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時刻は21時を回っていた。
ファミリシェルターの営業スタッフ、牧村元也(まきむらもとや)は、展示場の前で煙草を吸っている板倉に話しかけた。
「設計長、お疲れっス」
「おお牧村。おかえり」
板倉は唇に煙草を咥えたまま振り返った。
「こんな遅くまでプレゼンか?」
「いえ、今日はインテリアの打ち合わせ」
言いながら牧村も胸元から煙草とライターを取り出し、1本咥える。
「若いのにこんな遅くまで仕事して。彼女も怒るだろ」
「あーね。はは」
適当に相槌を打ちながらカチッと火をつける。
「そういう板倉さんは、せっかく新婚なのに。奥さんに愛想つかされないように気をつけてくださいね」
言うと、板倉は上目遣いに牧村を見つめた。
「言うねえ。俺が今まで何をしてたと?」
「え、なんすか?」
「お前の希望、44坪で5LDK、なんとかできたよ」
「マジすか!!」
思わず声が大きくなる。
「ありがとうございます!じゃあさっそく明日、プレゼンかけます!」
「ああ、頑張れよ!」
「うっす!よっしゃあ!」
夜空に向かってガッツポーズをとる若きエースを、板倉は眩しそうに見つめた。
「なあ。マジな話さ。お前、いい子いねえの?」
「は?」
牧村が振り返る。
「彼女ってことすか?」
「そう。28歳。仕事もバリバリで金も持ってて、引く手あまただろうに」
「うーん」
牧村は掲げたガッツポーズを下ろしながら首を傾げた。
「別にいらないすよね、そういうの」
「………はあ」
ため息をつきながら板倉は笑った。
「もったいねえなあ。イケメンでスマートなうちに可愛いお嫁さんゲットしとけよ」
そう言いながら自分の出てきた腹を撫でる。
「30過ぎると余分なもんがついてくんだからさぁ。その引き締まった腹のうちに選んどけって。今すぐ結婚までしなくていいから」
「まあ、そうすよねー」
逃げ道を探して周囲を見回す。
「あ」
「何だよ?」
「見てください。例外もいますよ」
指差した先には、セゾンエスペースの展示場がある。
もう夜も遅いというのに、煌々と灯りのついたリビングに男が立っている。
「30超えてもスタイルが良い人は良いままですよ」
牧村が得意そうに言うと、板倉は深いため息をついた。
「店長の篠崎さんか?あれは例外中の例外だろ。あんなモデル体型の奴と比べるなっての」
言われて牧村は、こちらが暗くて見えないのをいいことに、セゾンエスペースの店長を見つめた。
確かに例外かもしれない。
178㎝の牧村も背は高い方だが、たまに管理棟ですれ違う彼はもっと高い。180㎝以上あるだろうか。
年もおそらくは31~32歳。
いつも高いだけではなくセンスのいいスーツを身に着け、嫌味じゃないコロンの香りがする。
「篠崎さん。確かあの人も独身じゃなかったですか?」
言うと板倉はふっと笑った。
「さあ。俺は他社の奴らはわからんよ」
2人で何とはなしにそれを見ていると、篠崎の影にもう一人いるのが見えた。
「あ」
板倉が口を開ける。
「セゾンちゃんだ」
「セゾンちゃん?」
板倉は篠崎よりも2回りほど背の低い青年を見つめた。
「お前は参加しなかったからわかんないかもしれないけどさ。去年、管理棟でやったイベントで、IHクッキング実演会ってあったんだ。
あの子のエプロン姿可愛かったんだよ、女の子みたいで」
くくくと板倉が笑う。
「だからそれからセゾンちゃんって密かに呼ばれるようになったってわけ」
「へえ」
牧村はその若い青年を見つめた。
「本名は……何て言ったっけな。そうそう。新谷だ。新谷君」
「……へえ。あれが、“新谷、由樹”」
フルネームを口にした牧村を板倉が振り返る。
「なんだ、知ってるんじゃないか」
「あ、いや。先日競合したんで、ちょっとね」
「へえ。あんまりセゾンちゃんを虐めんなよ。隠れファンがいっぱいいるんだから。恨まれるぞ」
「はは」
その顔を再度よく見る。
髪の毛はさわやかに切りそろえられているが目が大きく、鼻も口も主張がない。
色も白く中性的だ。
こんな遅くまで展示場を使ってアプローチ練習だろうか。
見たところ丸きりの新人にも思えないのだが……。
「……?」
上司を見つめる目にどこか違和感を覚える。
と、上司がその頭をペシッと叩いた。
叩かれた新谷は上司を見つめながら笑っている。
頭を叩いたその手が今度は頬に触れる。
触れられた方は、ふり払うわけでもなく照れるわけでもなく、真剣に上司の言っていることに頷いている。
「…………」
「どうかしたか?」
黙り込んだ牧村を板倉が覗き込む。
「あ、いえ」
「戻ろうぜ。いやー、日中は暑いけど夜はだんだん冷え込んできたよ」
言いながら板倉が煙草の火を消し、事務所に戻っていく。
「………確かに。ノンケ受けしそうな顔ではあるね」
牧村は隣の展示場を眺めながらもう1度、煙草を深く吸い込むと、それをセゾンエスペースに向かって吐き出した。