翌日。
経過も良好で、真里亜は無事に退院を許可された。
住谷が明るく病室に現れ、真里亜を自宅マンションまで車で送ってくれる。
「良かったね、真里亜ちゃん。大事に至らなくて」
バックミラー越しに住谷が声をかけるが、真里亜はムッとしたままだった。
「ねえ、真里亜ちゃん。もういい加減、機嫌直してよ」
「直せません!そんな簡単に、はいそうですか、なんて、絶対言いませんからね!私」
住谷が苦笑いしてなんとか真里亜のご機嫌を取ろうとするが、真里亜は更にへそを曲げるばかりだった。
「急にチームから外すなんて言われて、納得出来ると思います?住谷さん。私、絶対に鬼軍曹の言うことなんて聞きませんから!」
「はあ、やれやれ、二人してもう。いい勝負だよ」
住谷はお手上げとばかりに、呆れ顔で独りごちた。
退院した次の日から会社に行く気満々だった真里亜は、退院した日が金曜日であることに気づいてガックリする。
「明日も明後日も休みか。あー、キュリアスの件がどうなったのか早く知りたいのに!」
送ってくれた住谷に車の中で聞いても、文哉がなんとかしてくれるよ、としか答えてくれなかった。
ヤキモキしながら休日を過ごしていると、日曜の夜に、副社長からキュリアスのチームメンバーに向けて一斉メールが届いた。
真里亜はすぐさまメールを開く。
まず初めに、休日にメールをして申し訳ないと断りがあり、続いて、三日間に渡るキュリアスとの話し合いを終えたと書いてあった。
(それで、どうなったの?!)
真里亜はゴクッと唾を飲み込んで、先を読み進める。
そこには、木曜日に起こった出来事をキュリアス側に説明した、とあった。
レッドゾーンのセキュリティシステムをハッカーに突破されたこと
顔認証と指紋認証は破られなかったが、中からドアを開けたことにより、副社長室に侵入されたこと
パソコンを奪われそうになったが、すぐに警備員が駆けつけて警察に犯人を引き渡したこと
全てを包み隠さず報告した、と書かれていた。
(中からドアを開けたって…、私のことだ)
真里亜は胸がズキンと傷んだ。
(それで、キュリアスの皆さんは?うちを信用してくれなくなったの?)
思わず泣きそうになりながら、真里亜はメールの先を読む。
すると、意外なことが書かれていた。
キュリアス側でも色々詳しく調べてみたところ、今回の犯人であるハッカーは、国内のみならず、海外の有名企業をいくつもハッキングしたことがあり、世界中で一番恐れられているハッカーだったというのだ。
そして、レッドゾーンのセキュリティが破られたとはいえ、顔認証と指紋認証は守られていたこと、他の企業がハッキングの被害で大損害を出したにも関わらず、被害を受けずに犯人逮捕にまで至ったことで、AMAGIには世界の有名企業から称賛の声が寄せられているらしかった。
それに対してAMAGIは、今後レッドゾーンのセキュリティシステムを直ちに見直すこと、顔認証と指紋認証システムを、当初の予定より多くのポイントに設置することにより、キュリアスのビルの安全を守っていく所存であると伝え、キュリアス側もそれを了承してくれた、と報告されていた。
「つ、つまり、それは…」
真里亜ははやる気持ちを抑えながら、最後の文章を読む。
『今後もキュリアス ジャパンの為に最善かつ最強のシステムを提供していくことを誓い、皆にも尽力を願いたくよろしくお願いする』
「え、これって…」
今後もキュリアスの為に、皆で尽力する。
「つまり、このまま続けていいのよね?」
やったー!!と、真里亜は胸に抱えていたクッションを宙に投げる。
「良かったー。あー、本当に良かったよう」
ホッとして思わず目に涙が浮かぶ。
「よし!そうと決まれば、あとはひたすらがんばるのみね!」
真里亜は右手をギュッと握りしめて、大きく頷いた。
ようやく月曜日になり、真里亜は張り切って出社した。
(副社長に何と言われても、絶対にキュリアスの仕事は続けてみせる!)
意気込んで、高層階エレベーターのパネルにIDカードをかざした。
すると聞き慣れない、ブーという音がして、真里亜はキョトンとする。
(ん?何、今の。上手く読み取れなかった?)
