時は過ぎ、放課後。
みことのクラスには、いつもよりざわざわとした空気が漂っていた。
きっかけは――以前、体育祭の応援席に来ていた、みことの兄弟だった。
整った顔立ちと落ち着いた雰囲気に、他クラスの女子たちがすぐに反応したのだ。
「奏くんのお兄さん?」
「めっちゃかっこよくない?」
そんな噂が校内で一気に広まり、みことの耳にもすぐ届いた。
みことの机の周りに見慣れない女子たちが何度も現れるようになっていた。
「ねえねえ、あの人のLINE教えてよ〜!」
「ちょっと紹介してくれたらいいだけだから!」
「家どこ?偶然会っちゃうかも〜」
最初は困惑しながらも、みことは丁寧に首を振っていた。
「ごめんね、そういうのはちょっと……」
その優しい言い方が、逆に相手の遠慮を失わせた。
「えー、なんでー?」
「ちょっとくらいいいじゃん!」
「みことくん、そんな意地悪な人だったっけ?」
それでもみことは、困ったように笑って、何度も「ごめん」と繰り返すしかなかった。
その様子を見かねて、同じクラスの仲間たち――特に仲のいい数人が、すぐに立ち上がった。
「そういうの迷惑なんだからやめろよ」
「奏が嫌がってんの、わからない?」
彼らは、みことをかばうように前に立ち、はっきりと注意をした。
だが、他クラスの女子たちは、聞く耳を持たなかった。
「別にちょっと話すくらい良くない?」
「みことくん、ブラコンなの? その歳でそれはキツくない?」
「自分だけ独り占めしたい感じ〜?」
その言葉は、みことの胸にじくりと刺さった。
一瞬、表情が陰るが、すぐに小さな笑顔を作り直す。
「……ごめんね。俺のせいで、みんなに迷惑かけちゃって」
そう言って頭を下げるみことに、クラスメイトたちは一斉に声を上げた。
「違う!奏は悪くない!」
「あいつらが非常識なんだよ!」
「ほんと気にすんな」
その瞬間、教室の空気がぱっと変わる。
みことの周りには、自然と守るように仲間たちが集まり、 外からの視線を遮るように輪ができていた。
みことはその中心で、少しだけ俯きながら微笑んだ。
――自分のことを助けてくれる人がいる。
それだけで、少しだけ救われた気がした。
だけど心の奥では、 自分がトラブルの種になっているようで、胸の奥がひりつくように痛んでいた。
放課後の空気は軽く湿り気を帯び、校門の前には下校の波がまだ残っていた。
すちは予定より早く学校に着き、門の外でみことを待っていた。スマホをポケットに突っ込み、淡い夕陽を眺めていると、足音がはずむように近づき、数人の女子生徒が彼に気づいた。
「え、あの人、奏くんのお兄さんだよね!?」
「まじで? めっちゃかっこいい!」
「SNSやってないんですかー? フォローしたいです〜」
「連絡先交換してください! 好きなタイプとか教えてください!」
一斉に質問と歓声がすちに向かって浴びせられる。笑顔を作りながらも、すちはすぐにその場の空気を読み取って対応する。彼の表情は困ったように柔らかく、けれど礼儀は崩さない。
「ありがとう。でも、すみません、今日はちょっと急いでて……」
「えー、ちょっとだけでも!」
「私たちみことくんの友達なんで!」
すちは一人ひとりの言葉を受け止めつつ、丁寧に断る。『友達なら無下にできない』と自分で思いながらも、さりげなく距離を取るための言い訳を探す。声色は穏やかで、落ち着いていた。
そのとき、校門へ向かう道の端で、とぼとぼと歩く影が見えた。みことだ。目線が合うように、すちは立ち位置を微妙にずらす。しかし、みことは誰にも気づかれないように俯き、足取りは重い様子。
みことは、目線の先にすちの姿を見つけ安心したようでありながらも、同時に居心地の悪さから身を隠すように塀の陰へ寄っていった。肩をすくめ、小さく息を吐く。
すちはその様子をじっと見つめた。軽く首を振り、女子たちへ向き直る。声は低く、しかし穏やかに、聴く者の気配を変えるような冷たさを含んでいた。
「好きなタイプ? うーん……みことを理解してくれる人、かな。」
