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夏目莉央
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くま🐻☁️
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「婚約はいつにしますか?」
朝倉くんはペンションを出てから、ずっと頬を緩ませていた。
左手でハンドルを操り、右手は私と指を交互に重ねる恋人繋ぎ。
「片手運転は危ないから」
私が注意しても、
「自動運転機能がありますから」
と、安全機能を理由に離してはくれなかった。
運転中なのだから、せめて手くらい離してほしい。
そう思うのに、絡められた指から伝わってくる彼の体温が心地よくて、強く振りほどくこともできなかった。
「住む場所も決めましょう。李人くんが留学されるタイミングがいいですね」
悦に入りながら結婚について一人で進めてゆく朝倉くんに、私は「本気なの?」と呆気にとられた表情しか向けられなかった。
「婚約指輪も買いましょう!」
色気のある切れ長の目が、とろけて垂れているように見える。
私と寝たことで、クールな彼がここまでダレるとは。
嬉しいやら、怖いやら。
複雑な気持ちになってしまう。
ワンナイトラブ。
大人の一夜の火遊び。
朝倉くんには、そんな言葉は存在しないようだ。
初めて契りを交わした相手と結婚をする。
まるで古風な日本女性のような結婚観だ。
世界を知っている男が、そんな純粋な価値観を持っていたなんて。
私は頭の中を整理できず、ただ混乱していた。
「朝倉くん、落ち着いて聞いてね」
「なんですか?」
「一度、寝ただけで結婚は飛躍しすぎだと思うの」
私は率直な意見を伝えた。
いや、十人いたら九人はそう思うだろう。
しかし朝倉くんは、さっきまでのニヤケ顔をすっと引っ込めた。
本来の切れ長の目に戻り、イケメン角度から私を冷たく見つめる。
「僕と寝たのは、遊びだったということですか?」
「遊びじゃないわよ。ただ……欲に素直になれって言うから、一夜限りのお誘いなのかと……」
私は居心地が悪くなり、言葉につまる。
「雨森さんが浮気したとき、瞳子さんは言いましたよね。野々宮さんを傷つけた責任を取れって。自分は逃げる気ですか?」
再び、彼の鋭い視線が私を射抜く。
ぐうの音も出ない。
正論すぎて、反論する言葉が見つからなかった。
私は喉の奥から、ようやく声を絞り出す。
「…………逃げないわよ」
性別は関係なく、責任は取るべきだ。
朝倉くんは何も間違ってはいない。
それなのに私は、見えない力に追い詰められているような感覚に陥っていた。
「ただ……すぐに結婚だなんて、私も戸惑うわよ」
恥ずかしさで頬が熱くなり、ぷいっと反対側を向く。
すると、しばらくして彼が静かに口を開いた。
「瞳子さん、僕とのセックスはどうでしたか?」
「……え?」
そんなこと、今聞かないでよ。
思わず振り返ると、彼は少し恥じらうように口を一文字に結んでいた。
からかっているわけではない。
その表情を見れば、純粋に私の感想を聞いているのだとわかった。
ごまかせば、彼を傷つける。
私は小さく咳払いを一つしてから、正直に答えた。
「……よ、よかった」
「どういうところが?」
「尽くしてくれるとか……嬉しくなる言葉をくれたり……」
あんなに優しくて甘い時間があるのだと、感動すら覚えた。
抱きしめられた身体も意外なほどたくましくて、腕に触れたときの筋肉の弾力まで、今もはっきり覚えている。
きっと朝倉くんにも、この熱が伝わっていたはずだ。
だから彼も嬉しくなって、結婚話を進めているのだろう。
(私も、朝倉くんにのめり込んでいたじゃないの)
思い出しただけで頬に熱がこもる。
私は右手を頬に当てて、必死に冷やした。
「僕のこと、好きですよね?」
赤信号で車が止まる。
朝倉くんは前を向いたまま、ふいに私を見つめてきた。
その真っすぐな瞳に見つめられると、言葉が詰まってしまう。
「大好きだよ」
そう無責任に言える性格なら、どんなに楽だっただろう。
彼には将来性がある。
まだ若くて、これからいくらでも未来を選べる。
そんな彼に、私の気持ちだけで軽々しく愛を語ってはいけない気がする。
「……嫌いじゃないわよ。もちろん」
精いっぱいの答えだった。
ところが朝倉くんは、少しも迷わなかった。
「僕は瞳子さんが好き。瞳子さんも僕が好き。だから寝た。何の問題もないじゃないですか」
私の問題提起など、朝倉くんに簡単に丸め込まれてしまう。
最後には納得せざるを得なくて、私は小さく息を吐いた。
正直、好意はある。
同時に、彼に対して怖さがあるのも事実だった。
私は朝倉くんの私生活を何も知らない。
親兄弟はいるのか。
どこに住んでいるのか。
そもそも、大学生の彼がなぜあれほどの大金を持っていたのか。
結婚したいというのなら、そういう情報こそ共有するものじゃないの?
そんな疑問が頭の中に浮かんだ、その時だった。
「李人くんが鳳凰ホテルで待っています。急ぎましょう」
「……え?」
私は思わず朝倉くんを見る。
「なぜ、それを知っているのよ!」
「朝方、瞳子さんのスマホにポップアップされた瞬間を見たので」
彼は何でもないことのように笑みを浮かべ、再び真っすぐ前を見た。
私は黙り込んだ。
すべては偶然が重なっただけ。
雨が降ったことも。
ペンションが満室だったことも。
二人きりで一夜を過ごしたことも。
そして今、結婚への道のりまでが、あまりにもスムーズに進んでいる。
朝倉くんは優しい。
私を大切にしてくれる。
私のことを、誰よりも肯定してくれる。
それなのに──胸の奥に、小さな違和感が残っている。
それを見ないふりをしたまま、窓の外へ視線を向けた。
私が違和感を覚えるのは、おかしいのだろうか。