もう一度、今度は確実にタッチしたが、やはり同じように、ブーという音がするだけだった。
(何?この、だめですよーみたいに小馬鹿にした音は)
そこまで考えてハッとした。
(もしや、私のIDカードの権限をブルーゾーンに戻したんじゃ…)
もしやではなく、そうに違いない。
真里亜は、沸々と怒りが込み上げてきた。
(あの鬼軍曹めー!覚えてらっしゃい!)
近くにいた人がビクッとするのも構わず、真里亜は怒りに任せてズカズカと低層階エレベーターに乗り込み、3階に上がった。
「部長!」
人事部の部屋に入ると、真里亜は一番奥の部長のデスクに向かう。
「ちょっとお話いいですか?」
鼻息荒く仁王立ちになる真里亜に気づくと、部長はニコニコと笑顔で立ち上がった。
「おおー、待っとったぞ、阿部くん。良かったな、ようやく戻って来られたな」
ポンポンと真里亜の肩を叩くと、オフィスにいる皆を見渡して声を張る。
「おーい、みんな。我が人事部の阿部 真里亜がついに戻って来たぞ!」
一斉に皆が顔を上げて真里亜を見た。
「おっ、阿部 真里亜!無事に生還だな」
「良かったねー、真里亜。あの冷血副社長にイジメられなかった?」
「あ、はい。ありがとうございます」
懐かしい先輩達に声をかけられ、真里亜は一旦怒りの表情を抑えて笑顔になる。
「今日からまたよろしくね!」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
とにかく今は落ち着こうと、真里亜は、不在中もそのままにしてくれていた自分のデスクに向かう。
「よっ、阿部 真里亜。元気だったか?」
向かいの席から、藤田が声をかけてきた。
「藤田くん。久しぶりだね」
「どうした?念願の人事部に戻って来たのに、あんまり嬉しそうじゃないな」
「ああ、うん。人事部には戻りたかったけど、こんな中途半端なままでは納得出来なくて」
ん?何がだ?と、藤田は訝しそうに聞く。
「ううん、ごめんね。何でもない」
「そう?じゃあ、早速仕事振り分けてもいい?お前のいない間、結構忙しくてさ」
「あ、そっか。ごめんね」
「いや、お前のせいじゃないし。とりあえず、2つか3つ、引き受けてくれない?」
「うん、分かった」
真里亜は藤田から書類を受け取り、手順を思い出しながら手続きを進めていった。
チラッと腕時計に視線を落とした文哉に、住谷が含み笑いをしながら声をかける。
「副社長。真里亜ちゃんなら、とっくに出社してますよ。人事部の方にね」
「あ、そうか。いや、別に俺はそんなこと…」
「はいはい。真里亜ちゃんがいなくても平気なんですよねー」
いつも真里亜がいたデスクでパソコンに向かいながら、住谷は文哉に嫌味を言う。
「あーあ、誰かさんがいきなり追い出すから、俺が穴埋めしなきゃいけなくなるし。しかも、有能な彼女が抜けるなんて、チームにとっても大打撃。いいのかなー、こんなんでキュリアスの大事な仕事、上手くいくのかなー」
文哉は大きくため息をつく。
「おい、智史。黙って仕事しろ」
「黙ってますよー。でも心の声がダダ漏れしちゃうんですよねー。あー、真里亜ちゃんがいてくれたらなー」
「うるさい!さっさと仕事しろ!」
「したいですよー。でも真里亜ちゃんしか分からない内容ばかりで、進まないんですよーだ」
「ああもう、分かったよ!俺がやればいいんだろ?!」
苛立ちながら、文哉はキュリアス関連の共有フォルダをクリックする。
(あれ?あの資料どこに行った?)
