別れ話『君を守る為に最後のキスを』～ｄ×n～

別れ話『君を守る為に最後のキスを』～ｄ×n～

Side翔太

はじめてしたキスは甘酸っぱかった。

何のことはない、そのとき涼太がレモンのガムを噛んでいたので、翔太は唇を離した途端

「酸っぱい」と小さく微笑んだ。

「翔太、これレモンの味だね」

「うん。涼太の好きな味だから」

「覚えてくれてるんだ」

あの日、屋上で初めて会った時にもらったガムと同じ味。

爽やかで少し刺激的な、新しい恋の始まりを象徴するような特別な味だった。

二度目のキスは熱かった。

夏の暑さに浮かされていたのは事実だ。翔太の部屋に入った瞬間、有無を言わせず唇をふさがれ、もつれ合いながらベッドに倒れ込んだ。

「翔太、翔太が好きだ」

「俺も…俺も涼太が好き」

汗ばんだ肌と肌が触れ合い、エアコンなんて意味をなさないほどに熱い夜だった。お互いの鼓動が重なり合い、溶け合うように愛し合った。

それから、数え切れないほどキスをした。

うだるような夏の暑さの中で。

僅かな哀愁をはらんだ秋空の下で。

窓の外を舞い落ちる真っ白な粉雪を見下ろしながら。

屋上で語り合った夜、楽屋で二人きりになった時、移動車の中でそっと手を握り合った瞬間。どんな時でも、俺たちは愛を確かめ合うようにキスを重ねてきた。

そして、最後のキスは・・・――――――――――――

「こんな形になるとは、ね…」

小さく呟いた俺の呟きは、涼太には聞こえない。

いつものように、俺の腕の中で安らかに眠り込んで朝まで起きないのが常だからだ。

もちろん、そうなるように今回は俺も大いに張り切らせてもらったから余計に。

「ううん…しょ…た」

熱い腕に抱かれながら、ひたすら俺の名前を呼んでいた。

うわごとのように、喉がすり切れてしまうほどに。

この身体に刻みつけたかったのだ。

愛されている、いや、『愛されていた』証を。

眠る涼太の顔を愛しげに撫でる。

シーツに散らばる髪、顔に陰を落とすそれをかきあげてやると、普段の真面目な表情とは違う、僅かに幼さを残した寝顔が現れる。

今はまぶたの奥に隠れている、あの優しい瞳を思い出して、俺は静かに眼を閉じた。

長いまつげが頬に影を落とし、規則正しい寝息が聞こえる。

こんなにも無防備で、信頼してくれている涼太を見ていると、胸が締め付けられるような思いがした。こんな風に俺を信じて眠ってくれる涼太を、俺は裏切ろうとしている。

お笑い草だな、言われるまで気づかないなんて…。

まぶたの裏に、先日のやりとりが思い出される。

事務所のスタッフから、呼び出しを受けた時点で気づくべきだったのだ。

のこのこ出て行って、通された会議室で単刀直入に言われた。

『渡辺君、宮舘君との関係について話があります。プライベートでは今後一切会わないようにしてください。グループの今後を考えると、このままでは良くない影響が出る可能性があります』

椅子に座ったままぽかんと口を開けている俺に目もくれず、スタッフは目の前のテーブルに綺麗な書類を数枚広げた。資料の中には、ネット上のファンの声を集めたものもあった。

『推しには恋愛してほしくない』

『アイドルらしくない』

『ファンを裏切っている』

…匿名の心ない言葉が並んでいる。

『すでに幾つかのファンの間で噂になっています。わかりますね、このまま続けばグループ全体に迷惑をかけることになるのですよ』

そして、おもむろに懐から取りだした資料。

『ファンの声です。プライベートでの交際は控えてほしいという意見が多数寄せられています。仕事では今まで通りですが、それ以外では距離を置いてください。宮舘君には何も言いません。渡辺君から自然に距離を置いてもらえば、宮舘君も気づかないでしょう』

