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五日目、六日目。
私は七日目のお茶会に向けて大忙しだった。
澪様は朝早くから出掛けて、夜遅くに帰って来る。
食事はいらないと言っていたが、せめてお夜食をと思っておにぎりとお漬物を用意していた。
それは朝になると、無くなっていたので良かったと思った。
少しでも澪様のお顔を見たかったが、何しろ私自身が七日目のお茶会の準備に追われて、早朝は起きれず。夜は二十一時を回ると、瞼がとろんと下に落ちてしまうのだった。
五日目はまずはお茶会に来る人と、場所を把握をする為に宗南寺に向かった。
宗南寺は大きな本堂に広い境内。立派なお寺で格式高いお寺だった。
そこの住職様に《《私の事情を説明》》して。百聞は一見に如かず。お茶の一席を設けて貰い、お互いにお茶を飲み、私のことを理解して貰った。
その時に臣様から貰った名刺も、私が怪しい者じゃないと言うのに役に立った。
住職様の協力を得てから、宗南寺に運ばれた茶道具の確認。その後、あちこちに買物に奔走。資金はあの水濠で拾った紙幣を使った。
それだけで五日目は終わった。
六日目はお茶会で披露するお茶の練習を昼過ぎまで行い、調整や配分を繰り返し。納得のいくものは出来た。
そしてその夜。二十時を過ぎたころ。
簡単な食事とお風呂はカラスのような行水を終えて、部屋で質屋で買って来た着物とカツラを前にして──ひたすら作業をしていた。
「着物の裾上げはこれで終わり。帯揚げ、髪飾り、明日着る着物はこれでよしっ。次は長い髪のカツラを綺麗に梳いて、結い上げねばっ」
さっとカツラを手に取り、櫛で丁寧に梳きながら一人言葉が止まらな無かった。
「主賓の皆様には私と住職様がお茶を立てる。それから、私一人で……下剤や爆竹とか危ないものは宗南寺には無かった。ちんどん屋さんも来ない。えーと、お茶会に使用する材料は明日の朝、宗南寺に届く手配をしているから、大丈夫……」
やることは多いけど、全て上手くいく。そう信じるしかない。
迷いを払うようにすっと櫛を下に流せば、カツラの黒髪がしなやかに揺れる。
舞台用のカツラらしいが出来はいい。きっと私が被っても違和感はないだろう。
「明日は臣様が藤井屋を継ぐと宣言。そこから商売繁盛祈願をして、お祝いのお茶会を開く、か」
私は紹介状を持っていて、表面上では藤井屋のお手伝いとして宗南寺に潜り込める。
しかし、澪様にお会い出来るかは難しいところだと思った。
ご両親と軋轢があったとしても、澪様は藤井屋の関係者に違いない。
私に会う暇などなく、関係者への挨拶や式の準備に追われているだろう。
今日、澪様がこの家に戻ってくるのか、それすらもさっぱりわからない。
「やっぱり、澪様の部屋でのお茶会がお話しする最後の機会だったかなぁ」
ふぅっと、髪を梳く手を止めて。
和室に視線を巡らせる。当然だが部屋には誰もいない。この部屋で澪様と食事をしていたのが懐かしい。
「澪様もそう思ってくれるかな」
口ではそう言っても、私がこの家にいたと示すものを残すつもりはない。
ボロの着物も持って行く。
今身に付けている着物は全て置いていく。
それでも澪様の心に残るものが雪片でもあれば嬉しい。とんでもない出会いだったけど、私には大事な一期一会の出会い。
「今日まであっと言う間だった」
声を出すと静かな和室がより、静けさを増した気がした。
質屋で逃亡用の質素な男物の着物を買った。髪はまだ短いままだから、しばらく男装をしていよう。でも水濠で拾った資金は、ほぼ底を付いた。
「警察に相談する前に一度、地元に帰ってみても良いのかもしれない……」
あそこは確か、私の一族が所有していた土地。
せめて権利書とか残っていればいいけど。
戻ったらアイツらと鉢合わせになる可能性もある。
今後の身の振り方が未だ定まらず、不安さから頭が下がってしまったのに気が付いて頭を振る。
ううん。
今はお茶会のことだけを考えよう。
私の茶道を。
気持ちを。
ちゃんとお伝えして、澪様と臣様の溝が埋まればそれでいいじゃないか。
良いことをしたら、きっと私にも道が開ける。神様が見ていてくれる。
「そうですよね、お父さん。お母さん……大爺様」
尊敬する人達の名を呼び。
なんとか気持ちを入れ替えて、明日への準備をして行くのだった。
七日目の朝。
頑張って朝早く起きて、部屋の時計を見ると六時。太陽の光もまだほのか。
「澪様、いるかな」
ふぁと、欠伸をして枕元をみると茶封筒が置いてあった。私、こんなものを用意していたかな?