来週、先方に提出するはずのファイルが見当たらない。
(なんでだ?全部この共有フォルダに入れてあったはず…)
そして文哉は気づいた。
真里亜が自分が作った資料を、全て共有フォルダから抜いたことに。
「あいつめーー!!」
急に大きな声を出した文哉に、住谷もこの時ばかりはビクッと身体をこわばらせていた。
人事部の仕事をこなしていた真里亜は、パソコン画面のチャット通知に気づいた。
『おい、資料を返せ』
まるで脅し文句のような、文哉からの恐ろしいひと言。
だが真里亜は、フンと鼻であしらって返信する。
『チームに戻してくれたら返します』
ムッとする文哉の表情が目に浮かぶ。
すぐさま返信が来た。
『チームには戻さん。さっさと資料を返せ。副社長命令だ』
『パワハラですか?これ、証拠になりますよ』
『うるさい!早く返せ!』
『あ、12時になりました。お昼休みですので失礼します』
ポンとキーを押して送信すると、真里亜はパソコンを閉じて立ち上がる。
(ふーんだ。負けないもんね!)
ムキー!と地団駄を踏んでいるであろう文哉を想像しながら、真里亜は不敵な笑みを浮かべた。
「真里亜、社食行こうよ」
「はい!」
先輩達に声をかけられ、真里亜は久しぶりにおしゃべりしながらランチタイムを過ごす。
「ね、どうだった?副社長の秘書は」
「えっと、ひと言で言うと『鬼軍曹の下僕』ですね」
ゴホッと先輩達は一斉にむせ返った。
「何それ?!下僕って、あはは!おもしろーい」
「ちっともおもしろくないですよ」
(今だってやり合ってる最中だし。もう、本当に頭が固くて偉そうなんだから!)
真里亜は憮然としながら、チャーハンをパクパクと口に運ぶ。
「ね、でもさ。あれは何だったの?先週の木曜日の」
「そうそう!あれ。びっくりしたよねー」
先輩達の言葉に、真里亜は、ん?と首をひねる。
「あれって何のことですか?」
「ほら、うちのビルに不審者が侵入して、警報ベルが鳴ったでしょ?何だろうって思ってたら、いきなり聞こえてきた『真里亜!』って声」
「そう!人事部のみんなでドキッとしたよね。あの声ってもしかして副社長?」
あ、それは、その…と真里亜は視線を落とす。
(そう言えばそうだった。あの時、副社長にそう呼ばれたっけ)
「ねえ、いつも副社長に真里亜って呼び捨てにされてたの?」
「いえいえ、まさかそんな。おい、とか、お前って呼ばれてましたよ。多分、私の名字ご存知ないかも」
「じゃあなんで下の名前は知ってたの?」
「それは、秘書課の方が私を下の名前で呼んでたから、それで覚えていたんだと…」
「えー、なになに?その秘書課の人って男の人?」
「え、はい。そうです」
先輩達は、いやーん!と身悶える。
「真里亜、男の人に囲まれて下の名前で呼ばれる生活してたのね。なんか羨ましい!」
「想像しちゃうよねー。逆ハーレム状態?」
「そんなんじゃないですって」
真里亜は口を尖らせながら否定する。
そしてチャーハンを食べ終わると、トレーを手に席を立った。
「先輩。私、先に仕事に戻りますね」
「え?まだお昼休み30分以上あるわよ?」
「はい。溜まってる仕事を片付けたくて。先輩達はゆっくりしてきてください」
そう言い残し、真里亜は誰もいないガランとしたオフィスに戻った。
「さてと!がんばりますか」
腕まくりをしてパソコンを立ち上げ、キュリアスに関するファイルを開く。
共有フォルダから抜いたそのファイルは、自分で完成させたあと、また共有フォルダに戻すつもりだった。
(最後までやり遂げたい。それにこの件で先方とやり取りしたのは私だもん。私がやるのが一番早いはず)
人事部の仕事の合間を縫って、提出期限までにはしっかり仕上げるつもりだ。
真里亜は気合いを入れて、作業に集中していた。
やがてガヤガヤと皆がオフィスに戻って来る。
時計の表示が13時に変わった途端、チャットが届いた。
『昼休みは終わった。ファイルを戻せ』
『こわっ!副社長、もはやストーカーですよ?』
『お前がさっさと返さんからだろう!業務妨害で訴えるぞ!』
『じゃあ私は、ストーカー被害とモラハラ、パワハラで訴えますよ?』
『つべこべ言わずにさっさと返せ!』
『副社長こそ、さっさと私をチームに戻してください』
『それは出来ん』
『そうですか。では、失礼します』
『おい、こら!』
その後も何通か送られて来たが、真里亜はスルーを決め込む。
