「新谷さん、それなんすか」
新人の金子が新谷のデスクを覗き込んでいる。
「VSミシェル対策シート」
新谷は真剣なまなざしでA4用紙に目を落としつつ、金子に答えた。
「?何すかそれ」
金子が眉間に皺を寄せると、新谷は小さく息を吐きながら高身長の彼を見上げた。
「ミシェルの展示場に行ってみてわかったんだ。あのメーカー、セゾンをすごく勉強して、それでいて、けっこう捻じ曲げた風に批判してくるんだよ。
例えば、木造はもろい、とか、火事の時の燃え広がりやすいとか、湿気がすごいとか、さ」
「え、それ全部嘘じゃないですか」
金子は目を丸くする。
「木の無垢柱なんて軽量鉄骨よりも強度あるし、鉄骨は火事の時溶けるから消防署員が踏み込めなくなるし、湿気なんて木が吸ってくれるから、鉄骨やコンクリートの非じゃないでしょう」
「そう!そうなんだよ!」
新谷が興奮して頷く。
(……そろそろかな)
篠崎は二人のやり取りを目を細めながら聞いていたが、一口コーヒーを飲み込むと立ち上がった。
「それをさ!あたかも木造が悪いみたいに言うから!もう徹底してセゾンを潰しに来てるん……」
「はいストップ」
言いながらその用紙を取り上げる。
「あっ、返してください!」
文字通り天井近くまで上げた用紙に、玩具を取り上げられた子供の如く新谷が手を伸ばす。
「だーめ。それ以上は他社批判」
「……だけど!こっちが批判されてるのにっ!」
新谷がきっと篠崎を睨む。
普段ならこんなに感情的になったりしないのだが。3件続けて負けたのが余程悔しかったと見える。
そのいじらしさに笑いそうになるが、篠崎はその紙をくしゃくしゃと丸めると、ゴミ箱に入れた。
「ああー!」
新谷が脱力する。
「売り言葉に買い言葉でどうする。お前、喧嘩強いのか?」
「………」
新谷が口を尖らせる。
「喧嘩しちゃダメなんだよ。俺たちはその次元にいないんだから」
「次元にいない……?」
金子が篠崎を見上げる。
「そう。セゾンは、省エネトップ大賞3冠、耐震性で去年デザイン賞、床暖房普及率は全国1位なんだから。それらの評価がセゾンの全てだろ」
恨めしそうに新谷が瞳だけ上げる。
「相手が都合よく切ってきたカードに踊らされるなよ。そして客もそっちの土台に盗られるな。その時点でお前は負けてるんだよ」
視線が重く足元に下がっていく。
(言い過ぎたか……)
その落ち込んだ表情に喉奥で笑いながらも、自分のアドバイスを咀嚼する。
(そう。喧嘩したら負けるんだよ。だって……)
『あ、おつかれーす』
外から爽やかな声が聞こえてくる。
『おう牧村(まきむら)、プレゼン何時から?』
もう一人の年配の声が聞こえてくる。
『3時からっすー』
『了解!頑張れよ』
『うーっす!』
声に遅れること数秒その姿が見えた。
紺色の淡く光沢のあるスーツ。上品なダークブラウンの髪の毛はビジネスショートに切りそろえられている。
鋭い目つきから気の強さと漲る自信を感じる反面、笑顔を見せると、その唇から綺麗に並んだ歯が清潔感を醸し出す。
(“敵”のが一枚も二枚も上手(うわて)なんだよなー…)
その姿を見ながら篠崎は新谷にバレないようにため息をついた。
“ミシェルの牧村”
彼はハウジングプラザの代表者会議でもたびたび名前の挙がる営業マンだ。
入社して5年の28歳。2年目からすでに頭角を現し店長クラスの実績を上げ、その成績から一度も落としていないらしい。
決定権者をものの数秒で見極める洞察力。
それに加え他社の知識が豊富で、どのメーカーが介入してこようとも、その理論と技術をひっくり返せる話術を持っているというのだから驚きだ。
つい先週の日曜日。新谷はこの男にプレゼンで負けた。
その前も、その前のプレゼンもミシェルに負けた新谷はひどく落ち込んでいた。
