テラーノベル
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どこまでも清潔な、白いゴム張りの廊下を歩く。足取りは昨日よりも重い。もしあの後また何かあって容体が悪化していたらどうしよう。受付は何事もなく通されたのだしそんなことはないと分かっていても、この長い廊下を進んで辿り着いた部屋がもぬけの殻になっていることを想像して、勝手に気分が落ち込んでいく。
昨日のマナくんには一体何が見えていたんだろう。この目が幻覚の花で覆われているうちに、もしもリトくんに何かあったら。きっと僕じゃ気付けない。なら、僕がこうして見舞いに来ていたってしょうがないじゃないか。……もう帰っちゃおうかな。
なんて考えているうちに、いつの間にか目的地に着いてしまうんだけど。
「……お邪魔します」
「おや、本当に来ましたね。お久しぶりです、イッテツ」
ドアを開けると、花よりもシルエットの大きなラベンダー色が目についた。
その主は、僕を見つけるとミステリアスな笑みをたたえて両手をひらひら振ってみせる。
「あれ、るべくん? どうしたの?」
「どうしたもこうしたも……隣国の仲間が大怪我で入院したなんて聞いたら駆けつけるのがヒーローでしょう?」
「いやそうじゃなくて、今日僕の代わりに東の街のパトロール任されてるはずだよね?」
「…………サボりです。悪いですか?」
悪いか悪くないかで言うとまぁ良くはないんだけど。どこか納得のいかない気持ちで、差し出されたパイプ椅子に座る。
一時的なものとはいえ4名中2人が使えなくなったOriensの代わりに、Dyticaの誰かが日替わりで任務を担当してくれることになったというのは本部からの連絡で聞いている。
それこそ先日リトくんが怪我を負った戦闘以来敵からの攻撃はすっかり鳴りを潜めてはいるけど、それにしたってここまで堂々とサボり宣言できるのはさすが西の国の詐欺師……もとい鑑定士の星導くんと言わざるを得ない。
「本当は小柳くんも呼んでいたんですけど、断られちゃいました。こういうとこ薄情ですよね、彼」
「サボりに加担したくなかったんじゃない? 普通に……」
いつもと変わらない花の景色から目を逸らすため星導くんの方へ視線を遣ると、収納棚の上に見覚えのない硝子細工が置かれていることに気がついた。
「……それ、るべくんが持ってきたの?」
「ああ、これですか? 俺なりのお見舞いの品といいますか、まぁ店の備品なんですけど」
星導くんがその長身をぬるりと傾けると、透き通ったオレンジ色の花が見えた。花瓶に差されたようなデザインのそれは一輪ずつ丁寧に作られていて、それぞれずれないよう固定されている。
勝手に持ってきていいの? と聞くと、「まぁ俺の店なんで」と涼しい顔で返された。
「チューリップをモチーフにした硝子細工です。病院で生花はNGらしいと聞いたので、これなら良いかと思いまして……気休め程度ですが、治癒力を高めるまじないもかけられているんですよ」
「そっか、ありがとう。……いや、怪我させた僕が言うのも変か。はは」
冗談のつもりだったのに、星導くんはちょっと困ったような顔をして笑った。気を遣わせちゃったかな。何だかここ数日で色んな人に気を遣わせてばっかりだ。
気まずい空気を誤魔化すように、改めてその硝子細工のチューリップを眺める。素直に「綺麗だな」と思うと同時に、「またこの部屋に枯れない花が増えちゃったな」なんて余計なことを考えてしまう。
僕はチューリップが少し苦手だ。植物なのにいやに肉厚なその花弁は、僕の中の『花』という概念を揺さぶりかけてくるから。
緻密に再現されたそれはまるで生き物みたいに脈が透けていて、今やリトくんの生命力を吸い取っているようにさえ思えてしまう。
きみはそんなに弱い人じゃないのに。
現にきみの生命を脅かしているのは僕の方なのにね。
ふと情けない弱音が飛び出しかけて、口をつぐんだ。つぐんだのに、飲み込めないまま、喉の奥に燻ったままでなかなか消えてくれやしない。星導くんは何も言わずにリトくんの方を眺めている。
