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「今日のご飯は穴子のちらし寿司にお吸い物。豪勢やな」
仕事から帰ってきて、部屋で一服を終わったあと。いつもの和室に来られて澪様はそう言った。
「はい。焼き穴子が安かったんです。澪様、沢山食べてくださいね」
ニコニコと机の上にどーんと置いた桶から、ちらし寿司を器によそう。
酢飯に椎茸、れんこん、にんじんを混ぜ、錦糸卵をふんわりと散らした。
その上に焼き穴子をたっぷりと乗せて、彩りに絹さやも乗せた。
少し味見をしたが、酢飯の甘さ。野菜の歯応え。何よりも脂の乗った焼き穴子の香ばしさが口の中で三位一体となり、改心の出来栄えだった。
姿よく器に盛り付けた、ちらし寿司を澪様にどうぞと渡す。
「お前、ほんまに器用やな。将来は嫁にでも行くつもりか」
「お、お嫁さんっ!?」
考えたこともなかった。
私は誰かと結婚するのだろうか。しゃもじを持って、モゾモゾしてしまうと澪様がふっと笑った。
「お前も男やったら料理より仕事に精を出しや。男は働いてナンボやから」
男。
まだ澪様には女だとバレてなくてホッとする。このまま一緒にいたら、流石に私の月のモノが来て女だとバレてしまう。やはり、そうなる前にお別れをしなくてはと思った。
「は、はい。頑張ります」
「千里やったら、なんでも出来そうやけどな。そうそう。今日お得意様から、珍しいバターと牛乳を貰った。台所に置いてるから好きに使ったらいい」
「バターに牛乳! それは珍しいですね。わぁ、凄い」
「じゃ、食事しよか。あとでまた紅茶頼む。今日は悪いけど僕の部屋に運んでくれ」
「はい。わかりました」
「ん。頼んだ。では頂きます」
澪様はスッと背筋を伸ばして、料理を前に手を合わせるので私もそれに倣った。
そこからは静かに、いつものように食事を楽しむだけ。
和室にはご飯の良い香りと暖かな空気。些細なことかもそれないけど、穏やかなこの時間に胸が暖かくなる。
私も静かに箸を握り、食事を始めた。
食事と後片付も終わり、私は台所で紅茶の準備をしていた。
「今日も澪様、しっかり食べてくれて良かったなぁ。朝の寝坊も謝ったけど気にしてないみたいで良かった。明日は気をつけなきゃね」
うんうんと頷き。棚から紅茶の缶を取り出し、台の上に置く。
お湯を沸かしてカップを用意して──。
視界に入ったのは台所の机の上に置いてあった、瓶に入った牛乳と黄色い箱に入ったバター。
そうだ澪様が貰って来た品物だ。
それらを目の前にして興味心が湧き。ほんの少し味見をした。
どちらも豊かなコクとまろやかな味わいで、目がぱちっと見開くほどに美味しかった。
西洋料理にはこのバターも牛乳も必需品だと聞く。
これは明日、早速西洋料理を試してみたいと思った。
「バターは冷蔵庫に入れて。明日に使おう。でも、牛乳は痛みやすいと言うから。そのまま飲んでも良いと聞くけど」
どうしようかと、思ったとき。紅茶の缶が目に入ってきた。そしてそこには──。
ばっと紅茶の缶を手に取る。
「これは……なんと素晴らしい天啓なのっ。あぁ、なんと素敵な! よし、これを早速作ってみよう」
紅茶の缶に書かれていた、英語の調理法をじっと見つめ。読み解き。牛乳へと手を伸ばしたのだった。
そうしてなんとか出来たものを、ウキウキした気分で銀のお盆に乗せて。澪様の部屋へと運んでいた。
「少し時間が掛かったけど。素晴らしいものが出来たから、きっと澪様も喜んでくれるはず」
手元のお盆のカップから、ふわりと甘やかな香りがする。
「牛乳なんて素晴らしい飲み物なんだろう。これはまさか、ひょとして。いろんな飲み物と合わせることが出来る、奇跡の飲み物ではっ」
新しい飲み物の出会いと、初めて澪様の私室に入ると言うことで、ちょっぴり胸がドキドキする。
