テラーノベル
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不思議だ――眠ったはずなのに、最初に感じたのは落ちていく感覚じゃなかった。
柔らかいものに沈むような、妙にぬるい静けさを感じる。
目を開けると、そこはいつもの夢の底より少しだけ輪郭の曖昧な場所だった。
暗いのに、足元は夜の水面みたいに揺れていて、そして空気には微かな甘さが混じっている。
この匂いには覚えがあった。
「……ミュール、お前か?」
呼ぶより先に、足元へ小さな黒い影がすり寄ってくる。
そこに居たのは黒猫――ふわふわした毛並みのわりに、目だけ妙に賢そうで何を考えているのか分からない顔をしている。
ミュールは俺の足へ身体を押しつけるとそのままくるりと一周して、当然みたいな動きで膝の上へ飛び乗ってきた。
「んふふ、ばれた」
猫の口で笑ったみたいな声がする。
「ノア、ねてるから、ちょっとだけおじゃま」
「ちょっと、の距離じゃないな」
「だめ?」
「そもそももう乗ってるだろう?」
そう返すと、ミュールは満足そうに目を細めた。
こういうところが、こいつは本当に遠慮がない。
だが、追い払う気にもなれなかった。
夢の中のミュールは、妙に体温がある。
猫姿のまま喉を鳴らしながら、俺の腕に頬を押しつけてくる。
その甘え方は露骨なのに、目の奥ではちゃんと別のことを見ているのが分かる。
「それで、何かあるんだろ?」
俺はミュールの背を撫でながら言った。
「うん、あるよ」
返事は早かった。
ミュールは俺の膝の上で丸くなりかけて、それから思い出したみたいに顔を上げる。
「そと、ちょっとへん」
「外?」
「うん。にんげんのほう。びょういんも、がっこうも、そのまわりも」
声は甘いのだが、言っている言葉は甘くないなと感じながら、ため息を吐く。
ミュールは話を続ける。
「へんって、どういう意味だ?」
「みんな、しずかにしてるのに、ぜんぜんしずかじゃない」
いつもの言い回しだ。
曖昧で、だが感覚としては分かる。
「かくしてる?」
「うん。かくしてる。こわがってる。しらべてる。あと、こっそりのぞいてるのもいるよ」
「学校側か?」
「うーん、それだけじゃないかも」
ミュールの尾が、俺の腕へ巻きつくみたいに揺れる。
「ダンジョンのへんだったとこ、まだちゃんとおわってない。においがのこってる」
「……そうか」
桜咲かな
699
アトハ
153
#聖女
にゃみ3
37
#ハッピーエンド
にゃみ3
30
予想はしていた。
ヴィーシャが現れた時点で、あれを“ただの実習中の事故”として処理できるはずがない。
予測だが、学校側は隠すだろう。
だが、隠しきれるとも思えない。
裂け目に異常な魔物。そして、ヴィーシャが出てきた隠しエリア。
もう一つ、異世界側の強者がこちらへ現界した痕跡。
どこまで掴まれているかは分からない。
だが、何かが残っているのは間違いない。
ミュールは俺の膝の上でくるりと向きを変えると、今度は腹を見せるみたいに寝転がった。
さぁ撫でろ!撫でてくれ!と言わんばかりの態度だったので、黙って喉元を指先で掻く。
すると、目を細めながらぽつりと言った。
「ノア、さいきん、べつのいみでむりしすぎてない?」
その言葉を聞いて、少しだけ手が止まる。
「別の意味、か?」
「うん。たたかいだけじゃなくて」
ミュールの声は柔らかい。
「がまんとか、かんがえることとか、にんげんとか」
そのように言われて、少しだけ再度、息を吐く。
戦うことそのものは、慣れている。
無茶をするのも、今さらだ。
だが、最近の疲労はそれだけじゃない。
乃亜の身体のこと。
魂のこと。
学校側のこと。
理央たち三人のこと。
最終的には元の世界との裂け目。
考えることが増えすぎている。
しかも、そのどれもが一つ間違えば乃亜を削る。
「……そうかもしれないな」
正直にそう言うと、ミュールが俺を見上げた。
「やっぱり」
「得意げだな?」
「だって、わかるもん。ノアのにおい、さいきんずっとちがう」
「どんなふうに」
「ねむいのに、ねむれてない、そんなにおい」
それは、自分でも少し分かっていた。
眠っていても休めていない。
夢の底にいる間すら、頭のどこかで現実の方を切り離せていない。
「ミュール」
「なあに?」
「お前、外を見てきたのか」
「すこしだけ」
「どこまで」
「それは、ひみつ」
「言え」
「やだ」
フフっと笑いながら答える。
だが、耳が少しだけ揺れている。
こいつなりに、もう少し言うか迷っている時の癖だ。
「……にんげんのゆめ、いくつか……がっこうのひととか、へんなふうにおびえてるひととか」
「余計なことはするなと言ったはずだ」
「こわさないよ、”まだ”」
「まだ?」
