゆっくり攻撃する。そして、当然チームからの攻撃ももらっているわけだが、ダメージを感じていないのである。まるで、石とか人形に攻撃しているみたいだった。
さらに、ハサミの刃を地面や壁から生やしたり、帽子のつばで出来た影や自らの影から真っ黒い腕を出現させたりもしてきたのだ。映像を会議室で見ていた同期全員が、悲鳴を上げた。ただの指がハサミの刃になっている人型怪異ではなかったのだ。
久東がその映像を確認して、放った一言が怪異討伐部隊内で伝説と化している。
『私じゃ勝てへんかも』。普段の彼女の様子からは想像もつかないほど小さな声だった。
記憶を掘り起こしているうち、瓜香が戻ってきた。と同時に、珍しくインターホンが鳴った。
「あ、ピンポン。はーい」
「久東やでー。桃蘭、ちょっとええかな?10分くらいで終わる」
「ふぇえ?!洞窟の時失敗しちゃってぇえごめんなさいぃぃ!!」
「やらかし系とちゃうから安心してやー」
「はっ、はいぃ!なるなるはやはやでいきますぅぅ……」
その後、本当に30秒くらいで支度を済ませ、さっさと出て行った。
この時、自分の中の何かが、彼女の背中を引き戻そうとしていた。
なぜかは分からないが、強烈に嫌な予感がした。今まで感じたことがないほど。
「どうしたの?咲」
「え、あー……」
嫌な予感の正体を予測して伝えるのは少し面倒だったから、適当な話題にすり替えることにした。カレンダーを見ると、今日の日付は9月5日とされる。
「今頃、あっちの世界ではお祭りやってんのかなーって」
「お祭り?」
「うん。瓜香が住んでる方、都会だし辺境のお寺の祭事なんて知らないかもだけどさ」
「もしかして、咲が住んでるお寺の?」
「そう!いつもこの時期にやってるから」
「へぇ、それはいいわね!引っ越してきてまだ2年とかそこらだから、知らなかったわ。どんなお祭りなの?」
「つっても、そんなでかいもんじゃないって。近所の人が採ってきたきのこや山菜をいい感じに焼いてみんなで食べるだけ。屋台が出る様なやつじゃないし、あんま面白くないよ」
「いやいや、秋の美味しい物食べ放題ってことよね、最高じゃない!帰ったらぜひとも行きたいわ」
「あ、そう?よかったら手伝いに来てよ。慢性的な人手不足だから」
「任せて、これでも動ける方よ。……そうね、来てくれるかわかんないけど、無光とか葉泣、桃蘭ちゃんやBチームの人も一緒に行きたいわね」
「確かに。不思議な体験した同士でどっか行きたい気持ちはあるけど……私としてはやっぱ都会に行きたいや」
不意に、祭囃子が聞こえた気がした。まだ桃蘭は帰ってきていない。
*
手慣れた所作で組んだ指を、接着剤で固めたみたく強く強く握り、一人の少女が今、自由を手に入れた。
「はっ、はっ……」
走るのも、いや歩くのも、何時ぶりだろうか。ずっと椅子に座って、真っ暗な空間で、ただ祈っていた。
神がいるはずの空間だと言うのに、黒以外の色はそこに存在しなかった。そんな漆黒に、見楽は座っていた。
座れるのだから、当然床が存在するはずなのだが、それも違う気がしてならなかった。とにかく、あの空間を同じ世界だとは認められない。
中央に桜があった。一本の大きな桜。山の方にある寺社に、同じような桜の木があったような気がする。八分咲くらいの桜は、とても綺麗だった。季節外れであることに不思議と疑問は抱かなかった。
その木の下に、天女の装いをした女性が佇んでいた。妖艶で、かつ神秘的で、低俗な言い方をすれば上玉の美人。下心はないはずだが、なぜか触れなくてはいけない気がして、手を伸ばした。しかし本能が制御して、結局触れられなかった。
見楽は、触れられないのなら仕方がないと、その女性に祈っていた。何かに憑りつかれたみたいに、必死に。祈って祈って祈って、信教もすべて忘れて、心を無にして祈った。そしてそれが”上限”に達したらしく、見楽は解放されたのだ。