この家の最奥が澪様の私室。
そこは唯一、この日本家屋の中で洋風の扉がある部屋。
両手が塞がっているので、扉の前で「お待たせしました」と声を掛けるとガチャリと扉が開いた。
そこには髪を下ろして、粋な茜色の浴衣を来た澪様がいた。
「待ったわ。待ちすぎて先に風呂に入ってしまったぐらい」
「それはお待たせしてしまい、すみませんでした」
お茶を作るのに、つい熱中し過ぎたかと思ってしまった。
「冗談や。風呂には先に入ってたけどな。いいから部屋の中に入れ」
「はい」
言われるがまま、部屋に一歩入ると──部屋の美しさに声がわぁと出た。
部屋はなんと西洋式になっていた。
床は緋色の絨毯。天井にはガラスの傘がスズランみたいな電灯。
そして良い香りがした。
甘く爽やか。なのに清澄さも兼ね備えている。
広い部屋には天蓋付きのベッドに、洋式の机、専門書がずらりと並んだ書架。ランプ。|十字架《ロザリオ》に香炉──あぁ。この香炉から白檀の香りがする。澪様が常に纏っていた香りは白檀だとわかった。
そして、机の前には瀟洒なガラス板の机。椅子は籐で編まれたもの。
どれもこれも一級品だと感じた。
「な、なんて素敵なお部屋でしょう! まるで──お姫様のお部屋みたいっ」
「僕がそう言う趣味みたいに聞こえるから、やめろ。そんなことはええから、紅茶ありがとう。ほら、そこのガラス机の上にお茶置いて」
指定された机に銀のお盆を落いて、籐の椅子に座れと言われたのでおずおずと椅子に腰掛ける。
「本当に凄い綺麗なお部屋ですね。びっくりしてしまいました」
「別にどうってことない。帝国ホテルとかこんな部屋やった。そのうち日本に西洋文化はもっと根付くはず」
帝国ホテルってこんな感じなのか。
私には一生縁がないだろう。にしても西洋文化は澪様によく似合う。
こうしていると本当に、異国の方とお喋りしている気分だと錯覚してしまう。
あと、少し。えーっと。向かいに座った澪様が艶っぽくて目のやりどころに困ると言うか。なんと言うか。
着物じゃなくて浴衣に着替えているせいで、いつもよりはっきりと鎖骨が見えていた。それに口元の黒子が艶やかに見えるし。
金髪の髪はさらさらと揺れて、色香を後押ししているようにも見えて仕方なかった。
澪様──女の人でも絶世の美女なんだろうなと、あらぬことを妄想していると「なんやこれ」と、澪様の驚きの声がした。
ハッとすると澪様がカップに口付けて、びっくりされていた。
「牛乳を好きに使っていいと言われたので、ミルクティーを作ってみたのですが」
そう、紅茶の缶には紅茶の淹れ方と。その応用が記載されていた。その応用がミルクティー。
紅茶を濃く作り、温めた牛乳を紅茶と混ぜ合わせて淹れたものだ。
「千里がこのミルクティーを……」
「はい。紅茶の缶に作り方が書いてあったので作ってみました。あぁ、でもちょびっとだけ手も加えました」
「手を加えた?」
まじまじと手元のカップを見つめる澪様。
「澪様は甘いものが好きと言うことで、お砂糖を多めに。すると茶葉の風味が薄く感じやすくなるので、記載された茶葉の量より多く、たっぷり使って紅茶を濃く作り。そして、ほんの僅かにバターを隠し味に……そうやって調整してみましたが、お口に合いませんでしたか?」
「いや、懐かしい味わいで……昔よく作って貰ったミルクティーに似てる。美味しくてびっくりした」
澪様はそう言うと「本当に美味しい」と、優しく花のように微笑んだ。
その笑みは臣様が笑う様子と良く似ていた。
やはりお二人は兄弟だと実感する。そして。ミルクティーを作った人物とは。
「それは── 」
乳母様が作られたのでは? と言いたくなるのをこらえて。
「それは良かったです。お代わりありますよ」
「あとでまた貰うわ。さてと、今日は僕の部屋に呼んだ理由は、ちょっと色々聞きたいことがあったから」
「それは、なんでしょうか?」
