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第十六章 再起動する門編
第222話 帰還翌日
【現実世界・帰還した学園/体育館・朝】
体育館の床に、朝の光が差し込んでいた。
昨日まで、ここは異世界にあった。
王都の光具が置かれ、ダミエの結界が走り、
名前を呼び続けなければ消えてしまいそうな場所だった。
だが今は、現実世界の体育館だった。
床には避難用のマットが敷かれ、壁際には救護用の簡易ベッドが並んでいる。
医療班が歩き回り、警察官が出入口を守り、
教師たちは名簿を持って生徒の確認を続けていた。
青山先生は、かすれた声で名簿を読み上げていた。
「森下カナさん」
「はい」
「藤井タクト君」
「はい」
「安西リナさん」
「はい」
返事があるたびに、青山先生の表情が少しだけ緩む。
だが、すぐにまた次の名前へ目を落とす。
名前を確認することは、もう戦いではない。
けれど、誰もそれをやめられなかった。
体育館の別の列では、教頭が一年生の担当教師たちに指示を出していた。
「一年生は右側の列へ」
「二年生は中央」
「三年生は青山先生の列に続いてください」
「担任が救護を受けているクラスは、学年主任が代理で点呼を」
校長は、体育館の入口近くに立っていた。
顔色は悪い。
だが、生徒たちを見回す目は、昨日よりも強くなっている。
「焦らなくていい」
校長は言った。
「一人ずつ確認しましょう」
「ここに戻ってきたことを、全員の名前で確かめます」
その言葉に、若い教師が頷いた。
「一年一組、返事をしてください!」
「二年三組、こちらです!」
「保護者の確認が取れた人は、まだ勝手に動かないでください!」
体育館には、泣き声と、名前を呼ぶ声が混ざっていた。
帰ってきた。
それは間違いない。
だが、誰もまだ、普通の日常に戻ったとは言えなかった。
◆ ◆ ◆
【現実世界・帰還した学園/校庭・朝】
校庭には、白い仮設テントが並んでいた。
救護班。
警察。
記録班。
外周維持班。
校門の外には、報道関係者を遠ざけるための規制線が張られている。
遠くで、何台もの車両が止まっていた。
ハレルはテントの中で、腕に包帯を巻かれていた。
「痛みますか?」
医療班の女性が聞く。
「少し」
「少し、で済む傷ではありません」
「今日は絶対に無理をしないでください」
ハレルは曖昧に頷いた。
無理をするな。
昨日から何度も言われている。
けれど、頭の中には別のことしかなかった。
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ユナ。
リオの姉。
まだ異世界側のイルダ医療棟にいる人。
学園は戻った。
でも、全員が戻ったわけではない。
テントの外では、サキがスマホを握って座っていた。
画面には、黒い地図が映っている。
帰還した学園の輪郭。
そして、その近くで揺れる小さな光点。
re。
サキは小さく呟いた。
「まだ、いるんだね」
reは答えない。
ただ、サキの現在位置のそばで、ゆっくり揺れていた。
「サキ」
ハレルが声をかけると、サキは顔を上げた。
「お兄ちゃん、腕は?」
「大丈夫」
「大丈夫じゃない時も、お兄ちゃんは大丈夫って言う」
「……まあ、今回は半分くらい大丈夫」
サキは少しだけ笑った。
だが、その笑顔はすぐに消えた。
「昨日、家に連絡したよ」
「お母さん、ずっと泣いてた」
ハレルは目を伏せる。
「そうか」
「でも、すぐには帰れないって」
「検査とか、事情確認とか、いろいろあるから」
「仕方ない」
そう言いながら、ハレルの胸にも重いものが残った。
帰ってきたのに、すぐに家へ帰れない。
現実世界なのに、自由に歩けない。
それが、戻ってきた学園の現実だった。
◆ ◆ ◆
【現実世界・帰還した学園/校舎前・朝】
校舎前では、保護者との面会が始まっていた。
一度に全員ではない。
安全確認が取れた生徒から、順番に。
母親に抱きしめられて泣く生徒。
父親の顔を見た瞬間、膝から崩れる生徒。
何も言えず、ただ家族の服を掴む生徒。
「よかった……」
「本当に戻ってきたんだな」
「ごめん、怖かったよね」
「もう大丈夫だから」
そう言われても、生徒たちはすぐには頷けなかった。
大丈夫。
その言葉は、少し前までなら安心できる言葉だった。
けれど今は、簡単には信じられない。
一人の女子生徒が、母親に抱きしめられながら空を見上げた。
「ねえ」
「なに?」
「空って、こんな色だったっけ」
母親は言葉に詰まった。
空は灰色だった。
雨が降りそうな、普通の曇り空。
けれど、生徒には少し違って見えた。
異世界の空を見たせいなのか。
Cのずれが残っているせいなのか。
それとも、ただ心が戻りきっていないだけなのか。
誰にも分からない。
近くにいた香川先生は、その言葉を聞いて静かに手帳へ書き留めた。
「違和感あり……」
隣にいた教頭が小さく聞く。
「生徒の状態か」
「はい」
香川先生は答えた。
「身体は戻っていても、感覚がまだ追いついていないのかもしれません」
教頭は校舎を見上げた。
「学校そのものも同じかもしれないな」
校舎の壁には、目立つ損傷はない。
窓も割れていない。
だが、ところどころに、白い線のような残光が薄く残っている。
現実に戻ったはずの校舎。
