橋本とやり合ったときのように、宮本の行く手を塞ぐ笹川の動きは、まるで鬼ごっこをしている子どもみたいだった。三白眼の瞳がギラついているのに、思いっきり顔を崩して笑っているため、普段から漂わせているヤクザの凄みはまったく感じられない。
むしろ気の優しい兄ちゃんが、ふざけているように見てとれた。
「なんでっ、追いかけてくるんですかっ。しつこいですって!」
「おまえが逃げるから、追いかけたくなるんだろ。こんなに必死になって、誰かを追いかけたのは久しぶりだぜ」
へっぴり腰状態なのにもかかわらず、笹川の手から確実に逃れる宮本の動きに感心させられた。しかしながら息が上がってきているため、徐々に動きが鈍くなっているのも事実――どこかで助けに入らねばと、橋本がふたりの行方を見守っていた矢先だった。
疲労でふらついた足が絡まり、転びかけた宮本の襟首を笹川が掴んで、すぐ傍にある柱に磔にし、後方にいる橋本に意味深な視線を飛ばした。
「笹川さんっ!」
「殺る前に、宮本の唇くらい奪っても――」
言い終える前に橋本はふたりの傍に駆け寄り、笹川の腹部目がけて右ストレートをお見舞いする。サンドバッグにパンチしたような手ごたえを右の拳に感じつつ、顎に向かって左拳を素早く突き上げた。
「はやっ!!」
反射的に突き上げた拳は、笹川の顎を確実に捕えたはずだった。しかし目の前にはその拳を難なく避けた笹川の満面の笑みがあり、次の瞬間には腹部に思いっきり重いパンチを食らってしまった。
「ぐはあぁっ」
「陽さんっ!? 陽さぁあん!」
笹川の足元にうずくまる橋本に、フロアーに響き渡る悲鳴のような宮本の声がかけられた。
「橋本さん、今のアッパーはヤバかったぜ。気迫も殺気も申し分なかった」
カラカラ大声で笑うなり、掴んでいた宮本を手放す。
「陽さんっ、大丈夫ですか? 痛い?」
「だい、大丈夫、だ。雅輝が無事ならそれでいい」
「ひゅー、橋本さん男前! 頬に受けたかすり傷で、この場を収めてやる。ありがたく思えよな」
うずくまりながらも、何とか顔を上げた橋本に見えるように、笹川は頬の傷を見せつけてから退散していった。
「うぅっ。腹にパンチを受けた分だけ、俺のほうが損してるじゃねぇか」
「陽さん黙って。あの人が戻ってきたら、俺たち殺されちゃう」
「でもよ――」
「お願い……」
震える宮本の両腕が、橋本の躰を包み込んだ。それは安堵からくる震えなのか、それとも恐怖心からなのか。しかしながら宮本に心配させたことには変わりないので、仕方なく黙り込んでやる。
「陽さんが無事で良かった」
「それは俺のセリフだ。どうして、外に向かって逃げなかったんだ?」
「捕まらないように必死になってたら、外に逃げ出す余裕がなかったというか」
「それじゃあ、ここに車を乗りつけると、おまえが言いきった行動はできないわけか。笹川さんは身をもって、わざわざそれを教えてくれたらしい」
微苦笑しながら、目の前にある肩に頭を乗せて体重をかける。甘える橋本の躰をしっかり支えて、宮本は笑いかけた。自分を抱きしめる腕の震えがいつの間にかおさまっているお蔭で、安心して身を任せることができた。
「クソっ、笹川さんに手も足も出なかった。ギリギリまで追い詰められて、頬を掠めるパンチを繰り出すのがやっとなんて。すげぇ悔しい」
「あのときの陽さん、見惚れるくらいに格好良かった。ふたりそろって絶体絶命のピンチだったのに、心臓がバクバクしたんですよ」
「ピンチだったから、バクバクしたんだろ?」
「陽さんが一生懸命に俺を守る姿に、心臓が高鳴ったんです」
笹川と対峙していたときとは違い、宮本の弾んだ声が閑散としたフロアーに響くだけで、甘やかな雰囲気に早変わりする。
「それって、あばたもえくぼなんじゃねぇのか? ヒットする予定のパンチだって、結局外しちまったのに」
「ヤクザの血を引いていようが、パンチを外しちゃっても、陽さんはカッコイイ陽さんです。しかも、俺の勘は当たっていたんだなぁ」
「雅輝の勘?」
告げられた宮本のセリフのせいで、脳内に疑問符が浮かんだ。しかしながらマトモな返答じゃないことが、橋本の中で容易に想像ついた。
「陽さんと友達になったときに、いろいろ喋りましたよね。陽さんの想いを、桜の花びらに例えたり」
「あー、そんなことがあったな。俺は花びらを一気に落とそうと、幹を蹴飛ばして花びらの雨を降らせるって言ったやつだろ」
「あのときね、想像したんです。桜の木の下に着物姿でいる陽さんの姿を。任侠映画に出てきそうなシチュエーションだなぁって思ったんです」
そのときのことを思い出したのか、うっとりした表情になった。
「どっちにしろ、俺は雅輝に好かれてるってことなんだろ?」
「大好きです。むしろ愛が高まりました!」
ヤクザと繋がりがあることで、怖がられた挙句に捨てられると脳裏に思い描いたのに、それとは180度違う態度で、自分のことをさらに好きになった感じが、宮本の態度から伝わってきた。
「そうか、それは良かった……」
(雅輝の萌えポイントが全然わかんねぇ、心配して損した)
「良くないですよ、何を言ってるんですか。今回みたいな危ないことがあったときのために、お互い対処できるようにしておかなきゃ!」
「確かにそうだな。2週に1回通ってるジムの回数を増やして、躰を鍛え直すことにする」
「俺は、逃げる練習をしたらいい感じでしょうか?」
見るからにどうしようという感情が、宮本の眼差しが語っていた。
「走り込みでもして、足腰を鍛えたらいいんじゃないか。30過ぎたら弱ってくるところだし」
「わかりました。陽さんをいつまでも感じさせるために、一生懸命頑張りますね」
自分の意図した部分をすっ飛ばした宮本に、返す言葉がなかった橋本。愛想笑いすらできず、白い目で恋人を見つめるしかななかった。
かくてトリプルバトルは、妙な展開ののちに幕が下ろされた。妙な展開については、あえて書きません! 無駄に長くなってしゃーないのである( 一一)
だって、ふたりそろって不器用ですから。
【トリプルバトル☆After the Love】に続く――。
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