テラーノベル
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一生懸命走る男の子の姿を見て、くすぶっていたプライドに突然火がついた。
「元野球部をなめんなよ!」
彼は急に立ち上がってそう宣言すると、犬の方に向かって駆け出した。
スーツの下に革靴なので多少動きづらいが、それでも持てる限りの力を出す。
犬が石段の前で急に進路を変える。
それを見越して彼はショートカットして犬に飛びつく。
リードが手に触れる。
あともう少し。
「よっしゃ!!」
地面に勢い良く転がりながら、間一髪でリードを捕まえた。
首輪を引っ張られた犬が情けない鳴き声を出した。
犬がワンワンと吠えながら今度は彼にじゃれついてきた。
まったく、変わり身の早い犬だ。
「すみません、大丈夫ですか!?」
追いついた男の子が青い顔をして慌てて彼に尋ねた。
服は汚れてしまったが払えばなんともないし、こんな子供に心配してもらうのも決まりが悪い。
「いや、大丈夫大丈夫」
そう言ってリードを男の子に渡した。
久々の全力疾走は、疲れたがなんとも気持ち良かった。
少し、気分も軽くなった気がする。
「今度は、離さないようにしなきゃダメだぞ」
立ち上がって男の子の頭を軽く撫でた。
夕方六時のチャイムが遠くに聞こえる。
さて、自分もそろそろ帰るか、と伸びをしたとき、男の子が不安げに口を開いた。
「お兄さん、大井戸町ってどっち?」
「大井戸? ここから結構あるぞ」
聞いてぎょっとした。
今いる場所からだと、大人の自分でも歩いてたっぷり三十分近くはかかるだろう。
男の子はバツが悪そうに呟いた。
「散歩させてたら、迷っちゃって」
·····土地勘のない子なのだろうか。
言葉で説明しても伝わりにくいだろうし、自分は乗り換えの都合でたまたまここにいたのだが、ちょうど自分の家も同じ方面だ。
それに、日も暮れかかっているのに小さな子をひとりで歩かせるのは危険かもしれない。
「しょうがねーなー。·····近くまで、送ってやるよ」
二、三回首を回してからそう言うと、男の子の肩を押して歩き始めた。
地面には小さな影と大きな影、それに挟まれた犬の影が長く延びていた。
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