その一言に、女子たちは一斉に自分たちの“みこと理解”アピールを始める。だが、すちの表情は微動だにしない。やがて、言葉の端々に含まれた皮肉を察したのか、場の空気が重くなる。
「君たちって、本当にみことのことを分かってるの?」
低く落ちるその声に、誰もが一瞬言葉を止める。すちの視線は鋭く、相手を見透かすようだ。
そして、隠れているみことに向かって、柔らかく、でも確かな指示を投げかける。
「隠れてないで、出ておいで」
みことは驚いたように顔を上げ、ゆっくりとその場に現れた。
――その瞬間、すちの顔がふっとほころぶ。素早く駆け寄ると、無造作に腰に腕を回して抱き寄せる。距離をぐっと詰め、みことが安心できる“壁”になるように。
「どうしたの、今日は疲れてる?」
そう囁く声は周囲に届かない柔らかさだが、二人の間に確かな安心を生む。
周りの空気に対して、すちは冷ややかな空気を取り戻す。
「俺のそばに来て、『みことのことなら分かってます』って言うのは簡単だよね。でも本当に分かってるかは別。みことが嫌がることを、絶対にしない人が理解してる人なんだけど」
その言葉に、一人の女子が顔を赤らめて俯く。他の子も言葉を探すが、すちの視線は鋭く、追い立てるように続ける。
「もし本当にみことのことを理解してるなら、俺に近づくべきじゃない。それに君達はみことがブラコンだと思ってるのかもしれないけど逆だよ。俺がみことを溺愛してる。こいつに迷惑をかけるような真似は、二度とするな」
言い切ると、すちはみことを自分の腕に引き寄せ、歩き出す。彼の腰に回された腕は力強く、守るための確信がこもっている。振り返りもせず、ただ一点の曇りもなく帰路へ向かう二人の背中には、まるで「近づくな」という無言の圧が残っていた。
女子たちはしばらくその場に立ち尽くしていた。最初の好奇心は、次第に静まり返り、誰も追いかけてこなかった。教室へ戻る子、ため息をついて去る子――それぞれが自分の足で去っていく。
歩きながら、みことはすちの胸に顔を押し付け、小さく息をついた。すちの手がそっとみことの頭を撫でる。暖かさと確かな守り。みことの肩の力は少しずつ抜けていき、唇を震わせながらも安心した笑みが戻る。
すちは心の中で、静かに繰り返した。――誰にも、みことを傷つけさせない。
その決意は、夕暮れの道に溶け込みながら、二人の距離をしっかりと守っていった。
帰宅後、部屋の空気は静かだった。
みことは玄関を上がってからずっと俯いたまま、靴を脱ぐ音すら控えめで、何も話そうとしない。すちはその背中にそっと目を向ける。
「……友達の前で、ごめんね?」
やわらかく声をかけると、みことは小さく首を横に振った。
「ううん……そんなことない」
それだけ言って、また視線を落とす。その様子にすちは少し心配になり、腰をかがめて顔を覗き込む。
「ほんとに? 怒ってない?」
みことのまつげがかすかに揺れる。視線が合った瞬間、みことの頬がみるみるうちに赤く染まった。
「……え?」
すちは思わず笑ってしまう。
「どうしたの? 顔、真っ赤だよ」
みことはうつむいたまま、指先で自分の袖をいじりながら、か細い声で言った。
「……すちが、かっこよすぎて……びっくりした」
その言葉に、すちは目を瞬かせ、次の瞬間ふっと優しく笑った。
「もう……かわいすぎ」
すちは両手でみことの頬を包み込み、ゆっくりと顔を近づけた。
近づく距離に、みことの呼吸が小さく震える。
すちの指先が温かくて、どこか安心するようで、心臓が早くなる。
視線が重なると、言葉はいらなかった。
ふたりの間に漂う空気がゆっくりと溶け合い、静かな世界に包まれる。
みことの頬を撫でながら、すちは小さく囁く。
「……俺、ほんとにみことのこと、大切に思ってるからね。」
みことはその言葉に嬉しそうに微笑み、目を細めた。
その笑顔が、まるで春の光みたいにやさしく、すちの胸を温めていった。
コメント
1件
すっちーかっこよ…