テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
これは、現代のお話。
猫猫は薬剤師、壬氏は弁護士をしている。
二人は結婚しており、子供が二人いる。そして猫も飼っている。五人家族だ。
今日は二人そろって休みを取り、久しぶりに二人きりで出かけることになった。
子供たちは祖父母に預けている。
「久しぶりだな。こうして二人で出かけるのは」
壬氏は朝から妙に落ち着きがなかった。
どうやら楽しみすぎて昨夜はよく眠れなかったらしい。満面の笑みだ。
「そうですね」
猫猫はそっけなく返したが、その顔には隠しきれない期待がにじんでいた。
壬氏はそれを見逃さない。
「……楽しみなのか?」
ニヤリと、からかうように聞かれる。
「まぁ、楽しみですね」
素直な返事に、今度は壬氏のほうが面食らったような顔をした。
出かける準備をしている最中、壬氏がこそこそと何かを鞄に入れているのが目に入った。
少し気になったが、時間が迫っていて聞きそびれてしまった。
猫猫は助手席に座り、壬氏は運転席へ向かう。
ハンドルを握る横顔は妙に様になっていて、思わず見惚れてしまう。
(……弁護士って、こんなに絵になる職業だったか?)
その視線に気づいたのか、壬氏が口を開いた。
「なぁ。今日はどこに行くか知っているか?」
前を向いたままだが、声の調子で笑っているのがわかる。
「さあ、どこですか?」
「着くまで秘密だ」
自分で聞いておいてそれか、と思いながら、猫猫は鞄の中を探った。
運転手には、少しでも楽に運転してもらいたい。
取り出したのは、去年作った陳皮に生姜と蜂蜜を合わせた温かい飲み物だ。
体を温め、気持ちを落ち着かせる効果がある。今の季節にはちょうどいい。
(……緊張しているみたいだし)
差し出すと、壬氏は少し驚いた顔をしてから、嬉しそうに受け取った。
「さすがだな、猫猫」
その一言で、車内の空気がふっと和らぐ。
実を言うと、今日、壬氏の運転する車に乗るのは初めてだった。
乗る前は、正直かなり緊張していた。
──車に乗る前のことだった
「猫猫!今日はお前が運転しないか?」
珍しく慌てた様子で言われたのを思い出す。
「駄目です。私、免許持っていません」
「……そうか」
しょぼくれた顔で運転席に向かっていった壬氏。
その光景を思い出し、猫猫は思わず小さく笑ってしまった。
「どうしたんだ?」
どこかの駄犬のような顔で、こちらを見てくる。
「いえ。車に乗る前の壬氏さまを思い出しまして」
「それを思い出して笑っていたのか!?」
少し照れたのか、頬がわずかに赤い。
会話が弾むにつれ、最初の緊張はいつの間にか消えていた。
それでも運転は丁寧で、安全そのものだ。
やがて車は目的地に着いた。
外に出ると、目の前には自然が広がっていた。
冬木立の向こうまで澄んだ空気が続き、思わず息を吸い込む。
(春になったら、いろんな植物が生えて、探索も楽しいだろうな……)
そんなことを考えながら目を輝かせていると、背後でシャッター音がした。
「……何をしているのですか?」
少し引いた目で尋ねると、壬氏は真剣な顔で答えた。
「こんな綺麗な景色に、世界一可愛い猫猫が合わされば、絵画になると思って、撮っている」
大きな声で言うものだから、周囲の観光客の視線が集まる。
「……もしかして」
朝のことを思い出し、問いかける。
「鞄に入れていたのって、カメラですか?」
「バレていたか」
少し残念そうにしながらも、壬氏は構わず写真を撮り続けている。
猫猫は小さくため息をつきながらも、
この穏やかな時間を、悪くないと思っていた。
久しぶりに、何も考えずに過ごせる休日。
こんな日が、これからも続けばいい。
そう思いながら、冬の澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
家に帰ると、壬氏は今日撮った写真を嬉々として現像し始めていた。
選び抜いた一枚を丁寧に額縁に収め、自室に飾るのだと言う。
壬氏の自室は、猫猫の写真で埋め尽くされていた。
(何がそんなにいいのやら……)
半ば呆れつつも、猫猫は静かに片付けを続けた。
子どもたちは祖父母の家で遊び疲れ、そのまま泊まることになったらしい。
――久しぶりの、二人きりの夜。
そう思うと、胸の奥が少しだけ温かくなる。
猫猫は何気ない顔を装いながら、静かに夜の準備を整えた。
風呂を済ませ、二人で居間に戻ると、時間はゆっくりと流れていた。
特別な言葉がなくても、同じ空間にいるだけで満たされていく。
今日は、自分から近づこう。
壬氏に駆け寄り、衝動のまま唇を重ねた。
不意を突かれた壬氏は一瞬目を見開いたものの、すぐにその瞳に熱が宿る。短い口づけは、次の瞬間には互いの呼吸を乱すほど深くなっていた。
言葉は要らなかった。
自然と足は寝室へ向かい、静かに寝台へ身を預ける。
「今日は……私が、先に」
そう告げた猫猫の声は、わずかに震えていた。
壬氏の上に跨り、視線が絡む。その距離の近さに、胸の奥がきゅっと締め付けられた。触れるたびに伝わる熱と鼓動に、覚悟とは裏腹に身体が正直に反応してしまう。
慎重に、けれど確かに距離を縮めていく。
思うように動けず、息が詰まる。額に浮かぶ汗を感じ取ったのか、壬氏の手が強く猫猫の腰を引き寄せた。
「……無理するな」
そう言いながらも、抑えきれない衝動が伝わってくる。
次の瞬間、均衡は音もなく崩れ、猫猫は抗えない波に身を委ねた。
声にならない吐息がこぼれ、甘やかな音だけが喉をすり抜けた。思考はゆっくりと白く染まる。
意識が遠のきそうになるほどの波に飲み込まれながらも、猫猫は必死に呼吸を整えた。
――今日は、私が主導するんだ。
そう自分に言い聞かせ、ゆっくりと動きを取り戻す。
しかし、その我慢も長くは続かなかった。
壬氏は限界だったのだろう。
くるりと体勢が入れ替わり、視界いっぱいに壬氏の影が落ちる。低く押し殺した息遣いと、抑制の切れた眼差し。
「……もう、駄目だ」
その声を合図に、時間の感覚は溶けていった。
夜は深く、長く、そして驚くほど短かった。
気づけば、窓の外は白み始めていた。
絡めた指先を離すこともできないまま、二人は静かな余韻に身を委ねていた。
その夜は、互いの温もりを確かめ合いながら、静かに、深く、時間を重ねた。
長いようで、驚くほど短い夜だった。
翌日、昼過ぎに祖父母の家へ子どもたちを迎えに行った。
まだ眠っていた二人を起こさぬよう、そっと抱き上げて家へ戻る。
小さな寝顔は、まるで天使のようで、自然と頬が緩んだ。
それから十か月後――
新しい命を授かったことを知る。
祖父母は歓喜し、壬氏と猫猫もまた、言葉にならない想いに涙した。
家族はさらに増え、笑顔も、温もりも、これから先きっと増えていく。
平凡で、穏やかで、かけがえのない日々。
その幸せを守り続けていこうと、二人は静かに誓い合った。