スタッフの冷たい声が、会議室に響いた。

俺は何も言えずに座り続けていた。

反論したい気持ちもあったが、ファンの声という現実を突きつけられると、言葉が出てこなかった。

『もちろん、仕事に支障をきたすようなことは避けてください。でも、プライベートでは一切関わらないように。これは事務所からの正式な要請です』

僅かに厚いソレが俺たちの付き合ってきた長さと重さだと思うと、悲しいや寂しいより、笑えもしないような呆れの方が強くこみ上げてきた。

（涼太がファンに愛されてるってことか…。ま、そろそろ潮時だったってこなのかな）

結局全ての要求を飲んだ。

その代わり、二度と涼太に迷惑をかけないという約束を交わし、その足で今まで一緒に過ごしていた時間も全て封印することになった。

あの時、俺は何を考えていたのだろう。

涼太のためと思っていたが、本当はただ逃げたかっただけかもしれない。

現実と向き合うのが怖くて、一人で決めてしまった。

そう、本当にこの身体以外、全部が涼太の傍からはもう、無いのだ。

「この鈍感…、これから俺はいないけど一人で抱え込むなよ…」

クスリと笑いながら、それでも涼太を撫でる手だけは止まらない。

鈍感で、真面目。

どうしようもなく優しくて、考え方での対立は数知れず。

妙に天然なところが勘に障ったのも、何度あったか。

それでも俺は、涼太の全てを愛していた。

優しすぎるところも、時々見せる真面目なところも、ファンを大切に思う気持ちも、メンバーへの思いやりも。全部が愛おしくて、どうしようもなく惹かれていた。

でも、俺はそんな涼太が。どうしようも無いほど。

「好きだ…涼太…」

小さな呟きと共に、僅かに開いている唇をふさいだ。

静かにベッドから離れ、パーカーとジャケットを身につける。

涼太の香りが充満する部屋から、足早に出口へと向かった。

もう、ここには来ない。

扉に手を掛けながら、もう一度ベッドの方を振り返る。

人型に盛り上がるシーツに、鼻の奥がツンと痛くなった。

未練なんて、溢れるくらいある。

今だって、出来ることなら眠る涼太をたたき起こして全てをぶちまけてやりたい。

『翔太、どうしたの？』

『実は事務所から言われたんだ。涼太とは距離を置けって』

『そんなの関係ない。俺たちは俺たちだ』

そんな会話を想像してしまう。

きっと涼太はそう言ってくれるだろう。

でも、それが涼太を苦しめることになる。

俺一人が我慢すれば済むことなら、それでいい。

けど、それではダメなのだ。

そうすれば、涼太は例のスタッフに激怒するだろう。

距離を置くように指示されたのは事務所の上層部だろうから、ヘタをすれば涼太の立場にまで影響するかも知れない。

そんなことになったら、一番傷つくのは涼太だ。

穏やかに笑っていながら、その実ひどく繊細で傷つきやすい人だから、俺には「大丈夫だよ」と笑いながら、部屋で一人になれば眠ることすら忘れてひたすら苦悩し続けるだろう。

そんな涼太を見るくらいなら、俺から終わりにしてやる。

ポケットから、いつもの携帯を取りだした。

この携帯に入っている涼太との思い出を、今夜中に全部消そう。

０時丁度。その瞬間、この携帯と共に涼太と俺をつなぐ全てが、消える。

二人で撮った写真、何気ないやりとりのメッセージ、『おやすみ』の言葉。全部が愛おしくて、消すのが辛かった。でも、これも涼太のため。そう自分に言い聞かせる。

「ハッ…バカだな俺…」

俺が居なくなった後、涼太は俺を探すだろうか。

たとえ探したとしても、あのスタッフがいる限り二度と会えないだろう。

どうか、俺のことは忘れて欲しい。

一時の夢だったのだと。

そうして、ファンに愛されるアイドルとして幸せになってくれれば。

陳腐な恋物語のようなことを、何度も考えた。

その度に、胸は針金を差し込まれたようにキリキリと痛んだ。

胸の奥の扉の向こう。

泣き叫ぶ俺が居た。

好きなんだ。

涼太だけが好きなんだ。

もう本当に、どうしようも無いほど。

理性が必死になって扉に鍵を掛けたけど、聞こえてくる声はナイフのように胸を抉った。

「もう…どうしようも、無いってのに…っ」

ジャケットの上から胸を押さえる。

痛みは、より一層ひどくなった。

携帯の画面が最後の瞬間を告げる。

滲んで見えるそれに笑みをうかべながら、力を抜いた右手から携帯を置いた。

これで、全て、終わった。

「元気でな…涼太…」

吐息のような声が部屋に落ちる頃、俺の姿はそこになかった。

はじめてしたキスは甘酸っぱかった。

二度目のキスは熱かった。

繰り返したキスの分だけ、この身体には涼太の愛が詰まっている。

「ふっ…はっ…う、うぁ…っ」

ジャケットとパーカーで誤魔化そうにも、瞳から溢れ出る想いは止まらない。

「あっ…あぁっ…っ！！」

最後のキスは…――――――――

「っ…り、涼太…っ！！」

なみだの、味がした。

降り注ぐ雨のように、雪のように、花のように。

いくつも落とす口づけは、涼太の胸に届いていたのだろうか。

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