澪様は満足そうにカップを机の上に置いて。代わりに。懐からあのノートと、赤いセロハンの飴玉を置いた。
机の上に置かれた、赤いセロハンの飴玉は臣様から貰ったものと同じ。
飴とノート。これらがどうしたんだろうと、思っていると。
澪様の瞳がすっと細くなった。
「このノート。昨日、一日見当たらなかったのに、僕が帰って来たら和室からぱっと現れた。なんでか知ってるか?」
淡々とした口調から『全てお見通し』と、言われているようでドキッとした。
「……さ、さぁ。私には分かりません」
「じゃ、昨日。千里が寝てしまって布団に運んだのは僕やねんけど。そのときに千里の着物から、その飴が落ちてきた。この飴は誰から貰ったんかな?」
よりにもよって、私はそんな場面で飴を落としてしまっていたのか。
澪様の視線を躱したくて、しどろもどろで応える。
「えっと。買物に行ったとき、その辺の人に貰いました」
藤井屋に出向き、お兄様に会って貰いました。なんて言えない雰囲気だった。
「これ。輸入製品の飴で。その辺に売っているモンとは違うねんけどな。そうそう、藤井屋はこの飴を昔から取り扱っている。しかも僕もクソ兄貴も良く好んで食べていたっけな」
「へ、へぇ。そうなんですカ。私にはよく分かりませン」
否定の言葉はグダグダ。
これでは私とお兄様が会っていたとバレバレだろうと思った。しかし、それでも認める訳にはいかなかった。澪様はふーんと首を傾げた。
「僕の予想はこう。千里がこのノートを藤井屋に届けに行った。もしくはクソ兄貴がこの家に来た。千里とクソ兄貴は接触を持った。その証拠がその飴」
──どうせ、お駄賃とかお裾分けとか言って。クソ兄貴がばら撒いたんやろと、言いながら。
澪様の長い指先が飴玉をころんと弾いて、私の前に転がってきた。
「理由はどうあれ。一日だけこのノートはこの家から消えた。でも、一日後にノートが戻って来た、その理由はなんやろな? なぁ千里?」
ふふっと笑う澪様。
その翠緑の瞳はちっとも笑ってない。それでもしらを切ると。
澪様はこちらを見下ろすように、顎に手をやって「そうか。言いたくないか」と言ってから。
「じゃ、最後に。お前。女やろ」
ハッキリとそう言った。
「!?」
動揺してガタッと籐の椅子を揺らしてしまう。
澪様は余裕たっぷりに机に肘をついて、私を観察するように、手の甲に顎を乗せてこちらをじっと見ていた。
「可愛いらしい顔だとは思っていたけど。その驚きの顔。行動。あからさまやな。もう少し否定の演技ぐらいしらたどうや?」
「な、何を言うのですか。私は飴玉もノートのことも良くわかりません。それに……わ、私は男ですっ」
「舐めんなや。お前を運んだとき、体に触ったら男か女か流石にわかるわ」
「──!」
息をひゅっと飲み込んでしまう。
一気に顔が熱くなり、なんと言っていいか分からなくなった。
とても恥ずかしい。女だと言うことがバレた。なのに私はちっとも女らしい格好をしてない。澪様の方がよっぽど私より女らしくて素敵で……。
色んな感情が頭に多い被さり、澪様の顔が見れなくて下を向いてしまった。
「初々しい反応やな。って、虐めたい訳ではないし。三日ほど騙されてしまった僕も僕やからなぁ。ちょっと変なヤツとは思っていたけど、まさか女とはな」
「──それは」
私の男装の理由は説明しずらい。
どうしようかと口籠る。
「……男装の理由については過去には興味ない、って言ってしまっているから。千里が事情を話したいなら話せばいい」
その言葉に胸が詰まる。
口をパクパクと開いたのち。
私は言葉が出なかった。私の事情に巻き込んでしまうのが嫌だった。
小さく。ごめんなさいと私はまた頭を下げた。
「……そうか。話す気はないか。黙秘でも僕に口を出す権利はない。もしくはクソ兄貴に脅されていて、話せない可能もあるしな」
そんなことありません!