カタカタとひたすら手を動かして資料作りに励んでいると、藤田が声をかけてきた。
「阿部 真里亜。なんでそんなにやること多いんだ?俺、なんかややこしい仕事頼んだか?」
「あ、ううん。頼まれたものは全部終わったよ」
「じゃあ、それは?」
「あー、これは秘書課にいた時のやり残しなの」
「ふーん、そっか。だったらそれが終わるまでは、俺も頼まないから。がんばれよな」
「うん、ありがとう!」
藤田に笑いかけてから、また作業に没頭する。
しばらくすると、また藤田に声をかけられた。
「おーい、阿部 真里亜」
「なあに?」
顔を上げると、ドアの前にいる藤田がクイッと親指で後ろを差した。
「お客さんだぞ」
ん?と覗き込むと、廊下に住谷の姿があった。
「住谷さん!」
「お疲れ様、真里亜ちゃん。ちょっといいかな?」
「ええ。今行きます」
真里亜は、少し外すねと藤田に伝えてから、住谷と一緒にカフェテリアに向かった。
「どう?怪我の具合は」
「はい、もう大丈夫です」
「そっか、良かった。文哉も心配してたから伝えておくよ」
紅茶を飲む手を止めて、真里亜は住谷に顔をしかめてみせる。
「副社長が私を心配ー?そんな訳ないですよ」
「どうして?」
「だって、さっきまでずっと私をチャットで脅してましたもん」
は?と住谷はうわずった声で驚く。
「脅す?って、何を?」
「キュリアスのファイルを共有フォルダに戻せって」
「ああー、なるほど。それでか」
合点がいったとばかりに、住谷は何度も頷く。
「だからあんなに、ダダダダーッてキーボード叩きまくってたのか。俺、マシンガンでもぶっ放してるのかと思ったよ」
「マシンガンって、あはは!」
「笑い事じゃないよー、真里亜ちゃん。部屋にあいつと二人きりでいる俺の身にもなってよ」
「いいじゃないですか?お邪魔虫もいなくなって」
「ん?何?お邪魔虫って」
「またまたー。それに私だったら副社長と二人きりなんて地獄ですけど、住谷さんにとっては天国ですよね?あー、羨ましい。愛する人と二人きりで仕事なんて」
ガタガタッと派手な音を立てて、住谷は椅子から落ちそうになるほど仰け反った。
「ま、ま、真里亜ちゃん。何を言って…」
「今更隠さなくても大丈夫ですよ。私、誰にも言ってませんから。こう見えて口は堅いんです。それになんだかんだ言って、副社長と住谷さんのことは応援したいんですよね」
「お、応援なんて、やめてくれ」
住谷は仰け反ったまま、ブルブルと首を横に振る。
「どうしてですか?私、副社長のこと鬼軍曹なんて思ってましたけど、住谷さんとラブラブな雰囲気なのを見てちょっと安心したんですよね。あー、鬼軍曹もやっぱり人間なんだなって。住谷さんも以前、副社長の幸せを願ってるって話してくれて、ジーンとしました。あの時住谷さんは、自分のエゴだ、なんて言ってましたけど、私から見るとお二人は相思相愛ですよ。いいなー、私もあんなふうに誰かに愛されたいな」
頬杖をついてうっとりする真里亜に、住谷は必死で気持ちを落ち着かせてから口を開く。
「ま、真里亜ちゃん。念の為に聞かせて。もしかして、いや、万が一にも、俺と文哉が、その…恋人同士だなんて思ってたり、しないよね?」
「ん?思ってますよ」
「ヒーーー!嘘でしょ?!やめてくれ、想像だけでもやめてくれ!」
「想像も何も、実際にそうでしょ?そりゃ、お二人は男同士だけど、愛の形なんて人それぞれだし。お二人の愛は本物だと私も感じますよ。だから、ね!自信持ってください」
ポンと肩に手を置かれ、住谷は顔を引きつらせて固まる。
何がどうなって真里亜はそんなことを思うようになったのか、どこをどうしたら自分と文哉が恋人同士に見えるのか、もはや完全に理解不能だった。
真里亜と別れ、住谷はヨロヨロと副社長室に戻る。
本当は真里亜に、文哉のことが好きなんじゃないか?と詰め寄り、あわよくば二人をくっつけてしまおうと思って人事部に行ったのに、まさかの返り討ちに遭い、思考回路は完全に機能しなくなっていた。
(だめだ、もう立ち直れない。この俺が、かつては自分に振り向かない女の子なんていない、とまで自負していたこの俺が…)
両手をデスクに載せて顔をうずめる。
(確かに最近は誰ともつき合ってなかったけど、まさか文哉との仲を疑われるなんて。いかん!俺も早く彼女を作らないと!キュリアスとの仕事をきっちり終わらせたら、絶対に彼女作るぞ!)