……彼なら、少しくらい聞き流してくれるかな。
「ちょっと、話半分で聞いてくれて良いんだけどさ」
「? はい」
「……僕って、ヒーローに向いてると思う?」
星導くんは一瞬目を丸くして、何度かぱちぱちと瞬きをした。鳩が豆鉄砲を食らったような顔ってこういう顔のことを言うんだろうか。
星導くんの所属する西の国のヒーロー集団『Dytica』は、メカニックであるライくん、暗殺組織の首領で剣術の達人であるロウくん、忍者の里のエースであるカゲツくん、そしてタコの特殊能力を持つ星導くんで構成されている。それぞれが自分の個性を活かした強さを持ち、普段なかなか息の揃わない彼らでも戦闘となると途端に統率の取れた動きを見せることで有名だ。
つまり、何が言いたいかと言うと──西の国には、僕みたいな足手まといがいない。戦闘が弱いだけでなく仲間の安全まで脅かすまさに戦犯たる僕は、そんなエリート集団に属している星導くんから見て、ヒーローとしての義務を果たしていると言えるんだろうか。
星導くんはリトくんの方をちらりと見遣って、しばらく考え込んでから顔を上げた。
「……例えばなんですけど、俺ってパッと見でヒーローに見えますか?」
「え? 何突然、そりゃもちろん……」
そこで思わず口ごもってしまった。
パイプ椅子に座って脚を組んでいる星導くんは、少したじろいでしまうくらいの長身で、体型の分かりづらい大きなシルエットの衣装に身を包んでいて、腰に巻いたオーロラ生地は彼の浮世離れした雰囲気を助長させている。不思議な模様、モチーフ、何が入っているのかよく分からない大きな鞄、おまけに特徴的な跳ね方をした長髪はタコの触手に変身する。
……言葉を選ばずに言えば、怪しい。風貌だけならどちらかと言うとヴィランのように見えなくもない。
星導くんもそれを自覚しているからこそ聞いてきたんだろう。返事までしなくても僕の反応で察しがついたらしく、「そこまで分かりやすくされると傷つくんですけど」と冗談めかして笑った。
「そう、見た目怪しいんですよね。俺。……でも、中身はちゃんとヒーローなんですよ。昨日も公園でゴミ拾いしましたし、迷子の子供に大泣きされながら親探しを手伝ったりもしました」
「ええっと……良いことしたね?」
「はい。見た目は明らかに怪しい俺ですけど、実はとっても良い子なんです。だから……そういうことなんじゃないですか?」
「? そういうこと……?」
ピンと来ない僕が首を傾げると、星導くんも同じ方向に首を倒す。僕がこう反応することが最初から分かっていたように。
脚を組み変えつつ勿体ぶった口振りで、彼は言葉を続ける。
「イッテツ、貴方も経験があるでしょう? 逃げ遅れた人達を誘導して避難所まで送り届けたことが。いつまで息を潜めていればいいのかと怯える子供の手をそっと握ってあげたことが。自分もボロボロになりながら、怪我をした仲間を病院まで担いで運んだことが……」
星導くんは自分の両手で握手をしてみせると、また一瞬リトくんの方を見た。思わず視線で追うけど、今の僕にはまだ花の山しか見えない。
視線を元に戻すと、それを待っていたように星導くんは僕の目をじっと覗いていた。まるで中世の彫刻みたいに綺麗なアルカイックスマイルが僕を見つめている。
「ヒーローに向いているかの議論なんて、所詮は机上の空論でしかありません。肝心なのはその人が今、目の前で助けを求める人の手を握ってあげられるかどうか。敵地に踏み込むことができなくたって、弱くたって、ヒーローはヒーローなんです。見た目が怪しくても、戦闘が弱くても──俺もイッテツも、ちゃんとヒーローなんですよ」
ね、と優しく諭す星導くんは、まるで神様みたいに後光が差して見えた。
「っ……るべくぅう゛ん……!!」
「うわ顔きたな」
その神々しさは一瞬にして消えてしまったけど、嗚咽を漏らす僕の背中を撫でる手はどこまでも優しいままだった。
みんなが敵と戦っている間、怯える市民の皆さんに少しでも安心してもらおうと、いつもしていることを思い出す。
