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「よし!
良い案も浮かんだし、後は──⋯」
アラインはぽん、と手を打つと
夜の街を一瞥しながら口元を緩めた。
「⋯⋯うん、時也の烏もいない。
なら、少し──息抜き、してこようかな」
その声は囁きのように軽やかで
次の瞬間には
ふわりとその姿が影に溶けていた。
月明かりを避けるように
靴音ひとつ立てることなく
ビルの影をすべり落ちるように
夜闇へと消えていく。
⸻
カラン。
場末のバー〝Owl Night〟──梟の夜に
場違いなほど澄んだ鈴の音が転がった。
扉に吊るされた真鍮の梟のドアベルが揺れ
くすんだ木の扉がゆっくりと開く。
騒がしく談笑していた客たちの笑い声が
唐突に途切れた。
重いタバコの煙、安酒の匂い、擦れた笑い声
その全てに混じることなく
一人の〝異物〟が、静かに立っていた。
──黒衣の神父服。
白襟が浮かび上がるように清潔で
胸元に揺れる十字架が
そこだけ異世界のような気配すら
漂わせていた。
夜の街にあって最も不似合いな存在が
まるで舞台の主役のように、中央に現れる。
「⋯⋯は?」
「なんだ、あれ⋯⋯マジで神父か?」
訝しげな視線が投げかけられ
直後には、抑えきれないような
下卑た笑いが湧き上がった。
「どうしたどうした
悩める子羊でも探しに来たか、センセェ?」
「ここで説教でも始める気か?
神の御名を、ってやつ?」
アラインは無言のまま
ゆっくりと店内を見渡した。
座る男たちの中には
数日前の炊き出しを襲撃し
今や〝ユリウス先生〟として
日中は働かされている──
彼の仲間だった者の顔も混じっていた。
彼の姿を見て
見覚えのある顔に男がひとり立ち上がる。
「よォ、センセェ。
まさか、炊き出しの仕入れにでも
来たんじゃねぇだろうな?」
酒に染まった指が
馴れ馴れしくアラインの肩を叩く。
別の男が肘をその肩へ乗せ
吐き捨てるように言う。
「おう、そんな綺麗なツラしてっと
ここじゃお前が食われちまうぞ?」
「祈るより、呑めよ。
あぁ、脱がされる方が早ぇかもな?」
「神父サマ、俺たちの〝夜のお祈り〟にも
付き合ってくれよ?
〝Amen〟より先に〝Ahh〟って
言ってくれりゃ、上等だ」
野次は容赦なく
次第にその下品さを増していく。
指先が神父服の裾に伸びかけた、その瞬間。
──空気が変わった。
皮膚を刺すような、冷えた緊張が場に走る。
アラインは、笑っていた。
だがその笑みは、冷たい鋼の刃のように
感情の温度を完全に排除していた。
「ふふ⋯⋯
キミたち、随分と楽しそうじゃない?
そんなに元気なら──〝働ける〟ね」
一歩、前に出た。
肩に掛かっていた肘を、優雅に払う。
その動きに力はない。
けれど、その指先に触れられた男の顔が
引き攣る。
そのままアラインは
カウンターへと向かった。
真っ直ぐ、迷いなく歩き──
肘をついて頬杖をつく。
仕草は柔らかく、どこか艶めいてさえいる。
「キミが、この店のマスター?
それともオーナー?」
唇に笑みを浮かべたまま
アラインは軽く言った。
「まぁ、 どっちでもいいよ。
ここの営業権利⋯ボクが〝貰ってあげる〟」
ざわ、と空気が震えた。
冗談にしては、妙な説得力と冷気を含んだ声
「〝Owl Night〟良い名前だよねぇ。
ふふ⋯⋯これからは
〝All Night〟で働いてもらおうかな?