なんだろうと思い封筒の中を見ると、達筆な字で一枚の紙に『雇 藤井澪』『俸金』と本日の日付けが書かれ。
この一週間、私が奉公をしたと言う記載とお金が入っていて目がバチっと開いた。
「嘘。こ、こんなにも貰えないっ」
いつの間に帰って来たの澪様っと思いながら、家に澪様の影を探すが居なかった。
白じろと朝日が差し込む玄関には、澪様の履き物はもうない。
一度家に帰ってきて、またすぐに出て行ったんだろうと思った。
封筒をきゅっと握り締めて、このお金も置いて行こうと思ったが。
『少ないと不満やったか? 生意気な』
とか。澪様が言ってきそうで、くすりと笑ってしまった。
これは有り難く頂戴するべきなのだろう。
ありがとう。澪様。大事に使わせていただきます。
「──さて、お手紙を書いて。お部屋最後に掃除して。私も出掛ける準備しよう。このお礼は美味しいお茶を振る舞うことで、少しでも返せたらいいな」
朝の清澄な空気を肺に取り組んで、開始するのだった。
身支度を整えて澪様の家を出て。
宗南寺に着くと太陽は青空に輝くしく浮かび、陽の光はくっきりとして快晴だった。
そして、その宗南寺は沢山の人が行きしていた。
藤井屋の登りまであちこちに出ていて凄い。
境内には振る舞い酒に振る舞い餅が、藤井屋の法被を来た人達がせっせっと配っており。それを目当てに子供や大人達が皆にこにこと列に並んでいた。
まるでお正月の初詣みたいな明るさ。
着飾った人達は、境内の奥に居て何やら談笑をしている。
風に乗って楽しげな会話が聞こえてきた。
「茶道の達人。住職様のお茶を飲めるなんて楽しみやな」「さすがは藤井屋やで」「藤井兄弟、見ましたか奥様?」「どっちもええ男で眼福やわぁ」
きっと、あの人達が本日のお茶会の参加者なのだろう。
「皆、今日のお茶会楽しみにしている。頑張らないと」
私までこの明るげな雰囲気に流されてしまいそうなるが、両手にずしりと持った風呂敷が私の気持ちを引き留める。
そしてこの賑わいの中に金髪の人影を探してしまうが、見当たらなかった。
やはり、一目ゆっくりと澪様に会う機会はなさそうだと苦笑した。
──華やいだ光景に気を取られるけど、振り切るように。そろりと境内へと足を進めた。
お寺に近づくと運良く住職様にお会い出来て、今日のお茶を楽しみにしていると仰って下さった。準備も道具もばっちりと太鼓判を押して下さり、胸をほっと撫で下ろす。
私も何卒よろしくお願いしますと、言いながら本堂の後ろにある|庫裡《くり》へと上がらせて頂き。住職様と一度お別れをして、部屋の一室で準備を始める。
お借りした部屋は寺務所の一室らしく、無機質な机と棚が置かれていた。
紙とインクの香りがして市役所などの作業部屋を彷彿させる。
部屋の向こう側の廊下ではお坊様やお手伝いさんが、忙しいそうにパタパタと行ききしていて、もう少しで本堂にて祈願が始まると思った。
「この祈願が終わったら、そのまま本堂で祝いのお茶会か。こんな立派なお寺での催し物を滅茶苦茶にしたいだなんて、澪様はよっぽど……」
その先の言葉は言わず。
唇をきゅっと引き締めて、持って来た風呂敷を広げて着替えを始めるのだった。
私の準備が終わる頃には、庫裡はすっかりと静かになっていた。
皆、本堂に集まっているのだろうと思った。そろりと部屋を出て、本堂と繋がっている渡り廊下へと歩く。
そのとき。
静かな長い廊下の壁に掛けてあった鏡に、自分の姿が映ってビクッとしまった。
