「落伍者」
一、
私は何時も自分が生きなければならないのか分からず、この世界が息苦しくて堪りませんでした。何故人は生きることが義務付けられているのか。法律なんかに無くとも人は日々日常に生かされている。それが辛かった。何度自殺をしたいと思ったことか。後世なんかに行きたかったんじゃない。今のこの苦しみから早く解放されたかったんだ。この狭い世の中から抜け出したかった。けれどそれは人間として低劣なことなのだと、幼い頃からわかっていました。そう育てられて来ました。けれど「死」とは叶え易い願いで、死にたいのなら首を吊るなり、飛び降りれば良いのです。だが自分には死ぬ勇気が無かった。ただ単に怖かった。痛いのも、苦しいのも極力避けたい。避けてばかりでは死ねやしない。また私は両親から英才教育を受けていたので将来に期待されているのです。伴って自分は生きるしかないのだ。辛くても生きる。どんだけ心が朽ち果てようと生きなければならない。そう考えるだけで惨痛だった。今、ただでさえ苦しいというのにこれからどうなっていくのだろうか。その不安が私を襲っていた。どれだけ心の中で叫んだって弱みを吐いたって誰にも気づいて貰えないのだから。だから私は、私には「生きたいと思えるような理由」というものが無いのだ。人間の最底辺と言っても過言では無い。そんなこと物心ついた時から分かってる。私は、人並みお金持ちな方の家庭の長女として産まれ、今まで育てられてきました。父は全国一位等の賞をいくらかとっていて、頭は良い方で、母は専業主婦で常に家にいました。我が家は二人姉妹で二つ下に妹が一人おります。私たちは喧嘩はよくするものの、仲は良かったです。たった一人の妹として好いていました。物心付き、しばらく経った頃だったでしょうか。次第に母と父の私への愛は薄れてきているように感じました。其の頃から家庭関係と友情関係で悩むようになりました。其の時私は、常に他人に嫌われないように生きていました。これ以上辛い思いはしたくなかった。けれど嫌われないよう、言動に気を使っていると友情関係の中では「中途半端な人」となっていました。私の周りには人は寄ってこず、黙っていれば何時も一人でした。からと言って何時も一人なわけでもなく、社交的な人たちのグループで浮いてはいますが、仲間には入れてもらっていました。別に虐められている訳でも無いのですが、自分から話に行かないと誰も私を気にかけず、誰も私の事を必要としていないのだということが分かりました。こんな毎日が続き、耐えかねた私は勇気を振り絞り、母にこの事を伝えました。ですが、私は家族のお道化役だった為、本気にはされませんでした。おそらく、学校をサボりたいが故に付いた「嘘」として認識されてしまったのでしょう。私は、怒りと悲しみが入り交わった感情に対して泣くことしか出来ず、自分がどれだけ惨めなのかを痛感しました。この日の学校は何時もよりも辛く、その日の夕飯は味がしませんでした。あれから二週間経った頃でしょうか。其の二週間は自分の悩みは誰にも打ち明けられないと解ったので毎晩一人で泣いておりました。そんなある日。初めて自傷行為をしました。カッターナイフを使い、左腕と左足を約六センチ程切りました。初めは痛かったのですが、今までの苦痛よりも弱く痛くないと感じました。また其の次の日の学校では丁度冬だったということもあり、家族にも、クラスメイトにも気づかれませんでした。あれから五日ほどでしょうか。私は市販のものですがサプリメントを大量摂取しました。栄養補助食品の物でしたが行った理由は単純で、体調を崩し、病院で入院したかったのです。そうすれば大嫌いな学校も休め、両親にも心配して貰えると思ったのです。また、そのまま死のうと思ったのです。そのため飲むのは毎回夜、寝る前にしました。出来れば寝ている間に死にたかったのです。初めはビタミン剤を約三十粒飲みました。運悪く体調すら悪くならなず、無駄と成りました。次飲んだのはGABA(アミノ酪酸) でした。これもビタミン剤同様、約三十粒飲みました。次の日、一日中頭が眩んでいましたが、これもまた効果はなく私は生かされました。この世界で生きるのに相応しくないこの私をこの世でのうのうと生かす神が憎くて溜まらず、もし生かすのならばせめて心から愛されていると感じさせて欲しかった。何時も何時も妹やクラスで人気なあの人のように引く手あまたな、そんな人生を送りたかった。自分はなんて不幸で不運なのだろうか。自分は、生きるなんていう行為に向いていないのです。従って、私は人生の落伍者なのです。もう、生きる気力など御座いません。
人は誰かから愛される為の努力はするが、誰かを愛そうとする努力はしないもので自己中心的なのだ。だが、一つ例外がある。其れは「親」だ。親は子を愛し、愛そうとする。人は自分が親になった瞬間愛される為の努力はせず、愛そうと努力をする。が、子と親との相性によって愛さない。愛せないと成ることがある。全く不思議なものだ。まぁそれが人という生き物なのだろう。私は人を愛そうと努力をしたことがありますがどれも極めて困難でした。私は人を本気で愛せないのです。故に私は人に対して「愛しい」なんて感情を抱いたことはありません。愛し方も愛され方も分からない。私はなんて人として薄情なのだろう。
続きは気が向けば書きます。これは私の遺書の予定です。「哲学」がお好きな方には良いかもですね。
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