──名前の通りにさ」
言葉の端に漂う皮肉と静かな支配。
誰かが笑おうと息を吸い
けれど──吐き出す前にその喉が凍りつく。
この神父姿の男が
ただの善人などではないと
本能が理解してしまった。
誰が最初に膝を折るか。
誰が最初に名を奪われ
〝奉仕者〟として再構成されるのか。
それを、まだ誰も知らない。
ただこの夜〝梟の夜は〟
現れた異物に
静かに飲み込まれようとしていた。
「だ、誰が⋯⋯っ!権利を渡すかよ!」
怒鳴る声と同時に
カウンター内側のマスターが腰を落とし──
カウンター下から
ショットガンを引き抜いた。
カチリ、と
コッキングされる金属音が響く。
その瞬間、店内の空気が裂けた。
野次を飛ばしていた男たちが
驚愕の顔で一斉に身を引き
誰かが叫ぶより早く──
ガァンッ!
──乾いた銃声が、夜のバーに轟いた。
だが、銃口が火を噴いたその瞬間には
アラインの姿はすでに
その場から〝いなかった〟
ふわりと身体が浮かび
まるで舞台の上で踊るように
後方へとバク転。
足が天井を切るように回転し
彼の手が置かれたテーブルの角を捉えた瞬間──
「ふっ──」
反動でそのテーブルを、真横に押し倒した。
鋭い衝撃音とともに
木製のテーブルが着弾点を遮る盾と化し
ショットガンの散弾が
テーブルの表面にばちばちと食い込んだ。
一拍遅れて
数人の男が悲鳴混じりに
腰を落としながら銃を抜き
ある者は折り畳みナイフを懐から出し
またある者は何も持たぬまま
血の気の引いた顔で、逃げようとドアに走る。
そのドアが勢いよく開かれ
深夜の冷たい外気が、わずかに吹き込む。
だが、その足元。
誰も気付かなかった──〝ピアノ線〟
床を這うように、ドア下の隙間から一本
ひっそりと仕掛けられていた
光を僅かに反射するその線が──
「⋯⋯っと、そうはいかないよ」
アラインが
特殊素材の手袋で纏われた指先で
そのピアノ線を引いた瞬間。
ピシィッ──!
高音のような切り裂く音と共に
外から一筋の〝黒〟が飛ぶ。
それは──黒い鞘。
細く、重く、鋭く──
直線的な軌道で
ドアの開口部を目指すように
滑空してきたそれは
「う、うわっ!?」
「あっ──!?」
最初の男の脛を容赦なく打ちつけ
跳ねるように角度を変えて、次の男の足へ。
硬質な金属の質量が
三人、四人と連鎖的に倒していく。
呻き声とともに地に転げる男たちを横目に
その鞘は回転しながら
アラインの手元にぴたりと吸い込まれた。
Gnadenlos──慈悲無きもの。
アライン特注の大太刀の名だ。
彼は、それを無造作に鞘ごと下げながら
倒れた男たちの上を優雅に踏み越え
ゆっくりとドアを閉めた。
パタン、と木製の扉が閉じる音。
カチリ──
その施錠音は
この世の何より無慈悲に響いた。
中に残された男たちの誰もが
息を呑み、動けなかった。
アラインの口元に、笑みが戻る。
だが、それは慈愛ではなく
限りなく冷たい──冷笑だった。
「何処に行くっていうの?
夜のお祈りに付き合えって、言ったの⋯⋯
キミ達だったよね?」
声の調子は柔らかいのに、空気がざわつく。
誰かが息を飲んだ拍子に
テーブルの上のグラスがカタリと揺れた。
「ほら⋯⋯祈らせてあげるよ。
ちゃんと、ひとりずつね?」
アラインの指が、黒い鞘にかけられる。
カシン──
鞘走りの音が、やけに澄んでいた。
スラリと抜かれたGnadenlosの刃は
照明の下で青白く反射し
その切っ先が、ひとり、またひとりと
目を見開いて固まる男たちに向けられる。
「〝Amen〟より〝Ahh〟だったっけ?」
甘く囁くように言いながら
アラインは一歩、また一歩と進み出す。
その歩みは、もはや戦いではない。
〝処理〟に近い、圧倒的な差による
静かな地獄の始まり。
〝夜の祈り〟という名の
慈悲なき再教育が、今──
幕を上げようとしていた。