何故なら、ここ最近見慣れた短髪は緑織りなす黒髪の結い髪に。
着物は薄桃色に、古典柄の白桜柄を身につけていて別人みたいに見えたからだ。
見た目は女性らしいと思う。自分じゃイマイチよく分からないが、この姿で男には見えないだろう。
「我ながら上手く化けたよね? 質屋さんで吟味して買ったから大丈夫なはず」
鏡を見つめて姿を確認する。
足袋だけは真っ白な新品を買った。
帯留は若草色。華美すぎず。地味過ぎず。
今日みたいなお祝いの日にはこれぐらいで良いだろう。
「って、ゆっくりもしていられない」
ふぅっと息を吐いて本堂へと向かう。
本堂に繋がる屋根が付いた渡り廊下に出ると、境内は静かになっていた。
数人の人達が後片付けをしていて玉砂利の小気味良い音と。本堂から祝詞を上げる声がした。
その旋律はとても美しい響きだった。
微かに抹香の香りも漂い、厳かな空気感はこの渡り廊下まで伝わっている。今、本堂には藤井屋の皆様の他にも沢山の来賓の方々がいる。
今から私がしようとしていることは、ひょっとして顰蹙を買うかもしれない。澪様の希望通りに、お茶会を滅茶苦茶にしてしまう可能性もある。
だからと言って──。
「逃げる選択はない。やれるだけやろう。久々のお茶会。和敬清寂の精神でいつも通りに」
さぁと思い。渡り廊下を進むのだった。
私は本堂に近寄り。こそっと柱の影から中の様子を伺う。
──本堂は真四角の作り。
中央正面に立派な内陣があり。ご本尊様が金色に輝き、周囲の色鮮やかな仏具は美術品のような気高さに包まれていた。
それらを前にして、青い畳の上に藤井屋に招かれた人達がずらりと。まるで法要みたいに行儀よく座っている。
揃いの藤井屋の法被を着た人達が綺麗に並んでいて圧巻。
その中には藤井夫妻と思しき人達や、藤井屋のお得意様だろうか。スーツを来た人達や外国人の方々も見えた。
「皆様、立派な方々なんだろうな」
ぽそりと呟く。
その中で一番前に座して、一際目立つ二人がいた。
それは私がこの本堂の中で唯一、見知った顔のお二人。澪様と臣様。
どちらも黒の紋付袴姿をしており、髪を後ろに撫で付けて臣様はまるで歌舞伎役者。澪様は銀幕のスタァと言った華やかさ。
「み、澪様。金髪をきゅっと纏めてられていて素敵。臣様の貫禄も凄い。奥様達が噂をしていただけはある……!」
わぁと声を上げてしまいそうになるのを堪える。
凛々しいお二人をずっと見ていたくなるような、精麗な光景だった。
住職様が「──では、これより祝いの茶会へと移りまする」と言うと、張り詰めた堂内の空気が少し和らいだ。
「茶会。いよいよだ」
住職や周りのお坊様達が、お茶会の準備をテキパキとしだした。
その間に堂内に談笑の声が上がったが、澪様と臣様は会話をすることもなく。目線も合わさず。お二人ともじっと正座をしていた。
きっと、これが普段のお二人の様子なのだろう。澪様も臣様も表情豊かなのに、今はその片鱗さえ見えなくて柱の影からソワソワしてしまう。
「だめ。落ち着いて。心を乱さないで。今誰よりも悩ましいのはお二人なんだから」
悩みは本人達にしか解決が出来ない。ただし、他人だからこそ手助け出来ることもある。深く深呼吸して、息を例えると本堂の中心にいる住職様が凛とした声を上げた。
「お待たせ致しました。これから藤井屋の新たなる門出を祝いまして。私と──もう一人のお方とお茶を点てたいと思います」
来た!
