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きなこもち
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#サレ妻
都築七美
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ほんの少し前まで、一花たちは親子三人で暮らしていた。
決して広くはない賃貸マンションだったが、不満に思ったことはなかった。
仕事から帰ってきた俊介が悠真とふざけ合い、一花が夕飯の支度をしながら二人を注意する。
そんな何でもない毎日が、これから先も続いていくのだと思っていた。
それが崩れたのは、ある日の夕方だった。
夕飯を終えたあと、悠真がリビングで遊んでいると、不意にインターホンが何度も鳴った。
続いて、玄関の扉が激しく叩かれる。
「な、なに……?」
突然の音に怯えた悠真が、一花へしがみつく。
「桜井俊介! いるんだろ!」
扉の向こうから響いた怒鳴り声を聞いた瞬間、ついさっきまで悠真と笑っていた俊介の表情が凍りついた。
「俊介?」
呼びかけても、すぐには返事がない。
俊介は青ざめた顔で立ち上がると、重い足取りで玄関へ向かった。
一花は悠真を抱き寄せたまま、その背中を追う。
「ちょっと待って。誰なの?」
「……大丈夫だから」
そう言った俊介の声は、少しも大丈夫そうには聞こえなかった。
ためらいながら扉を開けると、そこには一花の知らない男が立っていた。
「返済期限、とっくに過ぎてるぞ」
聞き慣れない言葉に、一花は眉を寄せる。
「どういうこと……?」
俊介は答えない。
男を前にしたまま、さらに顔から血の気を失っていく。
「今日が期限だって言ったよな? 金は?」
「す、すみません……」
「『すみません』じゃねぇんだよ」
「必ず返します。だから、今日はどうか……!」
俊介が必死に頭を下げる。
一花は悠真を抱いたまま、その姿を呆然と見つめていた。
「逃げようたって、そうはいかねぇからな」
男は吐き捨てるように言い残し、そのまま立ち去っていった。
扉が閉まると、ついさっきまで悠真の笑い声が響いていた部屋が嘘のように静まり返った。
俊介はその場に立ち尽くしていたが、やがて力が抜けたように膝をつく。
「ごめん……」
「俊介……?」
「友達の連帯保証人になってたんだ」
一花はすぐには、その言葉の意味を理解できなかった。
「そいつが借金を残したまま、いなくなった。だから……俺が払わなきゃいけない」
「そんな……」
「全部、俺の責任なんだ。本当にごめん」
俊介は床に額がつきそうなほど深く頭を下げた。
どうしてそんな大事なことを黙っていたのか。どうして連帯保証人になんてなったのか。
聞きたいことも、言いたいこともいくらでもあった。
それでも、目の前で小さくなっている夫を今すぐ責める言葉は出てこなかった。
「俺が何とかするから」
俊介が顔を上げる。
「残業も増やすし、休日だって働く。絶対に一花と悠真には迷惑かけないから」
「一人で何とかしようとしないでよ」
「でも、俺が――」
「夫婦でしょ」
一花が手を差し出すと、俊介はしばらくその手を見つめたあと、力なく握り返した。
「……うん」
けれど、家賃を払いながら借金を返していくのは簡単ではなかった。
事情を知った春子が「しばらくうちに来なさい」と言ってくれたことで、一花たちは三人でこの家へ移ることになった。
春子は俊介を責めるどころか、困った時くらい家族を頼ればいいと言ってくれた。
だからこそ俊介は、その優しさに甘えている自分を許せないのかもしれない。
「ママー! ぼうし、これでいい?」
悠真の声に呼ばれ、一花は過去から引き戻された。
振り返ると、少し大きな帽子を斜めに被った悠真が得意げに立っており、その後ろでは春子も公園へ行く準備をしている。
「うん、似合ってる」
「ばぁば、はやくー!」
「はいはい。公園は逃げないわよ」
