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ゑぬ。
1,162
172
💮ㄘゃᖾ
301
#挿絵
KEY-STU
26,211
診察室は、息苦しいほど静かだった。
形成外科の診察台に腰掛けた桜井一花の前で、看護師が慎重に包帯をほどいていく。
顔を覆っていた白い布が一枚、また一枚と外されるたび、一花の指先に力がこもった。
やがて最後のガーゼが剥がされた瞬間、看護師が小さく息を呑んだ。
そのわずかな反応だけで胸の奥がざわつく。
看護師は一花と目を合わせないまま、手にしていた鏡をそっと下ろそうとした。
「……見せてください」
自分でも驚くほど、声がかすれていた。
看護師がためらいながら差し出した鏡を、一花は震える手で受け取る。
覚悟していたはずだった。それでも、そこに映った自分の顔を見た瞬間、息が止まった。
左頬から顎、そして首にかけて、赤黒く変色した皮膚が広がっている。引きつれた肌によって輪郭まで歪み、そこにいたのはまるで別人の自分だった。
これが、自分なのだとすぐには理解できなかった。
無意識に左頬へ触れようとして、指先が傷へ近づいたところで痛みに身体が強張る。
「……これが、私」
声にした途端、堪えていた涙があふれた。
頬を伝った雫が鏡の上へ落ち、自分の顔を滲ませていく。
どうして、こんなことになったのだろう。
ほんの一か月前まで、自分の人生がこんなにも簡単に壊れるなんて、想像したこともなかった。
華やかでも裕福でもない。
けれど、大切な家族がいて、一花はそれだけで十分に幸せだった。
あの日までは、その幸せがこれから先もずっと続いていくのだと信じていた。
——1か月前。
休日の朝、食卓には味噌汁と焼き魚、それに一花が作った卵焼きと小松菜のおひたしが並んでいた。
向かいには夫の桜井俊介、その隣には二人の息子・悠真が座る。
そして一花の隣には、母の春子が座り、四人で朝食を囲んでいた。
五歳になったばかりの悠真は、大好きな卵焼きを頬張りながら、ご機嫌に足を揺らしていた。
一花に「ちゃんと座って食べるよ」と注意されても、「はーい」と元気よく返事をするばかりで、その足が止まる気配はない。
春子の家へ身を寄せてから、しばらく経つ。
最初こそ落ち着かなかった四人での生活にも、一花はようやく少しずつ慣れてきていた。
けれど、俊介だけはまだ違うらしい。
春子が醤油を取ってくれただけでも「ありがとうございます」と頭を下げる姿には、この家に住み始めた頃から変わらない遠慮が滲んでいた。
「俊介さん、休日もこんな朝早くからお仕事なんて大変ね」
春子が心配そうに声をかけると、俊介は味噌汁を飲み込んでから、小さく笑った。
「いえ。今は、とにかく少しでも稼ぎたいので」
「だからって、無理はしちゃ駄目よ」
「はい。ありがとうございます」
「それに、ここではそんなに気を遣わなくていいのよ」
「……すみません」
春子の言葉に恐縮する俊介へ、一花も優しく声をかける。
「お母さんもこう言ってることだしさ。もう少し肩の力抜こう?」
俊介は困ったように眉を下げた。
「だって……俺のせいで、こうしてお世話になってるわけだし」
一花と春子は思わず顔を見合わせる。
「お世話だなんて。家族なんだから」
春子は何でもないことのように言った。
それが本心だと分かっているからこそ、俊介は余計に申し訳なく感じているのかもしれない。
そんな大人たちのやり取りなど気にする様子もなく、悠真が顔を上げた。
「パパ、きょうもおしごと?」
「うん」
「おやすみなのに?」
「今日はパパだけ特別」
「ずるい!」
「仕事だぞ?」
俊介が苦笑すると、一花も笑った。
「悠真の中では『特別』はいいことだから」
「じゃあ今日は、すごくいい日ってことにしとくか」
「ぼくも、とくべつがいい!」
すかさず身を乗り出した悠真に、一花は笑いながら答える。
「悠真は、ばぁばと公園に行ける特別な日」
「やったー!」
悠真が嬉しそうに両手を上げ、春子まで笑う。
俊介も家族といる時には普段通りに笑っていて、決して塞ぎ込んでいるわけではない。ただ、ふとした瞬間に見せる遠慮だけは、なかなか消えなかった。
朝食を終えると、俊介はすぐに出勤の支度を始めた。
一花は昨夜のうちに用意しておいた弁当と、淹れたてのコーヒーを入れた水筒を持って玄関へ向かう。
「はい、お弁当。コーヒーも入ってるから」
「ありがとう」
「頑張るのはいいけど、本当に無理しないでね」
「分かってるって」
俊介は困ったように笑い、一花の頭を軽く撫でた。
「パパ、がんばってね!」
「悠真も、ばぁばの言うことちゃんと聞けよ」
「はーい!」
「じゃあ、行ってきます」
「行ってらっしゃい」
玄関の扉が閉じるまで見送ったあと、一花はしばらくその場に立っていた。
もともと真面目に働く人ではあったが、残業を増やし、休日まで仕事を入れるようになったのは、この家へ越してきてからだった。
そして、そのきっかけになった出来事を、一花は今でも鮮明に覚えている。
コメント
1件
うわ〜ん、もう冒頭の診察室から胸がギュッてなった😭💔 包帯の下の傷を見る瞬間の緊張と、一花ちゃんの「これが、私」って声…読んでるこっちまで息止まっちゃったよ。で、1ヶ月前のあったかい朝食シーンに戻る構成がもうエモすぎる!! 俊介さんの遠慮がちな優しさとか悠真くんの無邪気さとか、家族の幸せが沁みる…だからこそ「どうしてこんなことに」ってなるのが切なすぎるよ😢 続きめっちゃ気になるから、次の話も読みたい!!🌸✨