それでも、完全に普通の建物には見えなかった。
◆ ◆ ◆
【現実世界・旧学園跡地周辺/仮設指揮所・朝】
仮設指揮所では、城ヶ峰が複数の報告を受けていた。
佐伯と村瀬は、帰還した学園の状態を確認している。
日下部は、白いコアの封印容器の数値を見ている。
木崎は、昨日から撮影した映像を整理していた。
佐伯が報告する。
「学園の実体化は安定しています」
「地表とのズレもありません」
「ただし、校舎の一部に異世界由来と思われる微弱な残光があります」
村瀬も続ける。
「生徒と教職員の反応は、ほぼ全員確認済み」
「ただ、体調異常というより、感覚異常に近い訴えが複数出ています」
城ヶ峰が聞く。
「具体的には」
「空の色が違って見える」
「廊下が少し長く感じる」
「家族の声が遠く聞こえる」
「自分の名前を何度も確認したくなる」
木崎が顔をしかめる。
「後遺症か」
佐伯はすぐには答えなかった。
「後遺症とも言えます」
「ただ、身体だけの問題ではないと思います」
「名前や場所を何度も揺らされた影響が残っている可能性があります」
日下部が端末から顔を上げた。
「白いコアも、学園の残光に微弱反応しています」
「強くはありません」
「でも、完全に無関係ではなさそうです」
木崎が嫌そうに言う。
「昨日持ち帰った厄介物が、さっそく反応してるわけか」
城ヶ峰は短く言った。
「保管を強化しろ」
「白いコアと成人遺体二体は、帰還者とは絶対に接触させるな」
日下部は頷く。
「了解です」
その時、指揮所のテレビにニュース速報が流れた。
画面には、帰還した学園の遠景が映っている。
『昨日未明、異常空間へ転移していたと見られる学園が、現実世界へ帰還しました』
アナウンサーの声が、指揮所の中に響く。
『周辺では、以前から駅周辺の異常現象、人型の影の目撃、
通信障害などが相次いでおり、関係当局は一連の現象との関連を調べています』
木崎は画面を見て呟いた。
「もう全国ニュースか」
村瀬が言う。
「昨日からずっとです」
「学園のことも、駅のことも、影のことも」
アナウンサーは続ける。
『また、転移現象との関与が疑われている
アプリ「クロスワールドゲート」についても、警察が情報収集を進めています』
その名前が出た瞬間、ハレルはテントの外で足を止めた。
クロスワールドゲート。
すべての始まりになったアプリ。
◆ ◆ ◆
【現実世界・帰還した学園/校庭・朝】
ハレルは、自分のスマホを取り出した。
画面には、まだそのアプリのアイコンが残っている。
クロスワールドゲート。
もう起動しないかもしれない。
そう思いながらも、ハレルはアイコンを押した。
黒い画面が開く。
一瞬だけ、見覚えのあるロゴが浮かんだ。
だが、すぐに消えた。
表示されたのは、短い文字だけだった。
『接続できません』
ハレルは、しばらくその画面を見つめていた。
「……だよな」
背後から声がした。
「開いたのか」
リオだった。
顔色は悪い。
だが、目だけは強い。
ハレルは画面を見せる。
「開かない」
リオは自分のスマホを取り出した。
同じアプリを押す。
黒い画面。
ロゴ。
そして、同じ文字。
『接続できません』
リオの手が強く震えた。
「これじゃ、行けない」
ハレルは何も言えなかった。
リオは歯を食いしばる。
「姉さんは、まだ向こうにいるんだぞ」
「分かってる」
「分かってるなら――」
そこまで言って、リオは言葉を飲み込んだ。
ハレルに怒鳴っても仕方がない。
それはリオ自身が一番分かっている。
でも、焦りだけが胸の中で膨らんでいく。
サキが近づいてきた。
「リオさん……」
リオはスマホを握りしめたまま、低く言った。
「学園は戻った」
「みんな家族に会える」
「それはよかったと思ってる」
少しだけ間を置く。
「でも、ユナはまだだ」
サキは何も言えなかった。
その時、サキのスマホの中でreが小さく揺れた。
ハレルはそれに気づく。
「re?」
サキは画面を見る。
reは、どこかへ向かうわけではない。
ただ、クロスワールドゲートのアイコンの近くで小さく震えている。
まるで、そのアプリを警戒しているように。
ハレルは眉をひそめた。
「……まだ、何かあるのか」
リオは自分のスマホを見下ろした。
起動しないアプリ。
届かない姉。
細く残った通信。
そして、反応しないハレルの父。
帰ってきた現実は、以前の現実とは違っていた。
門は閉じたまま。
だが、その閉じた門の向こうに、まだユナがいる。
リオは、消えたロゴの跡を見つめながら言った。
「開けるしかない」
その声は、誰に向けたものでもなかった。
けれど、ハレルもサキも、その言葉を聞いていた。
コメント
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おかえりなさい、橘さん。第222話、読み終わりました。 「帰還した」という安堵感と同時に、戻ってきた現実が以前の現実とはもう違う、というもどかしさと違和感がとても丁寧に描かれていて、胸が締め付けられました。特に、空の色や廊下の長さに違和感を覚える生徒たちの描写に、世界が「揺らされた」影響の深さを感じます。そしてリオの「開けるしかない」という言葉に、残された者たちの強い意志が表れていて、この後の展開が気になって仕方ありません。ユナの無事を祈るばかりです。