この働き者とは対極的な綺麗なままの手で震える手を握り「大丈夫。僕の仲間はとっても強いから!」と言って聞かせると、みんなほころんだ顔を見せてくれるのだ。そうしている時だって僕は何もできていないけど、それで少しは救われる人がいてくれるなら。
僕も、ヒーローを名乗っていても良いのかな。
ようやくしゃっくりが落ち着いてきた僕に、星導くんは穏やかな声色で問いかける。
「こんなことにはなってしまいましたが、きっとリトだって感謝していますから。早く復帰して、またヒーローとしての姿を見せてくださいね」
「いやぁ……どうだろうね。リトくんが起きたら、真っ先に怒られちゃうかもだし──」
「……ん?」
「え?」
星導くんはそこで初めて表情を強張らせた。え、なんか変なこと言っちゃったかな、僕。
不安になっていると、星導くんは再び「ん?」と首を傾げて眉間に皺を寄せる。そして僕とリトくんを信じられないものを見る目で交互に見て、大きな大きなため息を吐き出した。
「…………お前らマジで何なの?」
「えっ急に……!?」
いきなり態度を急変させた星導くんに動揺していると、彼はいかにもやってられないというように目を伏せて首を振った。本当に何なんだ。
リトくんの方を見てみても、どこか変わり映えしているようには思えない。──ああ、いや……星導くんに気を取られていて気がつかなかったけど、よく見たら酸素供給機が外れてるな。昨日に比べて大きな変化だ。
待て。じゃあ、順調に回復してはいるはずだ。なのにどうして星導くんがこんな反応をするのか、察しの悪い僕には見当もつかない。
「付き合ってられねえわ、もう。俺帰りますね。パトロールもあるし」
「えぇ……? うん、ありがとう。ごめんね……??」
「……ああ、それと、」
鞄を持って病室から出て行こうとした星導くんは、何かを思い出したように途中で歩みを止める。
星導くんは空いたベッドの上に鞄を乗せると、中からジップロックのような──多分違うんだけど、青いビニール製の袋を取り出した。
「これ、預かっていたゴーグルです。ライに代わってお返ししますね」
「あ、わざわざありがとう……え? だからさっきのはマジで何なの?」
「あはは」
「いや、あははじゃないが」
袋ごとゴーグルを受け取ると、何やら小さな布が同封されている。おそらくメガネ拭きみたいなものなんだろう。『どうせ袖とかで拭いてるだろうから、これからはこれで拭くように』という無言の圧を感じる。
星導くんは鞄を閉じると改めて僕に向き直って、呆れ半分真面目半分みたいな顔をした。
「ライからの伝言なんですが、イッテツのその症状は機械由来のものでないとしても、おそらく根本は変わらないらしいですよ」
「……というと?」
「ですから、その目に映るリトが花に見えているのは、貴方がそれに強いストレスを感じているから──ということです。俺に言えるのはここまで、後は貴方達で解決してください。それじゃ」
「あ、うん……じゃあね」
それだけ言うと、星導くんは踵を返してさっさと出て行ってしまった。僕が手を振っているのは見えただろうか。
「……僕『達』って言われても……」
ギシ、と軋むパイプ椅子に座って、リトくんの方に向き直る。当然だけど、リトくんは少しも動かない。少し心配になって手をかざしてみると、呼吸はしているようだった。
ああ、困ったな。僕はこういう推理とか、本当に苦手なんだけど。
……予感が全くないと言うと、嘘になる。でもそれを試すにはあまりにも、もし間違っていた場合に失うものが多すぎる。だから、慎重にならなければならない。
今まで何もしてこなかったくせに、更に慎重だなんてとんだお笑い草だけど。
今日は一旦帰ろう。
明日またここに来るまでに考えることがたくさんある。今急いでしまうと、きっと後悔することになるだろうから。
「……また明日、リトくん」
ベッドに向かって手を振ってみる。
当然、返事はない。
コメント
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わァ…………ァ………… あかん…良すぎでちいかわになってまう… 展開がどう転ぶかめっちゃ楽しみっす… リトセク起きてええええええええ!!