急かす悠真に、春子は笑いながら帽子をかぶり直してやった。
「お母さん、ありがとうね」
「いいのよ。奈緒ちゃんもそろそろ来る頃でしょう?」
「うん。もうすぐ着くって」
「じゃあ、私たちは少し長めに遊んでくるわ。せっかくなんだから、ゆっくり話しなさい」
ちょうど靴を履き終えた悠真が、ぱっと顔を上げる。
「ぼくも奈緒ちゃんとあそびたい!」
「帰ってきたら遊んでもらおうね」
「うん!」
満面の笑みを浮かべる悠真を見て、一花もつられるように笑う。
いろいろあったけれど、家族四人で笑える今を、一花は幸せだと思っていた。
二人を見送ると、先ほどまで賑やかだった家の中が急に静かになる。
それからほどなくして、インターホンが鳴った。
「お邪魔しまーす」
玄関の向こうに立っていたのは、高校時代からの親友・奈緒だった。
「いらっしゃい」
「悠真は?」
「お母さんと公園。奈緒が来るから、ゆっくり話しなさいって」
「春子さん、相変わらず気遣いの人だねぇ。後でお礼言わなきゃ」
奈緒をリビングへ通すと、一花はコーヒーと菓子を用意した。
二人で大きなソファに腰掛け、近況や高校時代の話でしばらく盛り上がる。
ふと、一花の目が奈緒の足元に置かれたバッグへ向いた。
「あれ、それ買ったんだ?」
「ん?」
「そのバッグ。前に欲しいって言ってたやつでしょ?」
奈緒が「ああ」と笑って、バッグへ視線を落とす。
「覚えてたんだ」
「だって、高くてなかなか買えないって言ってたじゃん」
「ちょっと臨時収入があってさ。思い切って買っちゃった」
「いいなあ。奈緒、最近ちょっと景気いい?」
一花が冗談めかして笑うと、奈緒はほんの一瞬だけ目を逸らした。
「そんな大したもんじゃないよ」
奈緒は軽く笑って、バッグを足元へ戻した。
やがて奈緒が、ふと部屋の中を見回す。
「四人で暮らすの、もう慣れた?」
「私はね。でも俊介はまだ全然。今日も休日出勤だし、最近は残業も増やしてて」
「そっか。大変だね」
「うん。でも頑張ってくれてるから」
話題が途切れたところで、一花はふと思い出す。
「そういえば奈緒は? 彼氏とはどうなの?」
それまで笑っていた奈緒の表情が、わずかに曇った。
「……別れた」
「えっ?」
「振られちゃった」
「この前、そろそろプロポーズされるかもって言ってなかった?」
「私が勝手にそう思ってただけだったみたい」
奈緒は冗談めかして笑ったが、その目は少しも笑っていなかった。
「誕生日かな、記念日かなって勝手に期待してさ。三年も付き合ってたから、当然そのうち結婚するんだと思ってた」
「なんて言われたの?」
「『結婚する未来が見えない』って」
「何それ……三年も付き合っておいて?」
奈緒はカップの中へ目を落とし、自嘲するように息を吐いた。
「まあ、結婚してから分かるよりマシだったって思うしかないよ」
「奈緒……」
「そんな顔しないでよ。一花みたいに、好きな人と結婚して、子どもまでいる方が今どき珍しいんじゃない?」
一花は困ったように眉を下げた。
「でも、うちだって今こんな状態だよ。借金まで背負うことになって……」
「……それでも一花は、まだ持ってるじゃん」
「え?」
思わず聞き返すと、奈緒ははっとしたように顔を上げた。
「何を?」
奈緒は一瞬だけ黙り込んだ。
けれど、すぐにいつもの笑顔になる。
「なんでもない。今の私、ちょっとひねくれてるだけ」
長く付き合った恋人に振られたばかりなのだ。
そういう気持ちになることもあるだろうと、一花はそれ以上深く考えなかった。
コメント
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第2話、読みました。 借金の真相が明かされるシーン、重かったですね…。でも「夫婦でしょ」って手を差し出す一花さん、すごく強くて優しい。奈緒さんの「それでも一花はまだ持ってるじゃん」の言葉も、胸に刺さりました。友達の幸せを素直に喜べない切なさがリアルです。続きが気になる…!