と、強く否定しようとばっと顔を上げると先に喋ったのは澪様。
「それでも、お茶会を滅茶苦茶にすると言う約束は守って貰う。お前が女だと分かって、白けた感じはあるけどな。ケジメみたいなモンかな」
「……はい」
澪様はふっと呼吸をしてから、机の上に白い封筒を置いた。
「それは当日の主席者。お茶会の日程が書かれたもの。既に寺には抹茶や道具などが運びこまれている。その中に下剤も……いや。やっぱり、女に暴れて来いはないな。それか茶会の席で、クソ兄貴の子供でも孕んだとか言う方が生々しかったか」
「あの、澪様。私」
「はぁ。もうええわ。当日、暴れるのも、逃げ出すのも、千里の好きにしたらええ。最初から行き当たりばったり。無茶苦茶になったら面白いとか、人買いが胸糞悪いから邪魔したかった……とか。そんな感じやったしな」
やれやれと言った様子の澪様。深く椅子に腰掛けて気怠そうだった。
「澪様、怒ってますよね?」
私の言葉にチラッと緑の瞳を向けた。
「んー……子供に怒っても仕方ないやろ。今回は僕の読みが甘かった。それ以上に……」
「それ以上に?」
「同じ釜の飯を食べたのに、千里が事情を言わないのが気に食わない。けど無理に吐かすのは違う。でも、千里は何か僕を騙そうとしている様子はないし。総じてモヤモヤする気分になるけど、ミルクティーに免じて、これ以上はやめとく」
素直に全部喋るのが、澪様らしいというか。なんと言うか。だからこそ、黙っていることは胸が苦しい。
「本当に申し訳ありません。今、私がなぜこのような姿をしているのか、全てを話すときっと迷惑をかけてしまう。それが嫌なのです。でもお茶会の当日は澪様に報いるようにします。必ず」
「ふぅん?」
「私と臣様に何があったかは、ここを出るときに手紙を残します」
「そうか。さぞ愉快な手紙で笑えることを期待しているわ」
軽い口調なのに、部屋に重い空気が流れた気がした。
澪様はまた一口ミルクティーを含み。独り言のような声を漏らした。
「お茶会……抹茶、苦いねん。飲まずに済む思ったんやけどな。代わりにこのミルクティーが出て来たらええのに」
「お抹茶、お嫌いですか?」
沈黙がなんだか嫌で他愛のないことを聞く。
「葉っぱを食べてるみたいな気持ちになる」
人の味覚は千差万別。辛いものが平気な人もいればそうじゃない人もいる。
澪様の舌は苦味に弱いのかもしれない。だから──って。
あ。
今の澪様の言葉で頭の中にパンッと、桜の花が次々に開花するように、あることが思いついた。
澪様と臣様。
兄弟。
飴玉。
甘い。
牛乳。
苦い。
そうか。
分かった。
私のやるべきお茶会が見えた!
「千里。明日と明後日はお茶会の用意と準備。挨拶回り。僕も色々と駆り出されて忙しい。帰りは遅くなるから飯はいらん。その間、好きに過ごしたらいい。当日の朝には一応、戻って来るからって、聞いてるか?」
「は、はいっ! すみませんっ」
「ホンマに聞いてるのか。子供は呑気でええなぁって……千里は人買いに攫われそうになっていたから、そうでもないか。お互い苦労するな?」
淡く澪様は微笑した。
私はこくりと頷く。
内心、今思いついたことを今すぐに、実行したくて仕方なかった。全てを打ち明けたかった。
でもまだ言えない。
私が出来るのはきっかけ。
澪様を癒せるのは臣様だけだ。
苦労したからその分。きっと良いことがある。
少なくとも私が必ず澪様と臣様を繋ぐ。
お二人は私にとても良くして下さった。これほどの一期一会の出会いがあるだろうか。
それを口に出せないのが寂しい。でも、それもお二人を思えばこそ。私は優雅にミルクティーを飲む澪様を見つめた。
「そうですね。これは苦労だと思います。しかし澪様に出会えました。一期一会の出会いに感謝しております」
「……変なやつ」
「そうかもしれません」
にこりと笑ってみた。
そしてこのひとときが、私と澪様がゆっくりと会話する最後のひとときかも知れないと思った。
澪様にもっと色んな事を聞きたい。澪様のことを尋ねたい、知りたいとか思ったけど──。
結局出て来た言葉は「ミルクティーのお代わりいかがですか?」だった。