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夕暮れを過ぎ、夜の帳がゆっくりと降りる。
私は薄暗い廊下を抜けて、自分の部屋へ戻った。
新しい家ーーけれど、
まだどこか借り物のような匂いがする。
東京から急に連れてこられたせいで、
部屋の隅には まだ開けきれない段ボールが
積まれていた。
制服を脱ぎ 部屋着に着替えると、
ベッドの上に腰を下ろす。
手には一冊の文庫本。
小さな活字を追いながらも 心は別のところにあった。
ページをめくるたびに、
放課後の教室での光景が蘇る。
「大丈夫やで、俺もおるし。」
不意にかけられたその言葉が、
何度も頭の中で反響する。
――なぜだろう。
あの一言だけで、胸の奥が少し温かくなる。
紫鶴「ばかみたい、…笑」
小さく呟き、首を振る。
でも、ページの文字はもう目に入ってこなかった。
窓の外からは、秋の虫の声が微かに聞こえてくる。
その響きに重なるように 私の胸の奥ではまだ、
夕暮れの声がやさしく残っていた。
教室の真ん中あたりは、いつだって賑やかだった。
俺と友達3人は しょうもないことで笑い合い、
ふざけ合って過ごすのが日常。
たとえば誰が体育祭で一番活躍できるかとか、
どうでもいい勝負をして。
そんな時間は楽しくて、何も考えなくていい。
けれど、ふとした瞬間に 目は自然と
窓際の方へ向かっていた。
そこには、転校してきたばかりの女の子がいる。
華道 紫鶴
彼女はいつも一人で 窓の外をじっと見つめていた。
微笑んでいる。けれど、なぜかその笑みは寂しそうで。
ーーどうしてだろうな。
気づけば、その横顔から目が離せなくなっていた。
修哉に肩を叩かれ
修哉「おいー、聞いてるんか?」
と笑われる。
一舞「ん?なんやっけ笑」
と返しながらも、心は別の場所にあった。
俺だけが、あの子の微笑みに隠れた
寂しさに気づいている。そんな気がして。
そして、体育祭のリーダー決め。
結局、俺は男子リーダーに手を挙げた。
誰もやらない空気に耐えられなくて、
いつもの調子で笑って立候補しただけだけど。
まさか、女子リーダーに選ばれたのが
彼女だとは思わなかった。
クラスの空気はどこか疑わしげで、
彼女自身も不安そうにしていた。
だから俺は、迷わず笑って「よろしくな」と微笑んだ
ほんの一瞬、彼女が驚いたように目を見開いたあと
微笑み返してくれたのを鮮明に覚えている。
ーー胸の奥が、不思議と熱くなった。
放課後、
教室に残ったのは、俺と彼女だけ。
机を向かい合わせて体育祭の作戦を考える。
一舞「…でさ、まずはみんなで 足並みを
揃える練習から始めた方がいいやんな」
そう言いながら、彼女の反応を伺う。
紫鶴「うん。最初から速さを意識すると 、
きっとバラバラになるから」
と答えた。
その声は細いけど、芯のある響きだった。
俺は思わず笑った。
一舞「おー、ちゃんと考えてるやん。」
彼女は少しだけ目を伏せて、唇に儚い笑みを浮かべる。
その瞬間、胸の奥がチクリとした。
「こんな表情をするんだ。 」
気づけばまた、彼女に見惚れてしまっていた。
夕暮れの光が彼女を包み、
窓から差し込む橙色に髪がふわりと揺れる。
その横顔は、教室の喧騒の中で見たときと同じ。
笑っているのに、どうしようもなく寂しそうで…
だからこそ 目が離せない。
紫鶴「…でも」
彼女がぽつりと呟く。
紫鶴「みんなの輪に、私うまく入れるかな。」
不安を隠しきれない声
その言葉に、俺の胸がぐっと締めつけられる。
ほんとは、俺も気づいていたんだ。
彼女がずっと一人でいることに。
あの窓際の笑みが 寂しさでできていることに。
でも今まで、ただ眺めることしかできなかった。
だから、今度こそ。
一舞「大丈夫やで、俺もおるし。」
自然を装って言った言葉は、
本当はずっと伝えたかった想いそのものだった。
紫鶴「うん…!」
彼女は一瞬驚いたように俺を見つめ、
やがてわずかに頬を染めて 答える。
その小さな返事が、胸の奥に深く刻まれる。
放課後の静かな教室で、二人の影が長く伸びて
並んで揺れていた。