住職様の合図だ。打ち合わせ通り。
いざと、背筋を伸ばして本堂の中へと入っていった。
すると突然の私の登場に空気がざわりと揺れた。
それもそのはず。ここにいる皆様は住職様のお茶を期待していたのだから。
しかし、その他ならぬ住職様が私を呼んだ。そのお陰で、私を本堂の中に入るのを止める人は居なかった。
澪様も臣様も目を丸くしているようだったが、声は上げず。じっと不思議そうに私を見つめていた。
それと──聞き間違えなかったら。
この本堂に入ってきたとき『可憐だ』『どこの令嬢かしら』と言う声を耳にして、賛辞の言葉は衣装のおかげだと思った。
それでも今の私はちゃんと女性に見えるようで、内心ほっとした。
しっかりと前を向くと、仏様の前に茶道具がずらりと並んでいた。
中陣に茶碗、棗、茶杓、水差し 、柄杓、茶釜、袱紗、茶筅達が《《二組ずつあり》》。
私が希望した保温機スキットルと、もう一つの棗。その中には抹茶ではなく、アレを予め砕いて入れておいた。それらもちゃんと用意して頂いており、住職様に心の中で感謝をする。
中陣へとは入る前に。頭を下げ。
仏様に手を合わせて、祈りを捧げてから茶道具が揃った住職様の隣へと正座をした。
当たり前だが仏様を背にすると。眼前には澪様、臣様。そして皆様の前に座ったことになる。
皆様は興味津々、私に向かってどこの馬の骨かと言う|誰何《すいか》する視線を投げ掛けていた。その視線をきっちりと受け止めて。口を開いた。
「皆々様。私は千里と申す者でございます。かねてより藤井屋の御高名を拝聴し、斯くの如く藤井屋御継承の慶事を賜りましたこと、心よりお慶び申し上げます。本日。かく麗しき場に参上したのは私からも、祝いの茶を点てたく存じ。図々しき願いながらお許しを賜れば幸いにございます」
言い切ったあと、臣様と刹那の視線を交わして頭を下げた。
臣様はすでに藤井屋の当主。その臣様が今から私がお茶を点てることを許して頂ければ、誰も咎めやしない。住職様のお膳立てもある。あとは臣様の許しを得たらいい。
だから千里とちゃんと名乗ったのだ。
私を一目で女と見抜いた臣様ならこの姿でも、私のことを分かってくれるはず。そう思いながら頭を下げていると。
──千里殿と声を掛けられ。
頭を上げると臣様は爽やかに微笑していた。
「まるで姫君のような華麗なお姿で、この佳き祝いの席に参じてくれて誠に嬉しく存じます。千里殿の手にて、お茶を自由に点てて下さい。その風情を心より楽しみにしております」
思わずやった! と言いたくなるところを静かに「ありがとうございます」と言った。
そんな私と臣様のやり取りに澪様は最初は口元を抑えて、驚いた表情をしていたが。最終的には口元から手を離して、にやっと笑っていた。
それは『これは面白い。お手並み拝見』と言われている気がした。
『見ていて下さいね』と、心の中で返事をして、次は英語で後ろの外国人の方々へと喋った。
「Everyone, I will make delicious tea from now on, so please forgive me. I look forward to working with you today.」
(皆様、今から私が美味しいお茶を淹れさせて頂きますので、何卒ご容赦くださいませ。本日はよろしくお願いします)
すると本堂にザワっと驚きの空気が流れたが皆様の顔は訝しげなものから、明るい表情へと変わった。
ここに居る人達は堺の豪商や名士の方々。澪様のみたいに珍しい、面白いものが好きなのだろう。突然現れた私が英語を喋り。お茶を点てると言うことで、その人達の興を味方に付けたと思った。
これで舞台は整った。やれる。私のお茶を点てれる。
胸がドキドキするのに頭は凄く澄み渡っている。
あぁ──なんて心地よい。
住職様がではと、私と向かい合わせになった。
私も体を住職様へと向ける。
私達の間には茶道具が境界線みたいに並んでいる。住職様が私を見て微笑んだ。
「まさか貴方様とこのようなお茶会で、あい見えるとは思いもしませんでした」
「こちらこそ、巻き込んで申し訳ありませんでした」
視線が交わり。私達の声が重なる。
『これも一期一会なり』