住谷は決意を固めると、キッと顔を上げてパソコンに向き直った。
文哉と真里亜のチャット攻防はまだ続いていた。
と言っても、文哉の攻撃を真里亜は素知らぬフリでかわす、つまり未読スルーを貫いていた。
(でもさすがに大人気ないな。早く仕上げてフォルダに戻そう)
真里亜はその日のうちに資料を仕上げようと、誰もいなくなった人事部で一人残業していた。
「よし!出来た」
確認を終えてから、真里亜はファイルを共有フォルダに戻した。
文哉にその旨を伝え、確認をお願いしようとチャットに文字を入力していると、先に向こうから着信があった。
『ファイルは預かった。早く帰れ』
娘は預かった。金をよこせ、の見間違いかともう一度読み返す。
するとすぐにまた次の文が送られてきた。
『智史に車で送らせる。エントランスで待て』
これまた、身代金の受け渡しを指示するような文面だった。
(なんなのよ、もう…)
真里亜はパソコンを閉じると鞄を持って1階に下りる。
エントランスから外に出てロータリーで待っていると、すぐに見慣れた車が目の前に止まった。
「真里亜ちゃん、お疲れ様。さ、乗って」
「ありがとうございます、住谷さん」
後部座席に座ると、真里亜はふうと息をつく。
身体は疲れ果てており、電車で帰ることを考えたら、車で送ってもらえるのは心底有り難かった。
「真里亜ちゃん、資料一人で作ってくれたんだね。ありがとう」
「あ、いえ。子どもみたいに意地を張って、申し訳ありませんでした」
「いや。真里亜ちゃんをいきなりチームから外した文哉が悪いんだから。それにあいつ、真里亜ちゃんの作った資料を見て、さすがだなってボソッと呟いてたよ」
え…と、真里亜は思わぬ話に言葉を失う。
「あいつは誰よりも真里亜ちゃんのことを信頼してる。真里亜ちゃんは、あいつにとってなくてはならない存在なんだ。でも頑なにそれを認めない。やれやれ。だから俺があいつと…、なんて妙な誤解までされたんだ。早く素直になれってーの!」
誰にともなくそう言うと、住谷は真里亜に話しかける。
「真里亜ちゃん。戻って来てくれない?副社長室に」
「え、でも。副社長が許しませんよね?」
「俺が説得する。せめてキュリアスの仕事が終わるまではって。それに実際、キュリアスから真里亜ちゃん宛に電話やメールの問い合わせも多いんだ。このままだと支障が出る。真里亜ちゃんは?このままチームから外れても構わないと思ってるの?」
「いえ!チームに戻って最後までやり遂げたいです」
「それなら、副社長室に戻って欲しい」
真里亜はうつむいてじっと考える。
「文哉は必ず説得するから。ね?」
「あの、住谷さん。私、チームには戻りたいですが、副社長室には戻りません」
真里亜の言葉に、住谷は、え…と絶句する。
「どうして?文哉には俺から、戻って来いって言わせるから」
「いいえ。たとえ副社長にそう言われても、私は戻りません。人事部でキュリアスの仕事を続けさせてもらいます。キュリアスとの連絡も、仕事用のスマホでやり取りしますから」
なぜ?と言いたげな住谷に、真里亜はこれ以上お話することはない、とばかりに窓の外に目をやる。
実際、なぜ?と聞かれても、返事に困るだけだった。
どうしてなのか、自分でもよく分からない。
だが、文哉とは少し距離を置かなければ…。
このままでは、自分は文哉から離れられなくなる。
真里亜はそんな気がしていた。
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