しかし―――。
3件が3件とも、この男に負けているのだと知っているのは篠崎一人だ。
(ミシェルの牧村か。確かにデキる男ではあるんだよな。でも……)
まだゴミ箱を見つめている新谷に視線を戻す。
「しょげるなよ。お前にはお前のいいとこがあんだろ。お前はミシェルに勝ちたいのか?違うだろ?」
言うと新谷はやっと視線を上げた。
「お客様を……幸せにしたいんです」
「それだ」
柔らかい髪の毛を撫でる。
「その気持ちがあれば。そしてその気持ちがちゃんと客に伝われば。次は負けねえよ」
「…………」
「他社批判するしか能のねぇ奴らに負けんな」
「はい……!」
それは小さな声だったが、新谷からやっと意思のこもった返事が聞けた。
「………ミシェルかぁ」
金子が自分の席に戻りながら呟く。
その単語が、なぜか篠崎の胸に刺さる。
(なんだ、今の)
篠崎は胸辺りをさすった。
何か底知れぬ嫌な予感がよぎった気がしたが、
「大変です!展示場の軒下にまたハチの巣が出来てます!」
それは、飛び込んできたもう一人の新人、細越の声によって遮られた。
「すみません!お待たせして」
由樹は慌てて受話器を上げた。
『いーよ別に待ってない。蜂の巣だって?刺されなかったか?』
心が弱っているせいだろうか。久しぶりに聞く天賀谷展示場マネージャーの紫雨の声は、やけに優しく聞こえた。
『この間こっちにもあってさー、アシナガバチに林が刺された。ははは。今の時期は攻撃的だよなー』
「ええ。なんででしょうね」
どうやら急ぎの用事でもないようなので、由樹は椅子に座り一息ついた。
『巣作りを始めるのは7月くらいからなんだけど、9月には出来上がって繁殖期に入るからかなー』
「なるほど」
相変わらず博学な紫雨に感心しつつ何度も頷く。
『ま、客になにか言われたら、“蜂も住み心地のよいセゾンを選ぶんですねー”くらい言っとけよ』
思わず吹き出したところで、あらかた蜂の巣の駆除を終えた篠崎と新人たちが戻ってきた。
「あ、あの、いただいた電話ですみませんが、ちょっといいですか?」
『ん、なーに?』
「紫雨マネージャーは、どうやってミシェルを攻略してますか?」
腕をまくり手を洗っている篠崎に聞こえないように声を潜める。
『ミシェルって、ファミリーシェルター?』
「はい」
『えー』
電話口で紫雨は笑った。
『俺は競合になったことねぇかな』
「え?」
『まず、俺の客は軽量鉄骨なんて眼中にないもん』
言いきる紫雨に、自然と口が空いてしまう。
「なぜですか?」
『なぜって……』
紫雨は鼻で笑った。
「初回接客(アプローチ)でセゾンの家作りが刺さってたら、木造からブレるわけないだろ」
「…………」
新谷の手から受話器が落ちる。
『ッ!!おいこら!ビビるだろーがっ!』
勢いよくデスクで跳ね上がったそれから紫雨の怒った声が聞こえて来たが、由樹は項垂れたまま、受話器を拾う気にはなれなかった。
察した篠崎が隣の自分の席に座りながら受話器を取る。
「もしもし。……ああ、俺。…………そうか。そりゃ悪かったな……。ちょっと、傷心中なんだ。
ああ、いいよ、来月のいつだ?………。わかった。時間決まったらまた教えてくれ。じゃあな」
受話器を置いた篠崎がこちらを見下ろしている気配がする。
やがて大きな手が由樹の頭をすっぽり包んだ。
「…………」
由樹は顔を上げ、上司兼恋人を見上げた。
「……マネージャー。今夜、俺にアプローチの特訓お願いします……」
篠崎は部下兼恋人を見下ろして笑った。
「スパルタで行くからな」
「ぜひお願いします……」
由樹は頷き、もう一度デスクに突っ伏した。
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