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「母さん、兄さんどうにかなんないの?」
ようやく日が昇り、皆が起きる頃、朝食の席にて跡永賀はそう嘆いた。
母親――四鹿花子(はなこ)はやれやれと肩をすくめる。
「またその話?」
「何度も言いたくなるくらい酷い話なんだよ」
「いいじゃない。人様に迷惑かけてるわけじゃないんだし」
「現在進行形で俺に甚大な迷惑をかけてんだよ!」
勢いに任せてテーブルを跡永賀が叩くと、花子の隣に座る姉――四鹿冬窓床(ぷゆま)の体がビクリと跳ねた。「あ、ごめんよ姉さん」跡永賀は慌てて彼女に手を振る。姉の冬窓床。体は自分より小さく、短めの髪もあって年下に見える。物静かで引っ込み思案な文学少女、それが彼女。
「しゃあないよ。もう諦めな。それが家族ってもんよ」
「それと……母さん、名前変えたいんだけど」
「バカおっしゃい」と今度は花子がテーブルを叩く。冬窓床の持っていた椀が揺れたが、母親に頓着はなし。
「親がせっかくつけた物を、この子はそんなホイホイ捨てるなんて」
「いや、だって……こんな読みづらい名前つけられて、今までどれだけヒドい目にあったか。グレなかったのが奇跡だよ。こういうのは受験や就職じゃ不利になるらしいし。そんなアホな理由でハンデもらうくらいなら、さっさと変えた方がいいよ」
結構好奇な目があるのも事実だし、記名も面倒だ。漢字で自分の名前を一発で読めた人は、高校に入ってもいなかった。
「なんてこと!」
花子は露骨に不服を表現した。
「いいかい? お母さんとお父さんは、こんなありきたりの、陳腐な名前をつけられて、どれだけ苦労したか。ねえお父さん?」
花子の視線の先――キッチンの向こうで、四鹿太郎(たろう)はフライパンを扱いながら、「ああ、そうだね」と疲れた声で答えた。結婚してから――おそらくは出会ってから今まで――尻に敷かれている父は、家事の一切を担当している。しかもサラリーマンだ。よく過労死しないな、と跡永賀は陰ながら感心し尊敬していた。
「こんな平凡な名前で変に笑われるし、かといって広がりがないから話の種にもならないし。『偽名ですか?』なんて聞かれたこと、一度や二度じゃないんだよ。だから子供たちには、華やかで珍しい名前をだね」
「極端なんだよ。一発芸みたいな珍名の方がよっぽど苦労するっての」
「ともかく、お母さん許しませんからね」
「ニートはよくて、それはダメって……」
「ニートって誰のこと?」
ドスドスと食卓にやってきた長男に、「お前以外いねえよ」とエルボーを見舞う次男。
「あべし!」
家庭内暴力の真っ最中だが、誰も止めない気にしない。それは、いつものことだった。
いつまでも続くと思われた、日常だった。