どれくらいの期間、見楽は監禁されていたのだろう。今みんなは何をしているのだろう。無事だろうか。生きているだろうか。
今度は仲間に祈って、見楽はやがて本部に着いた。
庭には誰もいない。不思議なくらい、話し声も聞こえなかった。軽く寒気がした。
とにかく日付を確認したい。おぼろげな記憶を頼りに女子寮へ向かい、自分の部屋を開ける……開かない。当然だが鍵がかかっている。修道服の裏ポケットから鍵を取り出す。手汗のせいで取り落とす。腹が立つな。
テイク5くらいして、ようやく解錠に成功するも、中には誰もいなかった。
カレンダーと時計を確認する。9月5日、17時。三週間も空けていたようだ。まずは謝らないと。しかし、冷蔵庫の中身、と言うよりは荷物が全てなくなっていた。まるで、もうそこに人は住んでいないかのようだ。
「引っ越し……たのかな」
少し絶望した。でもとりあえず、本部そのものが怪異に占拠されている、みたいな事態になっていなくて安心した。
見楽の居た場所は怪異の能力で隠されている。息吹は人型怪異だからおそらくその力も強大だし、ただ単に見楽を見つけられなかっただけらしい。
とはいえ、見楽は残念なことに本部の構造をあまり知らない。転居したにせよ、どこに行きそうかが分からないのだ。
一旦、女子寮の部屋全部を回ってみることにした。
「し、失礼します……」
鍵がかかっていない部屋を見つけた。しかも、電気がついていたので、迷わず入った。
そこには咲と瓜香がいた。見楽は自分でもびっくりするくらい甲高い声を出した。
「咲ちゃん!瓜香ちゃんも!」
「……」
「……」
「さっ……咲ちゃん?あ、忘れちゃいましたかね。私、修善見楽と言いまして、あの、怪異に連れ去られていたのですけれど、先ほど帰還いたしまして」
「……」
「え……」
見楽は絶句する。無理もないだろう、なんせ咲と瓜香は、
時間が止まったみたいに、一度たりとも動かなかったから。
「嘘……なんで、そんな」
腕を引っ張っても、名前を呼んでも、何をしたってびくともしない。
咲と瓜香は話している途中だったのだろう。指を立てて何かを説明している様子の咲と、身を乗り出して聞いている瓜香。
今にも動き出しそうだった。でも、全く動かなくて。
見楽は、状況に希望を見いだせなくなりながらも、震える手で祈る。
怪異。怪異がいる、おそらく。怪異の能力で今こんなに、でもなぜ本部が。
本部には強い人がいる。不正して無理に入った見楽より強い人がたくさん。一番弱い世代の私達よりも、もっと戦ってきた奴らがいる。
でも、その人たちでも退治できなかった何かがいると言うの。
店長でも?……あの久東さんでも?
怪異討伐部隊なんだから、怪異を倒さなきゃいけないと思う。でも、でも流石に勝手が違う。久東さんでも太刀打ちできない相手と戦うのが、全く戦えない見楽なんて。
亡き母親の言葉を思い出しながら、気づけば讃美歌を口ずさむ。
超異力を使わない、ただ一つの祈りに、何かを変える力はないのに。
見楽は歌いながら部屋を出て、他の部屋に向かったが、そこにいる人々はもれなく時間が止まっていた。
話している。座っている。水を飲もうとしている。歩き出そうとしている。剣を振りかざそうとしている。
その行動が完遂されることはない。
見楽は走ろうとした。でも、もうその事実だけで足を止めるに十分だった。
三週間、嫌と言うほど握った形に手を整えたまま、見楽はその場に座った。
その酷く憔悴した姿を、たった一人、見ていた人物がいた。
「シスター……。なんで、今、帰ってきたの」
「……」
反応が遅れた。今まで同期とも、同部屋とも会っていない時間が長すぎたから。
言葉がたくさん出て来た。今何が起こっていて、どんな怪異がどこにいて、久東さんは、先輩は、店長は何をなさって、私がいない間に何があったの、
ご教示願えますか、
「桃蘭さん!」