「ノアがだめっていうから、ゆめのはじっこをみただけ」
言い方が嫌すぎる。
だが、“まだ”だけで止めているあたり、こいつなりに自制はしているのだろう。
「ヴィーシャのことも、少し見えた……あれ、やだね」
「それは、同感だ」
「ノアのこと、すごくすきそうだった」
「出来れば……好き、で片づけたくない」
「でも、そんなにちがわないでしょ」
「最悪な意味でな……」
ヴィーシャは嬉しそうだった。
再会を喜び――そのくせ、本気で殺しにきていた。
あいつの中では、その二つは何も矛盾しない。
それが一番厄介だ。
「まさか、あいつが現れるとは思ってなかった」
口にした瞬間、その言葉の重さが夢の中でもはっきり分かった。
ヴィーシャは元の世界では宿敵だ。
裂け目の向こうに存在している可能性は考えたことがあっても、こんな早さで、こんな形で、こっちへ干渉してくるとは思っていなかった。
そしてもう一つ――彼女の弟がもっと厄介だ。
(……別の意味でも会いたくない)
そんな事を考えると、ミュールが俺の手へ、顔を擦り付けてくる。
「ねえ、ノア……ダンジョンと、まえのせかい、つながってるのかな?」
その問いに、すぐには答えなかった。
考えないようにしていたわけじゃない。
むしろずっと頭の隅にはあった。
――この世界のダンジョン、偶然で、繋がれて、そして出来過ぎているかのように。
「関係はある、と思う……少なくとも、ヴィーシャが出てきたことで、ありすぎだなぁと思ってしまった」
「やっぱり」
「あの裂け目は、召喚と少しだけ似ていた。」
ミュールの耳がぴくりと動く。
対し、俺は話を続ける。
「ただし、俺が開く契約の道とは違う。もっと歪で、無理やりで、偶発的だ」
「でも、つながる」
「ああ」
「やだねえ」
ミュールは俺の膝の上で小さく丸くなった。
「ノアのいたせかいが、こっちまでくるの」
「俺も歓迎はしないな」
「ノア、またもってかれちゃうかも」
「流石に持っていかれないだろう」
「ほんと?」
「持っていかれたら、お前らがうるさいだろ?」
「うん、うるさいよ」
少しだけ口元が緩み、そのように答えた。
ミュールはそれを見て満足そうに目を細める。
こいつはこういう小さな変化を拾うのが上手い。
「でも、ノア」
「何だ」
「ほんとに、むりしすぎたら、ねむりごとさらうよ」
「脅しか」
「しんぱい」
そう言って、ミュールは俺の指へ自分の小さな前足を重ねた。
「ノアのねむり、ぼくのものだもん」
相変わらず、言ってることは大概だ。
だが、その声音は思ったより真面目だった。
俺はミュールの頭をもう一度撫でる。
柔らかい毛並みが指先に沈む。
「分かってる」
「ほんとに?」
「少しな」
「すこしじゃだめ」
「注文が多いな……流石猫」
「ノアにはいっぱいあるよ」
甘えるみたいに言ってから、ミュールは小さく喉を鳴らした。
夢の中の静けさが、少しだけ柔らかくなる。
だが外ではまだ、いろいろなものが動いている。
学校も、病院も、ダンジョンの異常も、たぶん終わっていない。
そして、ヴィーシャが現れた以上、異世界とこの世界の繋がりも、もう見ないフリはできない。
乃亜を戻す道は、思っていたよりずっと危険だ。
だが、だからといって止まる気もなかった。
「ミュール」
「ん」
「もう少し、外を見ておけ」
「いいの?」
「ただし余計なことはするなよ?」
「ゆめをちょっとかじるくらいなら?」
「駄目だ」
「けち!」
文句を言いながらも、ミュールは楽しそうだった。
結局、こいつはこうして役目をもらうのが好きなのだろう。
黒猫の身体が、俺の膝の上でゆっくりと溶けるみたいに薄れていく。
夢の終わりが近いらしい。
「ノア」
最後に、ミュールが小さく呼ぶ。
「つぎは、ちゃんとねてね、」
その言葉だけを残して、黒い影は夜の水面へ溶けた。
残された静けさの中で、俺は少しだけ目を閉じる。
――たしかに、無理はしている、戦い以外の意味でも。
だが今は、まだ止まれない。
ダンジョンと異世界の関係。
ヴィーシャが来た理由。
そして、乃亜を戻すための道。
考えるべきことは山ほどあった。
それでも、夢の中で撫でた黒猫の柔らかさだけは、妙に長く手に残った感じがした。
コメント
1件
もうミュール可愛すぎ〜!!🥺💕 夢の中にすり寄ってくる黒猫、めっちゃ癒しなんだけど、ちゃんとノアのこと心配してるのが伝わってくる…「ねむり、ぼくのものだもん」って言うとこ、独占欲?愛?が混ざっててエモすぎる😭✨ しかも外の様子が変だって言うミュール、ただの甘えん坊じゃなくて賢い感じがいいよね。ヴィーシャの話も出てきて、物語がどんどん深まってる気がする!ノアの重荷も気になるけど、ミュールみたいな存在がそばにいるって心強いなあ…。次の話も楽しみにしてるよ〜!🌸